悪魔の鏡

心の中にある「本当は言いたくない」本心を映す鏡


2005年1月27日,産経新聞(東京版)
【都庁発 石原語録】初の都立一貫校、高倍率 「教育へ不安が背景」
 「父兄の人気っていうのは、つまり期待っていうことでしょうけど、期 待の背後には今の教育に対する不満、不安、危惧(きぐ)があるわけです ね。どういうかたちになって出てきているか、まだ分析しきってませんけ ど、やっぱり新しい試みにね、それにかかわりある父兄が強い関心をもっ ていただくことは非常にありがたいと思いますね」
 「人間ってのは不思議なものでね、 首都大学東京も含めてだけどね、インテリぶってる ヤツほど新しいものに変わることをみんなにいやがる。人間ってのは変化って ものをみんな恐れるんですよ。しかし、変化ってのが物事の本質なんですよ。 期待という評価を受けているのは非常に心強いしうれしいですね。しかし、やっ ぱり成功しなければね」
(21日、記者会見で。初の都立中高一貫校の白鴎中学の志願倍率が10倍を超えた感想を尋ねられて)


上の太字の発言部分を「悪魔の鏡」に映して見ました。

 「政治家ってのは不思議なものでね、首都大学東京も含めてだけどね、改 革をぶち上げている政治家ほど『新しい』ものが好きなんだ。選挙の時に訴え る題材がないことを政治家はみんないやがるからね。有権者ってのは改革とい う言葉が好きなんですよ。しかしだね、本当は改革の中身じゃあなくって、 『新しい』ってのが物事の本質なんですよ。中身なんてどうでもいいんだ。 期待という評価を受けるにはこれしかないんでね。しかし、やっぱり成功したいけ ど、教育はそんなにすぐに結果はでないから、どうなってもかまわないん だけどね。とにかく、大きな声ではっきり『新しい』と言えばいいんだな。」

2005年2月10日,産経新聞(東京版)
【都庁発 石原語録】大学教育 選択の自由がない

 「高校生の時に落ちこぼれで、登校拒否で1年さぼっていかなかった。 それくらいつまらなかったですね。自分の子供が小学校入ったとき、大学 に入るころにはだいぶ(教育も)変わるだろうと思っていたら、とんでも ない。孫ができても同じ教育ですよ。高校生になって感性ができてきて、 自我ができかかっているときに、自我に触れてくるカリキュラムがあまり に少ない。本当の知識、身につく知識、必要とする知識というのじゃない けれど、選択の自由がないですね」
 「僕は東京から日本を変えると偉そうなことを言いましたが、東京というのは、 びっくりするくらい集中集積がある。それを大学で活用しないわけはない。 (首都大学東京では)思い切った形で産学協同を パターンナイズしたい。発足してからすぐとは言わないが、ドイツが昔やった バウハウス(世界最初のデザイン学校)のようなものを作ってください。コン テポラリーアートなんていうのは、一種のゲテモノですよ。そういうヒンター ランドというのは芸術の世界にもありますしね。現代のバウハウスのようなも のを今度の大学で作ってほしい。私が知事をやめたら教授 ぐらいになりますよ
 (3日行われた報道番組の座談会で。西澤潤一首都大学東京学長、増田 寛也岩手県知事と、今後の教育と大学のあり方について)


上の太字の発言部分を「悪魔の鏡」に映して見ました。

 「僕は東京から日本を変えると偉そうなことを言いましたが、今のところ 結構計画通りに進んでいるんでまんざらでもないんですよ。 東京というのは、びっくりするくらい集中集積があって、本当は醜くって大嫌い なんだけど、僕は一応都知事だしね。 東京都にある4つの大学を首都大学東京で活用しない手はないと思って、まあ、ご存知の ようにいろいろと手を入れてみたわけですな。 (首都大学東京では)思い切って産学協同だけを メインにやっていきたい。これに関係ない部分は、バッサリと削減しますよ。 発足してからすぐとは言わないが、ドイツが昔やったバウハウス (世界最初のデザイン学校)のようなものを作ってもらいたいと思っています。 コンテポラリーアートなんていうのは、一種のゲテモノですよ。 ゲテモノは大嫌いなんだ。 でもまあ、ヒンターランドというのは芸術の世界にもありますからね。 そこから何かが出てくる可能性もあるわけだ。 「現代のバウハウスのようなものを今度の大学で作ってほしい」なんて 言っちゃうんですが、本当は自分でも何のことかよく分からないんだね、これが。 「都市教養」だって、わけがわかんないけど、僕が作れと言ったらできちゃった でしょ。私が知事をやめたら教授ぐらいになりますよ 高橋君と西澤君に頼んで主任教授にしてもらって、任期は無しだ。 業績審査なんてパスしてしまうんだよ。あんなの掛け声だけだからね。 「ファシズム実践論」とか「日の丸教育論」とかやりたい授業はいろいろあるん だ。これで、僕の「太陽の季節」以来の 「アカデミズム・コンプレックス」がやっと晴れるというものだ。」