「東京都立大学独文学専攻解体に際して---中間報告」

独文学会誌「ドイツ文学」117号, <マルジナリア>P. 126-130. 2005年3月10日)


東京都立大学独文学専攻解体に際して --- 中間報告

初見 基/岡本順治/保阪靖人

2003年8月1日,石原慎太郎東京都知事は定例記者会見の場で,数年がかりで進められてきた都立4大学の統合計画に関して,それまで都庁と大学との間で協議機関を設け検討されてきたものとはまったく違う新大学構想を突如発表しました。都立大総長すら会見直前に通告されたというこの新構想は,学部構成,キャンパス配置といった基本的な点からしてそれまで検討されてきた案を大幅に覆す内容でした。

その後,計画を推進する都庁の担当部局である東京都大学管理本部の一方的で強引な手法を前に,大学側は防戦を強いられながら数々の局面を越えてきましたが,ついに2004年9月21日,大学設置・学校法人審議会はこの新大学の翌年4月開設を認可するよう文部科学大臣に答申,同月30日に正式認可がくだされました。これによって都立大学独文学専攻の消滅も確定したことになります。

この問題をめぐっては,日本独文学会理事会からは2003年12月15日付で「都立四大学の統廃合問題を巡って」という声明を出していただいた他,個々の会員の皆様からも数々の有形無形のご支援を賜わりました。この場をお借りしてそれらに対して心よりお礼を申し上げるとともに,2004年10月段階におけるひとつの〈中間報告〉をさせていただきます。

本報告執筆者(岡本,初見,保阪)は,新大学構想発表以降一貫して東京都の方針を批判し,それに抵抗を試みてきた者に属します。すでにさまざまなかたちで私たちの主張は公表されていますが,何故この新大学構想を問題ありと見なしてきたか,改めて要点を述べます。

第一に手続き上の問題として,《設置者権限》を振りかざし,新構想を一方的かつ強圧的に推進してきている大学管理本部側の非民主主義的な姿勢が挙げられます。管理本部は,現存する大学と新大学とは断続した別組織であり前者構成員には後者に対して意見を述べる権限はないという論拠に基づき,現場の教員,学生たちの声をことごとく封殺し,侵害される恐れのある学生の教育保障や構想の具体的内容をめぐる質問状などに答えることすら拒否してきました。

しかしその一方で,大学における教育・研究体制に無知・無関心な管理本部は,石原都知事が思いつきだけをぶち挙げてみせた新構想を具体化できるだけの能力を持ちあわせず,受験産業の河合塾に新学部設計の肉付けを依頼するというような失態を演じもすれば,またことある毎に抵抗する教員たちを恫喝と懐柔によって新大学準備体制のなかに動員しようと試みてもきました。開学まで半年も残されていない2004年10月現在ですら未確定事項は山積しており,カリキュラム,入学試験,学則の細部などについては,新大学へ就任する教員たちへの依存度が高まっているのは事実です。

とはいえ,新大学発足と同時になされる独立法人化に際して,法人のもとに置かれる現行及び新設大学の教授会組織が人事権等の〈自治〉を確保できるのか,また任期制・年俸制を強要しようとしている雇用形態が最終的にどのように落ち着くことになるか,法人定款,そして法人のもとでの大学学則をめぐる厳しい綱引き状態は当面続くことになります。

私たちが新大学構想を批判しているのは第二に,手続きの乱暴さにもましてその内容が粗末かつ無思慮であるからです。新大学の根幹的な《使命》には《大都市における人間社会の理想像の追求》が掲げられ,《都市環境》《産業構造》《長寿社会》の3点が《キーワード》とされ,学問の〈真理〉追求や〈普遍性〉への視線がまったく欠如している点は指摘するにとどめます。ここでは,このような理念に則った教育体制案の一部を紹介します。

まず学部構成は,現行都立大学(人文,法,経済,理,工)5学部のうち工学部の一部を除いたほとんどが《都市教養学部》なる一学部に統合され,いわば〈都市〉に特化した教育が要求されています。数学や物理学に〈都市〉なる限定が意味あるのか,という当然の疑問以前に,現在都立大に置かれている〈都市〉研究機関である都市科学研究科は新大学において中心的な役割を担う訳でもなく,20ばかり立てられる《コース》(〈専攻〉に相応する)のひとつとしか位置づけられていない点だけからでも,体系的な〈研究〉組織など端から念頭にない計画の杜撰さは見て取れるでしょう。さらに,新大学の研究体制の貧弱さを批判した,文科省「21世紀COEプログラム」事業推進者であった現経済学部経済政策専攻を切り捨て,経済学コースを欠いたまま新大学が発足する事態も,東京都の姿勢を良く表わしています。

人文学部について言うならば,139名あった定員のうち《都市教養学部》のなかに認められているのは半分以下の64名,それに伴い文学科5専攻(国文,中文,英文,独文,仏文)は消滅,独文学専攻に現在在籍し新大学への就任を肯った教員は,哲学,史学及び文学科5専攻教員より成る《国際文化コース》,社会人教育機関《オープンユニヴァーシティ》のいずれかへ配属されます。しかしこれまで学部・大学院の専門授業とともに全学のドイツ語を含む一般教育科目も担当していた独文学教員のうち《定員》として確保できているのは,2003年8月時点で18名あったうちの,そして新大学への就任を承諾した9名のうちの3名に過ぎず,それも第一期中期計画の間限りのことになります。

文学専攻をはじめとする人文系分野では現在の専門教育体制がこうして崩壊させられるとともに,外国語教育にあっても,必修英語8単位のうち6単位を語学学校のネイティヴスピーカによる授業に委託,英語以外の未習外国語の履修はすべて必修をはずされます。

さらに,新大学の新機軸とされている《単位バンク制》について触れるなら,この制度はまずは,単位互換の協定を結んでいない他大学で取得した単位だけでなく,専門学校での受講や諸資格,ボランティアや海外滞在体験をも卒業単位として認定するもので,人員削減により貧困化したカリキュラムを〈外部委託〉でまかなう制度であると考えられます。実践英語授業を語学学校に委託する方針などと相俟って,体系的な教育体制を否定し,卒業資格認定をくだす大学として責任を放棄する顕著な現われであり,《入りやすく出にくい大学》を目指すという石原都知事の主張とも真っ向から反しています。ただ問題はそこに尽きず,《単位バンク登録科目》としての認可は企業経営者などの《外部有識者》をも加えた《科目登録委員会》に委ね,さらに新大学では単位バンク未登録の授業科目は開講しない,との方針も明らかにされています。端的に述べるなら,科目登録委員会の判断で学内でのすべての授業科目の存廃が決定される,という事実上の検定制度として機能することが危惧されています。そして開講科目を持てなくなった教員の処遇が整理解雇等のきわめて厳しいものとなる可能性も絶たれていません。

以上,新大学構想の抱えた数ある難点の一端を挙げてみました。

こうしてかいつまんで見た限りでは,1991年の大学設置基準大綱化から2004年の国立大学独立法人化に到る厳しい状況をくぐり抜けられてきた全国の学会員の皆様からするなら,東京都による都立大解体・文学専攻抹殺の措置は生温くすら感じられるやも知れません。〈市場原理〉に基づく〈自由競争〉,〈産官学連携〉〈実学重視〉といった大学をも取り巻く風潮に,ドイツ語教育や文学・言語学研究が後退に後退を強いられている現状は,都立大学に限られたものでないことは言うまでもありません。

ただ,違法,脱法を恐れず,《トップダウン》の名のもとに〈ボトムアップ〉に向けた議論を拒否し,論拠・根拠を示さないまま暴力的に追従を求め反対意見を押さえ込む大学管理本部の手口の野蛮さにかけては,やはりまだ類例がないかと思われます。彼らの大学破壊の徹底性については工学系教員内にも根強い反撥があり,〈実学重視〉ですらない闇雲な〈大学敵視〉であり,露骨な〈産業界の従僕〉への大学の改変であることは断わっておかなくてはなりません。そうしたなか,頑強に批判的志操を貫く教員を抱えた独文学,仏文学専攻に対しては,石原都知事らは虚偽の論拠すら持ち出しながらの中傷を公的発言のなかで繰り返しており,今後なされる攻撃についても予断を許しません。

教育現場への異常なまでの介入を続ける東京都教育委員会の教育政策の延長上に今回の都立大解体も位置し,さらに強権管理のもとで恣意的に限定された一方向のみを容認するような教育行政が《東京から日本を変える》という石原知事の好む合言葉通り全国に拡がってゆくのではという予想も,杞憂だとはとても断言できない以上,私たちも〈抵抗〉を諦める訳にはゆかないできました。

いま,私たちの〈闘い〉が〈負け〉であることは動かしようのない事実です。ただ,これですべてが終わった訳ではありません。まずなによりも,現行都立大学に在学している学生・大学院生の新大学発足後の教育保障がまったく覚束ない以上,学生たちの被害を最小限にとどめるべく努めることは私たち教員の責務です。また,法人の定款や新大学学則が〈大学の自治〉〈学問の自由〉を蹂躙することにかけて悪しき先例となり,他大学にまで波及するような事態となることも阻まなくてはなりません。そうすることが自らの立場をも護ることになるのはもちろんです。さらに,いとも呆気なく都立大学,そして独文学専攻が破壊・解体されていったこの忌まわしくも情けない経験を,これまでの自分たちの教育・研究体制への根底的な反省と結びつけ,現今の日本社会にあって大学でドイツ文学を研究すること,そしてドイツ語教育を実施することの積極的意味を真摯に再規定するべく努めることも必須です。その過程で,この間に露呈された多数の大学教員なるものの怯懦,矮小さ,狡猾さをも包み隠さず後代に伝えてゆくことは,〈言葉〉の専門家である私たちにとって避けて通ることのできない使命です。

Unser Kampf geht weiter!