私達の身分・給与はどうなるか
ー経営コンサルタント永井隆雄氏から見た首都大改革―



『大学に新しい風を』第4号(2004年10月28日)
発行:東京都立大学・短期大学教職員組合
「大学に新しい風を」編集委員会
インタビュー形式記事

永井隆雄氏。慶応大学商学研究科を経て、現在はAGP行動科学分析研究所所 長。日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師。数々の企業の雇用改革に 携わった経験を持つ永井氏は、その中で企業のやり方は仕方ないと思いつつも、 「根っこでは人事改革はひどい」とも感じて来られたという。永井さんの目か ら見て、今度のクビ大改革はどのように映るのだろうか。果たして私達の身分・ 雇用はどうなるのだろうか。以下のインタビューをお読みいただきたい。

1.学生が消費者になったとき

<今度の改革は大学が民間企業と同じような発想の下に改革されようとしてい ます。企業的な経営の観点からみた場合、大学の業務はどのような変化を蒙る 可能性があるでしょうか>

企業の人事評価というのは、採用時についていえば教員ほど厳しくない。教員 の場合、普通の学部の倍ぐらいの教育をうけて大学院で勉強したりして、大学 に採用される。一方で企業に入るっていうのは高校を卒業して大学を卒業して まあまあある程度のところで採用されていくわけです。そのかわり日々刻々の 拘束のなかで一挙手一投足、言論の全て、それまでの仕事全てに関してかなり 網羅的にチェックされる。そういう意味じゃ日々の職務行動に関しての評価が かなり網羅的かつ原理的に行われるという点に特徴があります。
 民間企業の発想を採り入れるとなると、日々の業務自体が監視下に置かれる という問題と共に、学生を消費者と見なし授業を展開することを迫られること になるでしょう。消費者である学生が椅子に座った瞬間に、講義がまず、中身 が濃い、面白い、楽しい、と感じてもらえるようにしないといけない。あまり 教養も無い、高校を卒業したての学生にとって「ウケ」のあるような、要する にテレビを見ているような感覚に学生がひたれるような講義の中身を考える必 要に迫られる可能性があります。そうなってくると、従来の大学教授の意識と は違った形のある種の「はしたなさ」を伴った形の仕事を迫られるということ にもなりましょう。それとまあ社会貢献ということになれば消費者が今度学生 から一般市民に代わることになって、一般市民にウケがいい、楽しくて面白い、 テレビのワイドショーみたいな、そういう講義が求められる。
もう一つは、指導の場面において教員の気が利くとか、かいがいしいとか、そ ういった一見すると非常にばかばかしいようなことが、学生の目線に立った評 価といった時には求められてくることになるでしょう。それが結局次なる受験 生を大学へ、あるいは下の学年の在学生をゼミに呼び込む、そういうようなこ とになってくるのではないでしょうか。
コースの再編が定期的に行われることが予想されますから、個々の教員が生き 残るということを考えると学生にウケる、市民にウケるというのはやらないと いけない。極力、はしたなくならないように学術的品位を保つべきだとは思う がそこでかたくなになっても地位が失われるだけでしょう。例えば、「社会教 育学特殊講義」といわず、「フリーターの社会学」「青年自立支援入門」など といったコピーをつけて面白おかしくやるといったことが極論すれば求められ ることになるのではないでしょうか。

2.民間企業では訴訟を起こしても結局は無駄?

<学生を単に消費者と見なす考え方は、公教育の概念からすれば逸脱している ように思われます。この間の改革で、都庁を相手に訴訟を起こすべきだという 議論が内部でかなりありました。その点について、どうお考えになられますか >

個々の雇用者としての意識改革を行うべきだと思うんですよね。都立大のなか で一番研究評価の高かった人文学部が半分位無くなってしまうということは既 定の事実になっているようですね。あとは自分の立場をどう維持していくか、 個々の教員の意識の問題が重要になってくるのではないでしょうか。もし、真っ 向から立ち向かっていくのだとしたら、訴訟という手段もあるでしょうが、企 業であれば会社相手に裁判起こすとクビになりかねません。クビにならないま でも職場の地位が果たして保全されるかどうかという問題もあります。また民 間企業の場合、訴訟しても解決金をいくらにするかという金銭の闘争で終わっ てしまうことがほとんどです。「自分たちは教員だから権利が保障されている はずだ」というある種の権利意識もあるでしょうが、東京都とか国家を相手に 訴訟しても、あんまり変わってこないんじゃないでしょうか。やっぱり生き残 ることを教員各個人として考えないといけないでしょうし、それがいやであれ ば、別に東京都立の大学だけが大学ではないので、東京都立の大学のそのとき の運営方針が自分の趣旨にあわないと思ったら、教員の場合は流動性があるわ けですから、辞めて他の大学に行くというのも一つの選択肢であろうと思いま す。

3.年俸制で給料はどう変わる?

<お渡しした資料が、年俸制について都庁から説明されているすべてです。こ れについて、まず印象をお聞かせいただけますでしょうか>

二つあります。一つは素人が作ったとは思いにくい手の込んだ賃下げ織り込み の年俸制方式の賃金制度と思いました。よくあるものですが、(1)退職金を年俸 で受け取るかどうかを選択できるというのは目新しいですね。表向き個人の税 金と手取りがどうという説明をされますが、退職金原資と毎年の人件費があい まいにならないでしょうか?年俸が下がるけど、退職金で受け取ると手取りが 多いよというのですが、少し危険です。よく年俸を下げるときに使う方便です。 1050万を超えると累進税が多くなります。こんなときに退職金で受け取ら ないかというのですが、退職金は退職事由係数もあり、目減りする可能性があ ります。(2)年俸のポイント制ですが、おそらく相対評価になります。ポイント は絶対評価で決めるのですが、ポイントを調整し、単価は原資を全教員の総ポ イント数で割って算定し、あらかじめ決まった枠で人件費をセーブします。格 差を確保しながら全体の原資を下げるにはいい方法です。
もう一つ、職務給の割合がとても高いのではないでしょうか。都庁の資料では、 基本給が5割となっていますが、この生活給の部分に教授・助教授での格差が 織り込まれています。ということは、ここにも職務給が反映されていると考え るべきで、業績給・職務給の割合が全体で7割程度あると考えるべきなのでは ないでしょうか。

4.上司が査定するときに生じる「寛大化傾向」とは?

<我々はこれまで、この給与モデルが素人の考えた、雑なプランであると思っ て来ましたが、専門家の目からご覧になると、むしろ精緻に計算されていると いうイメージになるのですね。このモデルに従って、どのように給与額が決定 されることになるのか教えてください。まず、査定を行うのは、恐らく各コー スに設定されるコース主任であろうと予測しています>

企業でしばしば行われていて、かつよく出てくる問題として、絶対評価で評価 すると、「良くやっているかやっていないか」の2段階で評価するとしますよ ね。「よくやっていない」という評価をつけるということは、よほどその人が 嫌いか、査定者が被査定者よりも偉い地位にいるかどちらかです。そうではな いときは「ちょっとなあ」と思っても「よくやっている」という評価をつける ことになるでしょう。そうなってくると、30人いて、全員が「よくやっている」 という評価を受けることが実際におきてきます。そのなかでせいぜい一人くら いは、誰から見てもおかしい、そういう人たちが出てくる。ところが、ほとん どの人は良くやっている人もそれほどでない人も「良くやってる」になる。そ ういう寛大化傾向が起こることになります。

5.結果的に昇進も相対評価になるだろう

ところが、こういうことをやっていると必ず相対評価をしていくことになるの です。例えば助手から研究員とか、助手から講師へと言ったように一段階上が る際、4人に3人とか、3人に2人というような管理する数字を予め設定しておき ます。助手3人だったらこのなかから2人を専任講師に昇進させる。あるいは専 任講師を雇う際、5人採用した内の3人を助教授に昇進させる、といった絞込み を行うことになるはずです。まずそのような昇進時に相対評価によるセレクショ ンが行われてしまうわけです。

<確かに、これまで渡されている資料でも、助教授から教授へといった昇進者 の総数をその年々の東京都からの人件費総額の額に応じて決めるという説明が ありました。そうするといくら業績があっても、結局そのときに予算が無いと いうことになると、昇進できず、クビキリが行われるということになるわけで すね。ただし、寛大化傾向があると、相対評価しようにも教員間の格差はあま り開かないのではないでしょうか。>

ポイントは一応絶対評価的な制度ということになっていても、誰かが調整をす ることで結果的に相対評価的な観点を入れることはできます。例えば、A教員 は50、Bは45、Cがまあ55点といったかたちで絶対評価のポイントを獲得し たとしましょう。まず、一旦は教員全員の合計ポイント数を出すのです。例え ば全教員が10人だとして、その全教員のポイントの合計額を分母にして、個々 の教員のポイントを分子にするわけです。その人はトータル500点のシェアと しては45点だったから、500分の45が業績賞与の配分可能割合になる、といっ たような形をとります。
もしポイントの格差が小さい場合は基準点を決めてしまえばよいのです。例え ば基準点を50点だと決めたとします。個々の教員のポイントを50点を基準と して、過不足分に対して2割増しあるいは2割減にする、といった決まりをつ くるのです。そうすると46点の人は50点に4点不足していますので4×1.2=5.8 点を50点から引くことになるわけです。そうすると46点の人は44点になります し、逆に55点の人は60点になるわけです。そういう風なやり方をすれば格差を 拡大することもできます。そうなってくると絶対評価の時点での1点の差が現 実には大きな格差となってしまう場合もあります。あるいは別のやり方もあり ます。全員について一旦30点をすべて引いてしまうやり方です。例えば、50点 の人は20点、45点の人は15点となります。これも結果的に格差を拡大すること になるでしょう。いくら寛大化傾向があったとしても、給与のメリハリをつけ る方法はいっぱいあるわけです。

6.業績給の算定は使用者が恣意的に計算できる?

<最終的な給与の算出の仕方は公開されないというのが通例でしょうか>

例えば、退職金に関しても、ポイント制にすることがよくあります。退職金の ポイントは勤続ポイント、年齢ポイント、役職ポイント、とか人事考課のポイ ントをどんどんどんどん作ればいいのです。その他会社が必要と認めたとき新 たな観点を設定し得るのですが、かなりの程度非公開のポイントが出てきたり するんです。ポイント制のいいところはどこかというと、その時々で調整をし やすくする点です。原資がどんなに減ったって差がつくから、ある人には賞与 を従来どおり与えるけれども別の人に対してはがくっと減らすとか、そういう 調整ができる。良く言うとフレキシビリティがある、悪く言うと、どう運用さ れるかよくわからないような制度ですね。
おまけに新大学の場合、業績給のうち、研究の評価が4分の1でしょ。教育の部 分で評価のポイントがどんどんどんどん追加されるかもしれない。論文一本書 くよりも、休講のフォローしたほうがポイントが上がるかもしれない、といっ た気がします(笑)。
自己申告して評価するというのも民間企業で目標管理として良く使います。目 標管理をするといっても、企業側としては、評価をなるべく下げたい、という のが本音です。そのために、「じゃあ4つ位目標を設定してごらん」といって 四つくらいの目標を立てさせて、教育研究社会貢献、学内運営についてそのう ち一個か二個その人の苦手なものを盛り込んでおく。達成できない目標を無理 やり押し付けられて、半期か一年経った後に「目標に行かなかったね」と言わ れて給与を切り下げられてしまいます。ですから労働者側からするとあんまり 面白くない。自己評価制度というのは、なかなかモチベーションが上がらない ことになります。

7.現在の給与額を保障するということの本当の意味とは

<われわれが現在、東京都から受けている説明は、新制度を導入しても現行の 給料からは下がらないようにするというものです。この点はどう解釈すればい いのでしょうか。>

それは当分の間調整するといった程度の意味でしょう。今600万円貰っている 人は、当分の間600万円もらえる。例えばAさんは600万、Bさんは800万もらっ ていたとして、新たに業績給にすると、Aさんは550万しかない、それに対し てBさんは820万になる。その場合、調整級でAさんには+50万円つけます。 そうすると、個々人に対して何らかの評価をすると、労働者からすると貰いす ぎ、雇用者からすると払いすぎということがおこる。この差額は、減価償却み たいにして、3年とか4年で削って行くといった手法をとることがあります。も しくは通常の業績評価を行いつつ、調整給がもし発生してしまったら、調整給 は初年度だけ払うとか、または初年度は全額、次年度は半額といった形で払う、 といった具合になるでしょう。業績給への移行は当然2年か3年調整にかかるの が通例です。その調整の時期だけ、現行の給与を保障するということだろうと 思います。
移行期間に給与を減らすと、当然文句が出ることになります。ですから移行時 に給与を減らすことはほとんど無いのです。年俸制に移行するときには、必ず 給与額は横滑りにするか、いくらかですよ、乗せるんです。ごくわずかですが。 例えば600万貰っていた人なら620万、800万の人には850万みたいに、いくらか 上乗せするわけです。そのかわり、「給料が上がると期待が上がるよ」といっ た言い方で期待値のバーを上げてしまいます。そうするとバーが上がっている ので、次年度にはそこに到達することが今度は難しくなってしまいます。次の 査定では当たり前だけど給与は減ることになります。その場合は、あがり方と しては、上がるときは10%上がったとして、一方で下がる時は単年度で15%く らいは減る。例えば、仮に年俸で10%の減額をしたとしましょう。しかも三年 連続で。そうすると、9掛けを2回やれば0.81、さらに9掛けにすれば0.73で三 割減程度にまで簡単に減らせるわけです。

8.成果主義を導入すると平均2割減3割減は当たり前?

<一般企業で成果主義を導入した場合に、3割4割減るは当たり前なのでしょう か?>

90年前後の企業の労働分配率は、総額でのウェイトはそれほど大きくなかった のです。例えば武田薬品とかでは、労働分配率が2割とかそのくらいでした。 ところが会社の業績が悪くなって、企業によっては場合によって7割が人件費 で占めてしまうといったことが起きてきます。すると数値目標をやはり設定し て人件費総額を削る必要がでてきます。例えば、売上総利益の5割くらいにし よう、といった具合です。そうすると、その会社の人件費総額が占めている割 合が仮に7割だったとすると、やっぱり個々人の給与は2割から3割減ってしま うことになります。ただし、個々の労働者の平均賃金を減らしてもなかなかう まくいかないので、一般職は派遣にしてしまおうといったリストラが展開され ています。ある会社では一般職を全部辞めさせて、パートのおばさんを雇って います。地方の支店は全員パートのおばさん2人を雇っている。2人交替でどっ ちかが出勤するようにすればいい。大体パートのおばさんは年間200万で1人雇 えます。以前は常勤の女の子を年収300万円くらいで雇っていた。しかもそ の女の子は有給休暇をとってしょっちゅう休んでしまう(笑)。しかしアルバ イトのおばさんに替えてしまえば、彼女らはそうそう休まないので、もはやそ ういうこともなくなるわけです。言うならば、バブル時代90年代後半に一般職 は会社を謳歌しすぎたんですよ。有給休暇は取りまくるし、無責任でものすご くいい加減な子が一杯入ってきた。これじゃ良くないという反動が、結局パー トだとか派遣という形で現れていると見ることもできます。今や20代の女の子、 30代の女性が正社員で働いているというケースはかなり少ないと思います。も う一つのリストラ対象はバブル時代に入社した今の30代の男性社員です。あの ころの学生はレベルが低いと思います。会社に入っても満足に仕事ができない ということが多いようです。その次にリストラ対象になっているのは団塊の世 代、45〜60歳くらいにかけてという人たちです。彼ら中高年は、企業の仕組み にのって、一律に高い給料を享受してきたのです。まず、一般職とか中高年と かをリストラして、人件費を例えば15%大胆に削減しようというのが最近の企 業の動きです。結局それによって労働分配率が下がっている。というのが上場 会社の良くも悪くも実情です。当然福利厚生も減るし、企業年金もどんどん解 消している。
退職金を廃止するという会社もありますよね。例えば丸井と言う会社は業績が 悪化したので、関連会社を作って管理職以外全員新会社に転籍させました。従 来の会社で退職金を支給して、新会社に移籍させてしまうのです。
会社としては、実質支出が減ることになります。そうすると例えば株があがる。 株主達は「これだけ払うべき退職金がこれだけになりました」と説明されると、 じゃあ丸井の株を買おうか、ということになる。丸井の場合業績が悪いから仕 方がない部分もあるんだけど、こういうのがここ最近行われている動きですよ ね。
 同じような動きは大学でも広がっています。立教大学がいい例だと思うんで すが、特任教授という制度が2〜3年前にできました。特任教授というのは対外 的には教授。ところが一年任期で都合2〜3年しか雇われないという制度です。 立教大学には常勤の教師に対してサバティカルという制度があって、正教員が サバティカルをとる際に、特任教授を入れるというのが制度になっている。例 えば特任教授は年俸300万から500万位でしょうか。その方たちは週に4コマ。 まとめてやれば一日の出勤で年収300万稼げるので後はアルバイトする、といっ た生活です。
特認教授の300万だけでは生活していくには少ないけれど、立教大学の教授と いう肩書きを得ることができるというメリットがある。大学としては正規の教 員としてカウントできるので、かなり人件費のところは削減できる、というこ とで双方のメリットになっている感もあります。

9.退職金なんて払わなくてもよい?

<退職金問題についても法人化後にどうなるのかという不安がささやかれてい ます。この問題について、想定し得ることをお教えいただけますか>

退職金の支払い方には色々な方法があります。実は退職金は労働法上は払わな くて良いんです。民間企業で多くなされる改革は現段階でポイント制に移行さ せるというものです。企業は退職金問題を改革するときにポイント制度を使っ て、退職金の総額が多くならないように配慮しつつ、貢献度に関するポイント を作って労働者間で格差をつける。退職年金というのも、支給額を確定拠出し てFIXする制度ではなくて、毎年退職金積み立てに繰り入れる額だけをFIXしよ うという方法がとられます。すなわち拠出額を確定して、支給額を確定しない。 そういう改訂をよく401決定といった風に言うのです。その他に民間企業で やっているのは、退職金の前払い制度を作るというものです。例えばある労働 者の年俸が1000万円だったとして、会社では900万とか800万円に減額したいと しましょう。その場合差額が100万〜200万円あるわけですが、それを退職金を 前払いするという形で補填していくわけです。つまりは1000万円貰っていたと しても実質は年俸900万、退職金前払い100万ということになるわけです。おま けにそのときに、上乗せをすることもあります。そうすることで、若手の社員 に、45とか50歳になったときにこの会社に在籍できると思わないでほしいとい うメッセージを送るという効果をねらっているようです。

10.東京都の年俸制度はよく仕組まれた制度?

<先ほどこの年俸制度の運用表がよく出来ていると仰いました。より具体的に 教えてください。>

まず評価基準が網羅的に書かれて、その内訳が示されていない。あとは基本給 が5割あって業績評価が2割となっていますが、実は職務給だって業績評価の手 段です。さらに教授によって基本給が変化するのだとしたら、教授という身分 は、年齢給と役職の中間ですよね。だとすると、内実としては職務と業績の制 度のウェイトの高い給与体系ではないでしょうか。全体的にネットで7割8割が 業績職務給で、その他が2割といった感じで、職務給の割合がほんとうに高い と思います。
あとは表には明記しないで運用でうまくやるということを前提にしたプランで、 恐らくはポイント制の問題とかはどこかの委員会で検討されることになるので はないでしょうか。結局一部の人達によって検討されて下へとおろされること になるのでしょうが、基準がたくさんだから一般の労働者にはよく分からない といった仕組みになるのではないでしょうか。
重要な論点は紙に書かないで敢えて外したと考えるべきなのではないでしょう か。相対評価の問題に関して、あるいは評価の基準に関してどのぐらいのウェ イトをおいて考えているのか、そういうことははっきりと明記せずに、ある程 度運営の段階において会社組織の運営のためにもっとも適切な手段で決める。 労働者としては「あれ?」っと思っているうちに制度を入れられてしまう。あ とはまあ具体的に個々人の業績について不満が生じたとしたら、そのときには コース長とか主任教授に本人が納得するまで話し合ってもらう、ということに なるのではないでしょうか。
例えばある教員がどうして私は1000万だったのが800万になったんですかと聞 くと、それはあなたのこういうところとこういうところが評価が低かったので、 そういうところを上げてくれれば給与が増える可能性だって色々あるんだよ、 他にも減っている人がいるから、といったことを、人事委員会は直接回答する のではなくて、コース長とか主任教授に指示して、例えば「ちょっと大串先生 からいってくださいよ」と、押しつけてしまうわけです(笑)。

11.他大学のオープンカレッジの状況は?

<永井先生はオープンカレッジの状況についてもお詳しいとうかがっています。 他大学の状況について教えていただけますか>

オープンカレッジはどこの大学でも経営として成り立っていません。例えば日 本大学のグローバルビジネスのコースの場合、定員が2年コースと1年コースと 2つあります。2年コースは5人在学者がいますが、3人は留学生で日本人は2人 しかいない。1年コースは2人の学生しか在学しておらず、応募者は3人しかい ませんでした。応募者3人に対して2人ということは、3人のうち1人落として2 人合格させたか、3人とも合格させて2人が合格手続きをしたかどちらかという ことになります。どうしてそんなに少ないのかというと、1年コースは昼間に 通学しないといけません。すると会社を辞めないといけなくなってしまうわけ です。受かったけどどうしようかなと迷って、学校に来ない人が出るわけです。 実は1年コースは来年度から年2回入試を行って15人・15人の合計30人を年 間に入学させようという計画をたてています。大学が考えていることは、現在 一学年の在学生が5人しかいないけれど30人学生を在籍させれば6倍学費が 入ってくるのではないか、ということでしょう。しかし現実には現在の6倍も 応募者が来ない。定員が割れてしまうという問題が危惧されます。
同じ問題は東京都のオープンユニバーシティでも起こるのではないでしょうか。 発足当時はこういうところで勉強したいという人が一般市民にいるかもしれま せん。放送大学の場合、発足当時オーバーフローといってもいいほど応募者が たくさんいて凄く苦労したのです。しかし現在は発足当時から比較すると凄く 在学生が減っている。社会人は全然勉強したくない人もいれば勉強したい人も いる。勉強したい社会人が毎年同じ数だけ発生するといったことはありません。 高校卒業した人は減少するとはいえ毎年発生するわけです。とすると多分、オー プンユニバーシティは発足当時はいいんですが、何年かたてば当然学生が減る ことになるのではないでしょうか。収益が上がらないという状況におそらく3 年から5年のうちに突き当たることが危惧されます。そういったときにそこに 配属された教員はどうなるのかということが心配です。仮に将来的に独立採算 でやるとなると、そこへ配属された人達は、従来の給料をもらえない可能性が かなりありはしないでしょうか。もちろん、ものすごく求心力を持って学生が 集まる可能性は一部にはありえますが、全体的には採算がとれているところは ほとんどない。単純な話、早稲田大学にエクステンションの組織がありますが、 これまでの学生数を単年度毎に教えて欲しいと言って事務局に問い合わせたら、 間違いなく減っていることが確かめられるはずです。慶応大学の例をあげると 丸の内キャンパスというのを作ってオープンキャンパスを展開しています。あ れは思いつきでやったという話があります。慶応大学を卒業した財界人の元学 生が毎日来たらいいと思っていた。確かに当初だけは来た、つきあいで。とこ ろが丸の内キャンパスは赤字だから閉鎖したい、という話がでています。発足 して2,3年でやめるかどうかが今焦点になっています。
つまりオープンユニバーシティというのは、ほとんどのものは発足して2年間 のうちに赤字を出しているんですよ。少なくとも丸の内キャンパスにおいては 専任は一人も置いていません。事務担当者が事務局に1人か2人いるだけです。 しかしその二人の人件費と家賃を捻出できないのです。
東京都の場合、例えば20人〜30人の教員が来るとします。固定費が、一人1000 万として計算して、2億3億4億かかるでしょう。こんなもの採算あうわけが無 い。給与だけでも。あと建物も建てるわけでしょ、建物の減価償却の半分だけ 負担して、半分を都が出すことになるとしたって、それなりの家賃がかかる。 そういった固定費の採算を考えて、例えば年間5億の収入が必要になります。 年間50万払う生徒がいるとして、何人集めないといけないのかとすると、5億 円を50で割ったら1000人もの社会人学生を集める必要があります。かなりたい へんですよ。発足当時はまあ移行措置で東京都が赤字を補填するとしても、長 期か中期かわからないけど民間委託というのが行われる、その瞬間から大幅な 赤字が表面化するんですよ。実質そこで解散になる危険があります。大学の非 常勤講師だけで運営したとしても収入が不足しているのが現状なんです。例え ば学生を集めるには広告費がかかるわけですから、学費がすべて利益になるわ けではありません。そういうなかで、年収1000万の教員を抱えたって、数人、 5人くらい抱えるのがせいぜいでしょう。

12.首都大学にも希望がある?

<ずいぶん暗い話ばかりうかがってきましたが、永井さんはそれでも首都大学 には希望があるともお考えのようです。その点について最後にお聞かせ下さい。 >

中期的には凄く可能性があって、今までお話ししたことを乗り越えた先には希 望があると思います。都市教養学部には、人文学部だけでなく工学部もあれば 理学部もあり経済学部も法学部もある。例えば主専攻を機械工学とし副専攻を 文学とする、といった形で二つの専攻を同時に学ぶといったことも可能になり ます。そういった意味では日本ではじめての大学ではないでしょうか。現在少 子化が深刻であり、地方の大学の将来はかなり暗いと思われます。そのなかで 東京都の大学には東京にあるという地の利がある。筑波大学も東京にあればもっ と存在感のある大学になっていたと思います。うまくすれば日本に他にない、 非常にユニークな大学として存在感を増す可能性もあるのではないでしょうか。 ただしそれには、今のような人を切り捨てる改革ではなく、人を大事にする改 革となることが大前提となると思います。

<今日はお忙しい中、ありがとうございました。>
紙幅の関係上、永井氏の発言を一部取捨したことをお断りします。