Between10月号(2004年)

ベネッセ教育総研の情報誌


この記事は,基本的に「東京都大学管理本部の紺野秀之参事」 が語ったことを基にしているようだ。問題点に で勝手に注釈を付けさせてもらった。(2005年2月9日改訂)


【レポート3 首都大学東京】
経営的視点の強化で教員人事制度も見直し

この記事の中心部分を示すリード。「も」の使われ方に注意。「経営的視点の強 化」の副産物として「教員人事制度の見直し」が含まれている。しかし,その中 心点は,以下を参照。

 東京都は都立大学など4校を廃止し、2005年度に首都大学東京を新設する。履 修の自由度を保証する単位バンクを導入するなど、学生主体の教育サービスへの 転換を進める。

教育と経営の二つの視点から改革

つまり,「首都大学東京」は,研究に関しては何も考えていない改革構想だということ。 大学から「研究」を取ったら,教育と経営が残ると考えるのかもしれないが, それはもはや大学ではない(ある種の「専門学校」)。大学での教育は,大学教 員の研究を活かす形で行われると考えるのが普通。しかし,政治家やお役人には, どうしてもそれが分からなかったようだ。

 廃止されるのは、東京都立、都立科学技術、都立保健科学の3大学と都立短 大。新設の首都大学東京には、都市教養、都市環境、システムデザイン、健康 福祉の4学部が置かれる。伝統的な縦割りの学問体系ではなく、学際的に学べ る教育プログラムを提供する。

「伝統的な縦割りの学問体系」を否定してしまっては,「学際的学問や教育」 もできない。きちんとした「縦割りの学問・教育」がなければ学際的学問の 教育は成功しない。

 東京都大学管理本部の紺野秀之参事によると、今回の改革は二つの視点で行 われたという。「カリキュラムの固定化など、教える側の論理で組み立てられ ている教育を学ぶ側の論理で組み立て直すことと、限られた資金や人材を戦略 的に配分するなど経営的視点を盛り込むことです」。4校には毎年百数十億円 の税金が投入されているが、都では近年、10%程度のマイナスシーリングが続 き、教員の研究費も年々減少しているという。

「カリキュラムの固定化など、教える側の論理で組み立てられている教育を学ぶ 側の論理で組み立て直す」 というのは聞えがいいが,学ぶ側にそれ相応の知識 がなかったら何を選んで良いか分からない。専門家としての教員の作ったカリキュ ラムを否定するのは間違い。
「都では近年、10%程度のマイナスシーリングが続き、教員の研究費も年々減少」 しているのは事実。そして,法人化されると,6年間に渡り,毎年2.5% の効率化係数が課せられる。これで経営的視点の強化はなされるかもしれな いが,削減される研究教育費の元で,研究や教育の充実をどうやって可能に するというのか?まさか,すべて教員の自主的な活動にまかせるというので はないでしょうね?

 改革は行政主導で始まった。01年11月に都が策定した改革大綱に沿って教員 も加わり検討してきたが、「社会環境の変化に伴い再検討が必要となり」(同 参事)、外部有識者の意見を入れた新たな構想を03年8月に発表。そこでは大 都市の大学の使命を前面に打ち出し、都市の課題に対応する学問体系への再編 を提起。一部の教員がこれに反発し、新大学への就任を拒否するなどの混乱が 起きた。

「改革は行政主導で始まった。」という意識だが,大学ではそれ以前か ら改革委員会が活動していた。この2001年11月の前には,2001年2月に「都立大 学改革基本方針」が発表になっているが,このような流れは1999年,石原慎太郎 東京都知事が誕生して以来のもので,大学を行政側の自由に変えられるような 組織作りが2000年から始まっていた。それに対して,明確な態度で拒否する姿勢 を示さなかった当時の大学執行部は,宥和策を取り,結果としてずるずると東京 都のいいなりに都立の大学が変貌させられることになった。
「社会環境の変化に伴い再検討が必要となり」というのは,ご都合主義の屁理屈。 「都市の課題に対応する学問体系への再編」というのは,単なる掛け声。 本気で都市問題を学問的に扱うことを考えたら,「都立大学の都市研究所」 を中心に据えた研究教育体制を作ることができたはずだが,結果として, 都市研究所の大学院をつぶしてしまった。

 紺野参事は、「改革には様々な意見があって当然。そのため、新大学の設立 にあたってはできるだけ多くの教員に準備作業に参加してもらうようにしてい ます」と、全体としては、大学と行政が連携した改革だとの見方を強調する。

「できるだけ多くの教員に準備作業に参加してもらうようにしています」 というのはいつの話か? 恫喝書 で教員を震え上がらせて就任承諾書を提出させたのは, できるだけ多くの教員に準備作業に参加してもらうためだったとでも言うのか?

統合ではない廃止による新設については、「現状の学内体制や人事体系、管理 運営制度は、廃止という前提がないと抜本的に改革できないため」と説明。

抜本的改革をするためには,「廃止」しかない,というのは短絡すぎ。

 学生主体の教育への転換として、新設大学では「単位バンクシステム」を導 入、他大学での修得単位を認定し履修の自由度を高める。あらかじめ国内外の 主要大学の開設科目を審査し、首都大学東京の単位として認定できるものをリ ストアップし、単位バンクに登録する。学生はその中から、首都大学東京の授 業と同様に学びたい科目を選択する。またキャリア設計を明確にした上でこの システムを有効活用できるよう、学生サポートセンターにキャリアカウンセラー を置く。同センターではあらゆる相談を受け付け、ワンストップサービスを提 供する。

他大学での修得単位を認定し履修できる「単位バンク」制度を,他の大学が 受け入れてくれるという話はいまだに皆無です。一つの大学で「やる!」 といっても,他の大学が OK しなければできないのに,「できる!」と言って 宣伝するのは,誇大広告です。ちなみに「キャリアカウンセラー」という 名前は,「学修カウンセラー」という名前に変更されました。
「ワンストップサービス」というのは,お役所用語。さまざまな業務を 1つの窓口で済ますことができるのは,消費者にとって便利かもしれない。 現実には: なんでも相談することのできる窓口で働く人はオールマイティでなければ ならない。→ さまざまな業務を熟知している職員を用意しなければ ならない。● しかし,職員は,都からの任期付き派遣で,専門職職員不在。 これでは,目標を達成できるわけがない。

 設置予定の寮は単なる住居の提供ではなく、学生同士の密接な交流による人 格形成を促す「現代的な寮」(同参事)との位置付けだ。

「現代的な寮」のどこが「現代的」なのか? 寮長は,澤 英武(さわ ひでたけ)氏(76歳,昭和3年10月1日生まれ) だが,いったいどんな寮を作るつもりなのか?

経営側も教員人事権を共有
 運営に経営の視点を入れるため、公立大学法人を選択し、教学に責任を持つ 学長と経営に責任を持つ理事長を分離した。学長には、岩手県立大学学長・西 澤潤一氏の就任を予定している。教員組織は、教授と准教授の2区分のみのフ ラットな構造に変更。風通しのいい柔軟な組織を目指す。学科がなくコース制 にするのも、社会のニーズに即応して弾力的な教員配置を可能にするためだ。
 教員人事は、経営審議会と教育研究審議会の下に置く人事委員会(仮称)の 判断にもとづいて実施。詳細は検討中だが、教授会には人事権がなくなる。任 期制と年俸制も導入する。教授、准教授とも任期は5年で、年俸の中に業績評 価を反映する部分を設けて教育研究を活性化させる。ただし、業績評価に教員 の理解を得るため、細部を十分検討した上で開学1、2年後の導入を目指す。一 方、職員は当面都からの派遣で賄い、プロの育成は今後検討するという。

「教学に責任を持つ学長と経営に責任を持つ理事長を分離した」といっておきな がら,「人事委員会」にも経営側の人間が入る。つまり,教育・研究と は違った観点から教員人事をコントロールできる仕組みを導入することになる。
「教員組織は、教授と准教授の2区分のみのフラットな構造に変更」というのは, 事実に反する。実際には,主任教授,教授,准教授,研究員という四層 構造になる。
「任期制と年俸制」の細部が煮詰まらない内に,「管理本部からの「照会」文書 (1月21日締め切り)」がやってきた。そして,教員の業績評価の具体的な仕 組みに関しては,まだまったく未定の状態。 提案されている業績評価の仕 組みの基本は,「直属の上司による評価」(?)とか。これでは,「風通しの 悪い封建的階層構造」に逆戻りしてしまわないか?

 納税者に対しては、大都市の問題を解決する教育研究をサービスとして還元 するという。「都市問題の解決に寄与できる人材が輩出したり、研究における 行政との連携で都政のシンクタンク機能ができることで、都民も確実なメリッ トを享受できる」。03年度からは、都立大学が都内の高校生向けに、都市環境 に関するゼミナールや合宿形式の討論発表会を開講する「東京未来塾」がスター ト。新大学では、その修了生を対象にした特別推薦入試制度なども導入する。

納税者というのは,東京都民のこと。都民のためになるような「大学改革」 を考えているそぶりは見せるが,実の所,「東京都という行政機関」のためにな る大学を作るのが目的。2004年度から始まった「未来塾」は,東京都教育庁が 音頭を取って始めたが,大学側には何の相談もなく始めたために,いざ大学入試 の時期になって大混乱。なんとか塾生の希望を調整して(つまり,本来の希望の 専攻を諦めてもらったりして)ようやく収まった。来年はどうなるやら。

 「公立大学は地域の課題を解決する存在でなくてはなりません。その成果を 納税者に見える形で示す上で、大学の説明責任はより大きくなる」と同参事は 話す。

「公立」というのは,公(おおやけ)のためになるという意味。「おおやけ」 (public)の機関というのは,「利潤追求」という経済原則から離れ,「みんなの ためになるようなサービス」を継続的に公平に提供するべきもの。一つの小さな 地域の産業に役立つという意味ではない。「地場産業」との結び付きを強調する ような学長の元では,大学の教育や研究はおおきくゆがめられてしまうことが分 からないのだろうか?