◇ 特記事項※
対象組織から提出された自己評価書から転載
東京都立大学は1949年(昭和24年)に,都立高
等学校,都立工業専門学校,都立化学工業専門学校,都
立理工専門学校,都立女子専門学校,都立機械工業専門
学校の都立6高専を母体として成立し,1999年に
50周年を迎えた。平成12年3月に東京都立大学事務局
企画調整課によって編集・発行された『東京都立大学五
十年史』をもとに,都立大学の目指してきたところを大
学移転を含めて明らかにしていきたい。
戦後東京都は,6高専を基礎とする総合大学の方針を
固め,1947年に「都立綜合大学準備委員会」が設立
され,同年「都立綜合大学準備委員会答申」が出された。
そこで出された答申のなかで「大学の理念」が次のよう
にうたわれている(『東京都立大学五十年史』p.10):
イ 学科の綜合性発揮,ロ 大学の解放,ハ 学術研究
の社会進出 ニ 経済体制の確立
この理念の中心となるのは,学科・専攻に縛られない
自由聴講制,昼夜開講制,自由学生制度(聴講生制度),
都民生活への寄与であり,これが都立大学の今までにい
たる基本方針であることは,自由なカリキュラム,聴講
制度,第二部(B 類)の存在から明らかであろう。
都民への寄与の点で言えば,開学時に人文学部では「都
市社会学」が設置されており,各学部に都市関連講座が
増設され,1977年の都市研究センターに結実するこ
とは特筆すべきことである。
自由聴講の精神から見れば,開学時の昼夜開講制は,
従来の夜間学部とはまったく違う制度であり,1.昼夜
を通して同等の授業を行う。2.学生は昼夜の授業を自
由に聴講できる。となっていて,学生の昼・夜の区別は
されず,夜間の受講のみを行う者は卒業に5年かかると
いう規程のみであった,というのも本学らしい制度であ
った。しかしながら,このような制度は教職員の負担を
招き,また1955年の文部省の指導により,現行のA類,
B類の制度となった。
施設の老朽化や,大学改革を進めるための「大学改革
委員会準備会」が発足したのが1970年であり,それ
以降,1973年の「校地問題検討委員会」設置に伴い,
大学移転の候補地の検討が始まった。多摩ニュータウン
西部地区への移転が正式に決定されたのは1984年の
ことであった。1985年に「移転基本方針骨子(案)」
( 『東京都立大学五十年史』p.58) が作成され, その中
での基本理念は,1. 高い教育研究水準の維持向上。2.
国際交流の促進,3.昼夜開講制の維持発展,4.地域
の文化的発展への寄与,5.開かれた大学と都政への寄
与,が挙げられていて,項目の3〜5に開学時の精神が
息づいており,この移転の際にも本大学の特色である,
1. 小規模な大学,2.少人数教育,3.昼夜開講制,
4. 学部の枠を越えた自主的な履修,5.都政および都
民生活への寄与,を維持・発展させる形での新大学を目指
していた。この流れの中で,社会福祉学科が新設され,
学生定員増も行われている。また「国際交流」の観点か
らは,留学生の受け入れ増,外国人教員の採用,単位互
換の制度化などが進められ,「大学の開放」の観点から
は,入学者選抜の多様化(帰国子女,社会人選抜)など
が進められた。
以上のように都立大学は少人数教育,自由な履修など
の開学時の精神を保持しつつ,南大沢で統一キャンパス
を得るところまで来た。現在東京都の財政問題でかなり
の教職員減という事態になっているものの,2005年
開学の新大学に向けて動いているところである。新大学
においても,今までの成果を受け継いでいき,「都民の
ための大学」を実践していこうとするものである。