8・1事件 はちてんいちじけん

略語:この表現自体が「2003年8月1日に起きた事」あるいは, 「2003年8月1日に行われた 突然の石原東京都知事の会見 での『新大学構想』発表」に対しての略語。

別名:「8月1日事変」

使用上の注意: 極めて現代の問題なので,歴史を語る時に使うと誤解される(例えば2・26事 件,5・15事件と同時代に起きたことと誤解される可能性がある)。 従って,2003年の8・1事件のように年度が分かるように使うこと が望ましい。

説明:
2003年の8・1事件の概略は,すでに多くのメディアで伝えられ ているが,その大部分は都立大総長の目で説明されていることに注意 (科学技術大学の学長の目で見ると,話はまるで異なるはず)。 ここでは一般的に伝えられている事件の概要をまず説明する。
(1) 2003年8月1日。都立4大学(東京都立大学,科学技術大学,保健科学大学, 都立短期大学)の学長が東京都大学管理本部に突然呼び出される。
(2) 管理本部は「これまでの大学との協議体制は前日をもって終了した」こと, 「それまでに作られた東京都大学改革大綱は破棄した」こと, 「4大学の廃止,新たな4学部体制の大学を新設する」といった内容が紹介され, 「新大学構想を具体化する大学代表者を含まない検討組織が作られた」こと を一方的に告げらる。
(3) 質問をする間もなく,およそ一時間後, 知事の記者会見で概要が発表される。
背景(1): 1999年,石原都知事が誕生してまもなく,都立4大学を 統合するという発言が飛び出す。2000年7月には「新・東京都立大学改革計画 2000」,2001年2月には「東京都大学改革基本方針」が発表され,2001年11月に は,知事の署名入りの「東京都大学改革大綱」が発表される。しかし,8・1事 件ですべてはひっくり返された。
背景(2): 2001年7月1日,東京都大学管理本部が設置され,東京都立大学は第2事業所 扱いになる。
背景(3): 2003年7月31日まで生きていた案では,科学技術大学が 「吸収合併される」ような案だった。同大学の一部には,管理本部に対しての発 言権の大きかった教員がいた(ので,なんらかの強力な働きかけをした)。
背景(4): 2003年春(?)あたりから, 8・1事件を仕組むための案(「科学技術大学復活案」,「科学技術大学を中心 に据える案」)が秘密裏に検討された。その片鱗は,2003年9月に都議会文教委 員会で配布された 資料の8ページ「『新しい大学の構想』策定の経過」に見ることができる。
背景(5): 2003年8月1日,東京都大学管理本部長は,山口一久氏にな る。山口氏は,1999年には科学技術大学事務局長をしていた人物。
背景(6): 石原都知事は,「大学改革」を選挙公約にしていた。第2 期に入り,2003年 4月14日には今までの大学改革案に不満を漏らしていた (A-5)。
背景(7):4つの大学を1つにすることは,財政赤字に悩む 東京都のリストラ対象として最適のように見えた( 「大学の先生も大学生も今は騒がないから,簡単に首を切ることができる」と思った)。
蛇足情報:
まだまだ解明されねばならない背後の動きがたくさん残されているが,8・1事 件の本当の主役は,都知事ではなかったという説が有力。誰が中心になって今回の事件を引っ 張ってきたか,明言はできないが,教学準備委員会や経営準備室運営会議の メンバー,「首都大学東京」の主要ポストについている人達の重複を見れば 自ずと分かる。彼らが,(副)知事に進言し,管理本部を動かし, 今回の事件を作り出したと見るべきだろう。
 なお,「サンデー毎日」(2004年5月23日号,P.150)には,似たようなドンデン返 しの話が紹介されていた。青少年健全育成条例の改正にあたっての流れが急変し た話。 「子供を犯罪に巻き込まないための方策を提言する会」が緊急提言を 副知事に対して行い,これまでの緩和への動きが大逆転したという。 ちなみに,この緊急提言をした会の座長は,クビ大でもちゃんとしたポストを 得ることになっている都立大教授である。 この構図は,今回の8・1事件と似ていないだろうか?
 なお,8・1事件以後,いわゆる「新大学構想」は,大学管理本部に よって<協議を前提とせずに>強引に押し進められることになる。ここには, 残念ながら<大学教育とは本来どのようなものであるべきか?>とか, <大学での研究とは,どのような価値を持つか?>という理念の欠けた 人員削減計画が中心にある。あるのはせいぜい「実学を重視しよう」という 姿勢のみである。
間連語:  <都立大の駒場化(=科技大の本郷化),踊らされるポピュリスト,権力の座>
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