略語: 「カンリホンブ」。
正式名称は,「東京都大学管理本部」だが,教員や学生の間では,ただ「管理本
部」と呼ばれている。
使用上の注意: 都立4大学の教員の中では、しばしば登場する用語だが,「でもカンリホンブ は,***」という表現を多用すると当然のことながら嫌われる。「カンリホン ブに聞いてみるべきだ」という表現も,過去においてはしばしば使われたが, 尋ねてもまともな答えが返ってこないことが判明してからは,使われなくなった。
説明:
◯ 「都立の4大学(都立大学、都立科学技術大学、都立保健科学大学及び都立短期大学)
を円滑に管理運営し、大学改革を強力に推進する」ことを目的に2001年(平成13年)7月1日に設立される。
◯ それまで都立大学は,東京都の局の一つだったが,突然,
(人事権や企画計画の制限された)二級事業所へ格下げになり,大学管理本部が設置された。
◯ 大学管理本部は、都庁内での局にあたるものとして位置づけられ,東京都の
4大学を管理するようになる。
◯ 管理本部設立のすぐ後,「東京都大学運営諮問会議」が作られ,西澤潤一氏
(「首都大学東京」の学長予定者)が会長に就任した。
◯ 2001年2月に教育庁主導の元に作られた「東京都大学改革基本方針」は葬
り去られ,大学管理本部が主体となって同年11月に「東京都大学改革大綱」を発表する。
◯ 2002年5月,「都立新大学設立準備委員会」が設置される(委員長は横山教育
長:メンバーは,教育長,大学管理本部長,4大学総長・学長など)。
◯ 2002年11月,知事本部から「平成15年度重点事業」,「平成14年度行政評価
(政策評価)」が発表される。
◯ 2002年末,知事サイドから「ものつくり大学院」設置案を加えるようにとの
注文がつく。「今後の課題として来年度(2003年度)の調査項目」として取りあ
げられる。
◯ 2003年5月〜6月,管理本部長辞任,大学改革関係職員の更迭。
産業労働局総務部長の山口一久氏が管理本部長に就任,港湾局参事の大村雅一氏
が大学改革推進担当参事に就任。
◯ 2003年6月13日,第13回「都立新大学設立準備委員会企画調整委員会」が開か
れる(いわゆる8・1事件の前の「大学改革案」最終まとめが行われていた)。
◯ 2003年8月1日,8・1事件。
山口管理本部長は,4大学総長・学長を前にして「これからは,この方針で
やっていく」と宣言。およそ一時間後に知事の会見が行われた。
◯ 2003年8月29日,都立大学5学部・研究科長と科技大・保科大学長を集め,
山口一久新大学設立本部長(大学管理本部長)は本部長発言骨子
なる文書を配布し,その場で朗読,悪名高き教学準備委員会が始まった。
関連説明のポインタ:
管理本部自身の紹介ページ(外部リンク)
蛇足情報:
8・1事件の前の数ヵ月の間に,同時進行でこのクーデターに関わっていた人達が
いる。その人達の証言がなければ,この不可解な事件の真相は解明されない。
管理本部と一口に言っても,2003年5月〜6月以前の管理本部と,それ以後の
管理本部(新体制)では,実態がまったく違うことに注意しなければならない。
2004年2月には,管理本部は「産業科学技術進行指針」なるものを発表している。
なぜ,大学管理本部が産業技術に踏み込んでこのような指針を出したのか?
答えは明白である。教育を「産業のニーズにあった人材育成」と
して定義し,「産業力強化に役立つ大学」を作るという指針を立てたからで
ある。(参考:東京都立大学・短期大学教職員組合,新首都圏ネットワーク編
「都立大学はどうなる」花伝社,2004年.P.40)
かくして,「首都大学東京」は,産業奉仕大学として設計され,
2004年4月28日に文部科学省の設置審議会へと申請された。
間連語:
<権限の乱用,情報操作,二枚舌,まる投げ,から手形,公開質問状の無視>
XX-7へ戻る
FAQの先頭へ戻る