略語:「キョウガク」。同音語の「驚愕」を連想させる。
使用上の注意: 「教学」とは<教育と学問>のこと。首大 の教育と学問の在り方を検討する委員会というつもりで作られたが, その内容は現都立4大学の教員を「驚愕」させずにはいられなかった。
説明:
◯ 2003年9月5日に第1回教学準備委員会が開かれ,2004年3月29日に第7回が開
かれて終了。以後は,教学準備会議と名称を変更し,メンバーも入れ替わった。
◯ 2003年8月29日,都立大学5学部・研究科長と科技大・保科大学長を
集め、山口一久新大学設立本部長(大学管理本部長)が本部長発言骨子
を冷徹に読み上げるところから始まった。
象徴的なこの一方通行の通達方式は,その後の会議でも貫かれた(つまり,
「議論はしない」という管理本部の姿勢は変らなかった)と考えられる。
◯ 2003年9月5日に開かれた第一回教学準備委員会では,大学教員からは5学部・研
究科長と2大学学長が参加。
◯ 学内委員として参加したメンバーは,(1) たとえ学長や学部長であっても,
その組織の代表ではなく個人として参加することを約束させられ,
(2) 守秘義務を課すという内容の就任承諾書に署名を求められた。
◯ 参加の有無を即答できなかった都立大総長は,委員会のメンバーからはずされた。
◯ 自由な意見交換の場だからという理由で,議事録を一切とらず
に非公開な秘密主義のもとに進められた。
◯ 反対意見は議論の対象にならず,次々と管理本部側で決定事項が委員会終了
後に発表されていった。
◯ 2004年2月3日第5回の委員会では,委員の同意もないまま,
決定事項として書類がホームページに公開され,4大学の事務にも
決定事項を載せた文書として,全教員へ配布された。
◯ 教学準備委員会のメンバー:
【座長】
西澤 潤一 (岩手県立大学学長)
【外部専門委員】
川勝 平太 (国際日本文化研究センター教授)
冨田 勝 (慶應義塾大学先端生命科学研究所所長)
荻上 紘一 (大学評価・学位授与機構教授)
原島 文雄 (東京電機大学教授)
【学 内 委 員】
石島 辰太郎 (都立科学技術大学学長)
米本 恭三 (都立保健科学大学学長)
南雲 智 (都立大学人文学部長)
前田 雅英 (都立大学法学部長)
中塚 利直 (都立大学経済学部長)
佐藤 英行 (都立大学理学研究科長)
鈴木 浩平 (都立大学工学研究科長)
なお,教学準備委員会の下には,4つの検討
部会(単位バンク検討部会,入試検討部会,新分野検討部会,大学院検討部
会)が設けられた。
関連説明のポインタ:
N-4 大学管理本部との
話し合いは続いているのか
N-5 何でそんなに不
公平な委員会に出席し続ける必要があるのか
管理本部自身による,わずかばかりの教学準備委員会記録(外部リンク)
蛇足情報:
途中,しばらく教学準備委員会が開かれなくなった時期があった。
一方で設置審に出す書類作りが遅れ,決定しなければならない事項が山積みに
なったため,委員会を開くどころの騒ではなくなったと推定されている。
その後,事態の打開のために,大学管理本部は,3000万円を使って河合塾に,
都市教養学部の理念の外注を
し,英語教育のビジョンまで
作ってもらった。外注内容の伝えられた概要
は,新聞記事にもなった。
2004年2月3日の第5回教学準備委員会では,河合塾てこ入れ案が入手できた
おかげで,管理本部はつぎつぎに懸案の事項を決定事項として押し進める
ことになった。
2004年5月から,なぜ新しい体制として教学準備会議を作ったかという
疑問がある。これは,
(1) 「首大」に本当に関係する教員だけをメンバーとする,という理由と
共に (2) これまでの密室的イメージを払拭する狙いもあった。しかし,
本当にメンバーに加えたくないような口喧しい委員も結果として
加えざるを得なくなり,教学準備会議で姿を消した委員はごく僅か
となった。荻上 紘一氏 (元東京都立大学総長)は,教学準備委員会の途中から,
かなり委員会の進め方に異議を唱えるようになり,「新大学の教育研究に関する
検討会」当初からのお仲間達から嫌われ,除外されたと思われる。
間連語:
<守秘義務,密室会議,いいとこ取り,詳細設計の押しつけ>
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