都立大の危機 --- やさしいFAQ

C.  「都市教養学部」に関する質問


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C-1  そうかあ,なんだかくやしいなあ。 大学院への進学は考え直さなくっちゃならないかもしれない... ところで先生,さっき話題になった「都市教養」ってのは何ですか?  次へ

ポーカス博士

「都市教養」というのはな,実は何のことかわからんのじゃ。 何しろ,2003年8月1日に,知事の会見で突然出てきたものなのでな。

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C-2  「都市教養学部」っていう名前を決めたのは 都立大の先生ではないんですか? その人はきっと説明できるんじゃないですか。  次へ

ポーカス博士

「都市教養学部」という名前を考えたのは都立大の先生ではないんだよ。 2003年8月1日に石原慎太郎東京都知事が,「都市文化,都市工学などそれが集積する 東京でしか学べない,都市の文明を新しい教養としてすべての学生たちに 学ばせたい」と言っているな。たぶん,知事とか大学管理本部とか,そのあたり の人が考えたに違いないとにらんでおったが,2004年3月29日の第7回教学準備委 員会で,H委員が一人で「都市教養学部」という名前に固執したところから, この人物の提案なのかもしれん。教学準備委員会の西澤座長は,教養教育で人格 教育が必要だと唱えていたらしいので,知事が「都市」を押し, 西澤座長が「教養」を押し, だったら「都市教養」でいかがでしょうか,とH委員が2人の意見を 取りまとめて提案したとかな。わしの憶測じゃ。

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C-3  「東京でしか学べない都市の文明を新しい 教養とする」ってあたりがわからないんですが。 「東京でしか学べない都市の文明」って何ですか? ぼくにはそんなもの あるようには思えないんだけど。 次へ

ポーカス博士

鋭いじゃないか。「東京でしか学べないもの」という東京のアイデンティティ にかかわる部分。これが何か分からないと,先に進めないな。世界中の 他の大都市にはなくて,東京にしかないもの。例えば,地震大国の日本は, 建築工学などで独自の技術をもっているし,おそらく制度的にも独自の ものを持っているに違いない。だがな,これが「教養」とどう結びつくの か,分からん。とにかく東京都にとって必要なものを学ぶと宣言したかった ようじゃな。大学改革は知事の公約であったし,大学不要論を唱える人たちも いるから,苦肉の作として出てきた言葉だろう。ちなみに,「国際教養大学」 という大学が地方独立法人としてこの4月から発足するが,<国際教養> というのは,意味のあるネーミングだろうが,理想として高すぎるかも しれないな。都立4大学と並んで混乱が続く横浜市大では, 「プラクティカルなリベラルアーツ」というのが提案されているようで, これもわけの分からぬしろものじゃ。

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C-4  「教養」って,お金には結びつかないけれど, あるととても尊敬されたり人間性を養うのに必要な知識だって聞いたけど。 「教養」が都市と結びつくってあたりがどうしても分からないんですが。  次へ

ポーカス博士

わしにもさっぱりわからん。 新しいコンセプトを作りたいと思ったら,それなりに下調べをしなければならん。 例えば,このような場合は,「都市の」という形容詞を使う時, 逆に「田舎の」という対照概念が成り立つかどうかを検討せねばな。 「田園教養」というのを考えた時,それがいったいどのような内容を 持ちえるかじゃ。例えば,X県Y村でしか学べないような「田園教養」 というものを想像できるかな?
まあ,大学管理本部も東京都知事も,結局自分でも情けないことに分からなかっ たので,高い授業料を払って河合塾にお願いしたのだろう。 (河合塾理念丸投げ問題(1) 河合塾理念丸投げ問題(2)

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C-5  そうすると「都市教養学部」って英語で 何て言ったらいいんでしょうか? 次へ

ポーカス博士

そうだな。英語にしてみると「都市の」という形容詞が urban , 「教養」が liberal arts だから,「都市教養」というのは urban liberal arts ということになるかな。おそらく,Faculty of Urban Liberal Arts とか英語で言うと,国際的には誰にも理解してもらえんじゃろ。 実際に何人かの外国人の言語学者にこの学部名を聞いてもらったら, 目を丸くしてびっくりすると同時に,あきれ顔で笑っておった。 2004年3月29日の教学準備委員会では,Faculty of Urban Studies and Liberal Artsという英語名が提案されておったらしいが,会議終了後に 大学に送られてきた資料では,そのページがすり替えられていて, Faculty of Urban Liberal Artsになっていたということだ (P-9)。
ここはひとつ, 「都市教養とは何か?」というテーマで石原知事に英語で説明してもらうと いい。そもそも,都立大を含めた東京都の4つの大学を廃校にする と言いきっているのだから,この際,設置権者の当然の責任として, 各大学へ直接出向いて,自分の口からその理由を説明してもらおうではないか。 「説明責任」(accountability)は,政治の世界での常識なのだから。

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C-6  先生,分かったような気がします。 つまり「都市教養」って,「新しい教養」だからお金に結びつくんじゃ ないですか? 渋谷の若者ファッションを研究すると,それで世界の ファッションを先取りできるとか。 次へ

ポーカス博士

うーむ,確かに金に結びつく「教養」とかを石原知事は考えているのかもしれん。 だったらな,「教養」という古くからある概念を蒸し返す必要はないだろう。 竹内 洋著「教養主義の没落」(中公新書 1704)でも読んで, この概念の背後にあるものを考え直してもらいたいものだ。
そもそも,「都市」という名称を 「理学部」,「工学部」,「経済学部」,「法学部」,「人文学部」 のすべての学問にからめようとするのが無理なのじゃ。10月28日の大学見学会で, 高校の進路指導の先生が 同じような疑問を持って質問したそう だ。何で「都市」という冠をあらゆるコース名の上につけようとするの か? 東京都の大学だからだって? 馬鹿を言っちゃいけない。そんなことで, 学問名や専攻名を変えられたらたまったもんじゃない。

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C-7  「教養」って言葉の裏が少しわかったような気 がするけど,ぼくらが受験の時は,「教養」って名前のついた学部はICUのよう な一部の伝統校を除いて不人気だったな。だって,何ができるかわからないし,就職先だってわかんないから。 でもいったい何でそんなに「教養」にこだわるんでしょうね? 次へ

ポーカス博士

一説には,学長候補者が「教養主義」を讃えているらしい。知事の会見の中でも, 懐古趣味が出て,昔の旧制高校の全寮制はよかったとか言っとるじゃろ。 時代錯誤もほどほどにしてほしい。 旧制高校が廃校になったのは1950年,今から53年前だ。ちなみに,旧制高校は さながら語学学校のようで,ほとんど毎日外国語の勉強をさせられていたとい う話もあるがな。
もう一つの説は, 南大沢キャンパスをいわゆる「教養学部」にしてしまおうという考えじゃ。 言い換えるとな, 科学技術大学のある日野キャンパスに理系専門学部で先端的なものや新しい学部を置いて, 教養教育は全部,南大沢キャンパスに押し付ける, たとえて言えば「南大沢の駒場化」,「日野の本郷化」だな。分かるかな?
 最近の話題では,「週刊朝日」(1/16号,P.24)にある教育コンサルティング会社の代表が 「...ICU(国際基督教)は教養学部という設定が受験生に支持さ れなくなっています」と発言している。ただ「教養」という名前だけでは, やはり学生を集められなくなっているのではないかな。 2004年1月5日共同通信ニュースでは, 秋田県に今年の春に開講する県立国際教養大学の話が紹介されておるが, こちらは徹底的に個性を出そうとしている。 公立大学では初めての独立行政法人となるのだが,すべての授業を英語で行い, 一年間の留学を義務づけているうそうじゃ。 さらに,入試で不合格になった学生の一部を定員とは別枠で一年間受け入れ, その成績次第では2年生から正式な学生になれるという制度を導入するらしい。 ただ「都市教養学部」と名前をつけても, 教育内容に個性がない新大学では学生は集まらない。

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C-8  12月5日の朝日新聞ではついに「新都立大の目玉─ 都市教養の理念」を河合塾に外注するってでていましたが,どう思いますか?  次へ

ポーカス博士

これまで言ってきたように,「都市教養学部」という概念自体,東京都の大学管 理本部から突然8月1日に降ってきたものだ。その具体的な構想がわからないまま, 詳細設計という名のもとに従来の科目の上に「都市」という冠をかぶせたコース が次々と大学管理本部から提案され,それに沿った形での具体的な授業の名前や 内容を教員は作らされてきた。「理念がない」,「理念が分からない」 という不満は都立大の教員が初めから持っていた。最近になって,管理本部から 理念を作れというお達しがきたという噂だった。そうしたら今回の突然の朝日 新聞の報道じゃ。「都市教養学部」とその中の「国際文化コース」の理念を 河合塾に外部委託するという。合わせて,類似した学部や学科に関する基礎資料 を収集させる。そのために今週中におよそ3000万円で河合塾と契約した。 これに対しては,「都立の大学を考える都民の会」が12月11日付で 申し入れ書を知事と管理本部宛に 送付している。そして「都民の会」では, 東京都情報公開条例に基づいて情報開示請求を行い, 河合塾依託文書も公開されている。詳しくは, この情報開示の結果を読んでもらうとして, 今回の河合塾依託に至る経緯で, どこが根本的に間違っているかわかるじゃろう?


 (1)東京都の誰かが「都市教養学部」という名前を思いついた。(知事?副知事? 学長候補?管理本部の誰か?)

 (2)「都市教養学部」という名前のもと都立大の学部を廃止して, その下に都市という冠のついたコースをいっぱい大学管理本部は作った。

 (3)管理本部は,教員に「都市教養」を意識させた授業科目の概要を都立 大教員に書かせた。

 (4)管理本部は,やはり理念が分からないので,教員に聞いてみたけど分からなかった。

 (5)河合塾に外注することにした。ついでに「大学の教員は発想が古い」と 文句をつけた(約3000万円のお金がかかるが,もちろん都民の税金から出す)。

問題はな,大学教育・研究の理念を大学人以外の人が作り,それを大学に押しつ け,挙げ句の果てに大学教育・研究を外注した理念の基にやろうとするという前 代未聞の暴挙にある。「理念を作れなかったのは教員のせいだ」というのは大間 違いだ。「提案した人は、それを証明する義務がある」(burden of proof)と 言うのは国際的な議論をする時の常識じゃ。 「都市教養学部」を提案した人に説明責任があり,その必要性を証明する 義務がある。それを怠っている東京都と大学管理本部は,職務怠慢であり, 税金泥棒である。

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C-9  それで河合塾はいったい,いつどんな答えを出したんですか?  次へ

ポーカス博士

大学管理本部が1月10日に河合塾に外注した理念などの答えを受け取ったそうじゃ。 もっとも噂では,当初の河合塾の案が気に入らなかった管理本部が, さらに書き直させたというのだが。これはいずれ情報開示請求で明らかになるは ず。
 2004年2月4日に管理本部のホームページに,2月3日の教学準備委員会 の資料が突如アップロードされた。 これじゃ。 都立大短大組合のホームページには,すでに 批判文書(pdf)が 公開されている。しかし, これは教学準備委員も,都立4大学の教員も初めて見る内容で, 話に聞くところでは,2月3日の教学準備委員会でも, 単位バンクの件について少し議論しただけで,一方的に話を聞かされた だけらしい。いつも通りの強引なやり方で, すぐさま委員から非難の声が上がったようだ。 今回の発表内容に関しては, まだ誰も細かいところまで検討する時間がないままに, 管理本部のホームページに決定事項のように載せられたという点が, これまでよりも悪質だ。 社会のニーズに答えるというかけ言葉のもとに, いろいろな資料で肉付けしている。中には, またまた情報操作と言える部分がある。
 例えば,国際文化コースの所に期されている 「ニーズの低下した分野」に独文と仏文の専攻希望者が それぞれ2名,0名であるとなっているが, これは本年度のA類二年生の人数だ。 独文だけについて言えば,学年合計受け入れ数9名のところ
4年生:A類 8名,B類 2名 合計 10名
3年生:A類 7名,B類 4名 合計 11名
2年生:A類 2名,B類 3名 合計 5名
となっている。この中で,もっとも少ない部分だけに言及して, ニーズが低下した証拠として挙げるのは間違っている。
ちなみに,今年度の1年生で独文を希望している学生の 内訳は,以下のような状況じゃ。
A類
第一希望:5名,第ニ希望:3名,第三希望:11名 (合計19名)
B類
第一希望:1名,第ニ希望:6名,第三希望:3名 (合計10名)
独文が「社会的ニーズの低下した分野」と見なされること自体は, 近年の傾向として事実であろうが,この数字の出し方は, 作為的だ。
さて,今回の河合塾てこ入れ案じゃが, 全体的に「実践的教育をする」ことだけに終始しているという印象が強い。 河合塾が,いろいろなデータを持ち出して同じようなシステムがある, とか,こんなアンケート結果があると裏打ちしていることで, 見る人を説得しようとしている。 しかし,教育システムとして,本当にこれだけ多くのことを一度に やるだけの予算が東京都にあるか否か,また,これだけの体制を 残りの一年ちょっとで作り上げることができるかどうか,はなはだ 疑わしい。

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C-10  管理本部が「大学の先生に検討をお願いしたがタコツボ的発想しかでてこなかった」 と言ったらしいですが,タコツボ的発想ってなんですか? 次へ

ポーカス博士

タコツボというのは,蛸壺と書くが, 「海底に沈めておき、タコを捕えるのに使う素焼きのつぼ」だな。 もちろんこの「タコツボ的発想」というのは批判的な意味で使われている。 「個々の教員がばらばらに自分の専門を教える」 のが典型的なタコツボ的大学教育だと言われているところから, 「一人一人の教員が外の世界とは隔離されたところに閉じこもっている」 というようなイメージから来たのだろう (意外なことにこの意味は,ほとんどの辞書にまだ載っていない)。 しかし,この管理本部の言葉の使い方は,この意味でもない。 「タコツボ的発想」という言葉で管理本部が非難しているのは, おそらく「1つの専攻を単位とした発想」であり「さまざまな専攻をまたがるような発想」 ではないということだ。ここでも,大学管理本部と石原都知事は大学の研究のある姿を大きく誤解している
 研究には,少なくとも次の3種類がある。
(1)  「タコツボ的にしかやることのできない」基礎学問分野 --- 「タコツボ基礎」と略
(2)  「その学問の性質から多分野に渡ってしか研究できないような」 学際的基礎分野 --- 「学際基礎」と略
(3)  「さまざまな分野に広がりを見せる」実用的な応用分野 --- 「実用的応用広分野」と略

大学管理本部と石原都知事は, 新大学構想を明らかに「実用的応用広分野」 の意味での研究を中心にしようとしておる。 しかし,「タコツボ基礎」の形でしか研究のできない分野もある。 例えば数学基礎論とか理論物理学というのは, 純粋な形での研究が大きな意味を持つ分野だろう。 都立大人文学部には, 「タコツボ基礎」にあたる分野だけでなく, 文学や言語学のように「学際基礎」でしか成立しない分野もある。 「実用的応用広分野」を作るために「タコツボ基礎」と「学際基礎」をつぶすとか, 「タコツボ基礎」 や 「学際基礎」 は学生の就職に結びつかないと批判して, 不要だとか考えるのは間違いだ。「タコツボ基礎」 や 「学際基礎」 の基礎研究がしっかりしていないと, 当然応用研究はうまくいかなくなる。 いきなり「都市教養」をやるとブチ上げても, これは実体の分からない「実用的応用広分野」で, どのような基礎研究の上に成り立つのかわからない
 論理学者の野本 和幸氏(東京都立大学名誉教授)は, 筑波大の鬼界氏の「都立大に関する文科大臣への要望 書」呼びかけに賛同したメッセージの中で次のような例を挙げている。


...19世紀から20世紀への変わり目に、 ドイツの一大学の数学科の片隅で、 学界からも同僚からもさして認められず正教授にもなれなかった G・フレーゲという人物が切り拓いた新しい論理学が、 100年後の今日のコンピュータ時代を用意する基礎を築いたのでした。 何の役にも立ちそうになかった彼の研究を支えたのは、 光学理論によってツアイス光学器機企業を起したその師アッベで、 ツアイス財団の非公式な援助と、財政的に厳しい状況のなかで、 大学を重視し学問の自由を尊重した当時のワイマール宮廷政府の優れた文化政策だったのでした。 


論理学もまた「タコツボ基礎」であり,応用分野はもちろん存在するが, 純粋な形での基礎研究がなければ応用研究は存在しえない。 「タコツボ基礎」は「学際基礎」とともに,地味な基礎研究に属するので, すぐにその研究がお金になるとか,すぐにその研究成果がでるようなものではないし, それを勉強した学生の就職率が高いということはあまり考えられない。 しかし, 「タコツボ基礎」も「学際基礎」も, おろそかにできない研究分野であることを忘れてはならない「実用的応用広分野」の研究・教育だけを目指すのは, 「職業訓練校」であって大学ではない。 「タコツボ基礎」や「学際基礎」にあたる研究を, 政府や地方自治体が軽視し, 「実用的応用広分野」のみにお金を出して学生に勉強させるような政策を取って 「学問の自由」(G-3, M-16)を軽視すると, やがて日本の学問研究は, 他の国で行われた基礎研究の上にしか展開できなくなり, 深刻な危機に直面することになるだろう。

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