都立大の危機 --- やさしいFAQ

N.   他大学の改革と決定的に違う点に関する質問


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N-1  今までいろいろと聞いてきたけど,他の大学 の改革の話と何か決定的に違うような気がするんですが,何なんでしょうか?  次へ

ポーカス博士

ようやっと分かってきたようじゃな。 他の大学の改革案と根本的に違うのは,「文学専攻」がなくなるとかそんなレベ ルの話ではない。大学の真の改革は,現在の大学の分析から始まる。 かくかくしかじかの理由で,この部分が機能していないとか, あるいは新しい学問領域が必要だという議論が生まれてそこからスタートするの じゃ。大学の研究や教育を良くしようという理念が必ずそこにはある。 しかしじゃ,今回の 「都立の新大学構想」は, 設置者である知事の思いつきからスタートしておる。 しかもその思いつきは,リストラをして東京都の財政を建て直す一環として 考えられているだけじゃ。大学の財政を建て直すというのは2次的な意味しかな い。もちろん新しい教育や研究内容は,全然問題になっていない。 「都市教養学部」にしても, 「観光・ツーリズム」コース,「メディアデザイン」コース,「産業系デザイン 」コースにしてもしかり。「同意書」の第3のポイントを覚えておるか? 「詳細設計に関わる」という部分があったが,あれはな, 名前は考えたから理念とか中身はそっちで早急に決めろという意味な のだ。理念や中身を教員が決めるならいいじゃないか,と思うだろ。 それが間違いなのだな。かってな名前をつけておいて,おまえはそこへ行け, と言われ,そこで自分の専攻を研究したり教えたりできないとしたらどうする? 「オープンユニバーシティ」しかり。中身は箇条書きの文が数行で,何をど うするかは決っておらん。でも,そこへ行けと言われる。詳細設計という名のも とで,教員が一所懸命考えてプランができあがったとする。しかし, そこのポストの性格を決めるのは東京都で,任期制で年俸制だからいつでも首に できる,とまあこういう筋書きだ。 一方では, 不条理なやり方だということを知りつつも,自分にあった専攻に声がかかっている教員は反対しづらくなっ ている。これは都庁の分断作戦の一環となっているわけだ。銃殺される時 に,自分が埋められる墓を掘らされているような教員がいる,ということじゃ。

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N-2  なんか悲しい結末ですね。そうすると,あの 知事の発言にあった「全寮制」というのもただの思いつきなんでしょうかね?  次へ

ポーカス博士

そうじゃろう。だいたい8月1日の会見内容というのは,まことにおそまつじゃな。 全寮制というのは,学生が全員寮に入るシステムじゃな,言葉の意味からして。 「いきなりというのは無理かも知れないから当初は50人くらいから始める」 というのは全寮制ではない。しかも,新しい寮を作る予算など全く計上してい ないから,現在ある学生寮を使う可能性が高いのだが「東京塾」とか なんとか名前をつけてあたかも新しいことを実際に計画しているかの ように見せる手法じゃ。石原知事は,昔の寮生活に郷愁 を感じておられるのじゃな。だから作りたいと。実質的な議論や検討をせずに, このような思いつきをすぐに実行しろという。その結果, 平成17年度からの「首大」発足の時に合わせて入学してくる学生の中から, 50名が現存の都立大学の寮に割り込んでくることになった。毎年, 50人ずつ「東京塾」に入るといって都立大の寮に入ってくる。 都立大の寮生はどんどん追い出されることになりそうじゃ。

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N-3  さっき出てきた言葉, 「設置者権限」というのがどうも腑に落ちないんですが,どんな権限 なんでしょうか?  次へ

ポーカス博士

東京都立大学をもともと設置したのは知事の権限による。 それを根拠に,大学の廃止や新設は同様に知事の権限内にあると 考えておるようじゃ。ちょっと乱暴に言えば, 「作ったのは知事だから知事の好きなようにできるさ」 という考え方だ。 しかし知事は,私立の大学の理事とは違い,行政の側の人間だ。 行政の側が, 教育現場の教育内容にまで踏み込んできているというのが,今回の 「都立の新大学構想」のキナくさい所じゃな。 例えば「新しい大学」の人文学部の定員は64名と決めるのは, 設置者の権限だと言う。しかしじゃな,その人的資源として現在の 東京都立大学人文学部を利用するとなると,話は変わる。 研究・教育の現場で,最低この学問を教えたり研究したり するのには何人の教員が最低必要か,とか, その分野で資格を取得するのにはどんな科目を履修して どれだけの単位を取らなければならないかという限界があるのだが, 64という定数はこの研究・教育の現実の限界を考慮していないのじゃ。 これは,結果的に,都知事という政治家が自分の好きな大学を 作るという次元で教育をねじ曲げてしまうことになる。
10月24日の朝日新聞の記事に引用されている学生の意見はまことにもっともじゃな。


「知事は学生のための大学と言うが,自分の理想のための大学では (ないのか !)」
     (2003年10月24日朝日新聞社会面より。括弧内はポーカス博士の加筆注釈)

東京都の大学管理本部では,あらゆる場面で設置者の責任で決定する と連呼して,「4つの大学を廃止する条例」と「新しい大学を設立する条例」 を発令すると息巻くが,文部科学省では,「移行・統合・改組」 であると考えるじゃろう。どっちが本論か,どっちの解釈が普通か と問われれば,当然文部科学省の考え方が常識的というものじゃ。 「設置者権限」という法的解釈がよく分からない言葉を多用して, 最後まで押し切ろうとしておる。ある人が言っておったが,「権力者は法律を 破りたがる,民衆は法律を恐れる」というのは, 今回の異常事態の中でも起きていることだな。
2004年1月1月26日に筑波大学の鬼界彰夫氏が 文部科学省に(325研究教育機関の有志 1280名が連署と共に)提出した要望書 には,大学の設置者に関する正しい認識が示されている。


...大学の設置者は、日本の学術研究シ ステムの維持発展に対する長期的で持続的な責任を名誉あることと して自らの意志によって負っているのであり、設置者の財政破綻等、 設置者がその意志にかかわらず大学の運営が困難になるといった重 大な理由無しには大学の廃止は許されることではない。銀行がその 設立者の私的所有物でないように、大学は国公私立の別を問わず公 的な存在であり、設置者が意のままにできるものではないのである。 石原都知事の言動と再編計画は、大学設置者は大学を通常の商業施 設のように短期的な需要の変動に応じて開設・閉鎖できる、という 大学と学術に関する根本的な誤解をあらわにしている。
(抜粋:全文はhttp://poll.ac-net.org/4/ を参照)


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N-4  それで,大学管理本部との話し合いは続いて いるんですか?  次へ

ポーカス博士

続いているにはいるのだが... その話し合いの場は,2004年3月までは「教学準備委員会」といった (2004年5月10日からは「教学準備 会議」と名称を変えた)。 例えば4回目の委員会は,10月23日に行われた。都立大からの出席者は,各学部の学部長だ。 学長予定の西澤氏が座長となり,大学管理本部の人たちと話し合いをする。 ただ,伝え聞くところによると,管理本部側が次々と「新大学」に関する詳細設 計を宿題として出し,いついつまでに具体案を提出せよと迫ってくる会議らしい な。人文学部では,64人の教員定員ではやっていけないと抗議して変更を何回も 求めたようだが,「定数は決定事項だ」と言ってまったくとりあってもらえない。 さらにひどいことに,前の教学準備会で変更を確認したような ことでも,気がつくとひっくりかえしてしらんぷりするようじゃ。なにしろ, 証拠が残るのが怖いのか,議事録すらとっていない。 密室で決めるというのはまさにこういう体制をいうのだな。これでは, 民主的な話し合いの場とは言えない。7月31日までの管理本部の会議では, ちゃんと議事録も取り,その内容の確認や訂正も行っていたのだ。これが, 普通の会議というものだ。11月に入って管理本部も, これ以上密室での会議と批判されるのはまずいと判断したのか, これまでの 教学準備委員会のメンバーと日付,それに議事項目だけをホームページで公 開した。これでは到底会議報告とは言えないが,密室でやっている訳ではない と言い訳することができると考えているようじゃ。こまった体質だ。
 そして2003年11月,12月とついに教学準備委員会すら開かれなくなってしまっ た。年が明けて2004年2月3日,ようやく第5回の委員会が開かれた。 そこでは,河合塾外注案が登場し, 例によって A3版の多量の文書が配られ一方的な説明を聞かされ, ようやく単位バンクに関しての質問をし始めた ところで時間切れ。時間延長しても, 委員会管理本部提出案を議論する時間がまったく足りなかったらしいが, 管理本部では,それらの案を了承して欲しいと迫ったそうじゃ。 委員の側から, <ほとんど議論をしていないのに決定事項とはできない>と反論が出て 座長がそれを認めたにもかかわらず, 大学に戻った委員は, すでに多量の書類が事務長を通じて,教員へ配布されていたのに驚くことになる。 しかも,その書類に記載されていることは決定事項である,と伝えられていた。 まあすべてがこの調子じゃ。
 2004年3月23日の第6回教学準備委員会は,異例なことに都立大総長と短大学 長も呼ばれた。しかし,この日は, 「首大」の人事に関する報告が中心だったらしい。 座長の西澤氏が学長として就任することになるという挨拶があり, その挨拶の場に2人は呼ばれたようだ。 「(管理本部流)議論」の場に都立大総長と短大学長を呼んだわけではなかった,ということじゃ な。ちなみに,突然 エクステンションセンター(=オープンユニバーシティ) に関する書類が出てきたようじゃが, いつものようにいろいろな図と矢印で書かれているので, ある委員が「きちんと文章にしてくれ」と要望したそうだ。そう, 管理本部提出の案は,大部分が図と矢印と箇条書きメモで作られている。 このままだと,最終的に文章になった時に, どのような論理の中に埋め込まれるのか分からない。 どのような話を背景に,どのような順序で文章化するかによって, まったく違った性格の案になる可能性がある。危険じゃ。 もちろん,管理本部は意識してやっていることだろうが。

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N-5  そんなの話し合いじゃあないですよ。 何でそんなに不公平な委員会に出席し続ける必要があるんですか? ぼくだったら,さっさと怒って出てきちゃうけどな。  次へ

ポーカス博士

怒って委員会の席を離れることはいつでもできる。だがな,ホーカス君よ, 学部長というのはな,学部の教員と学生全員に対して責任を持つ立場なのだ。 「新しい大学構想」の中で,人文学部が形を変えても残れるのなら, 少しでもよい形にしたいと学部長は考えているのじゃ。 今,人文学部長が委員会から手を引いたら,大学管理本部は 「しかるべき別の人に仕事を依頼する」と主張している。 河合塾外注問題(P-3)は, まさに管理本部が脅しとしてこれまで使っていたものを実現したものだと 考えられる。 大学管理本部は,教学準備委員会を開かずに好き勝手にやる ようになった。 人文学部長は,都立大の他の学部長となんとか歩調を合わせつつ, 抗議することは抗議し, 少しでも未来の人文学部の研究・教育体制をよくしようと 対案作りに励んでおる。すでに都立大執行部は,いくつかのワーキング・ グループで着々と対案を形にしつつあるが, どこまで学生や都民,そして教員全体の希望に沿ったものにできるか, というのは難しいところじゃな。

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N-6  なんか脅かされているように思いますね。 そんな状況の話し合いじゃあ,総長が主張するように「自由活発」な議論が できないんじゃないですか?  次へ

ポーカス博士

おやおや,「自由活発」じゃあないよ。「自由闊達」だ。「闊達」とはな, 「度量が大きく物事にこだわらないさま」を表しているんだよ。 「自由闊達な意見交換が大前提」という雑誌「世界」のインタビュー 記事(2003年12月号)の見出しの背後には, 議論を戦わせる時には, 細かいことにはこだわらずに自由に意見交換しなければいけない, という総長の意見が込められており,教学準備委員会がそのような環境で ないことをアピールしておるのじゃ。
実は11月13日に, 都議会文教委員会 が開かれたのでわしも年休をとって でかけて行ったが都立大の教員と学生だけで50名を越える人数が集まって いて,20枚の傍聴券しか出ないためにわしも傍聴できなかった。 14時30分から17時30分くらいまで続いた委員会での議論を後で又聞き したのじゃが,大村参事という大学管理本部側の人が


総長をはじめ一部の教員が「自由闊達」な意見交換を阻害している。 教員とは十分に話し合いをしている。その証拠に、彼らは 詳細設計に協力している。 今の段階で、学生に答える義務があるのは教員である。


というようなことを主張していたようじゃ ( 11月13日文教委員会会議録参照)。 まったくお役人というのは,よくもまあぬけぬけとこんな答弁を するなあと関心してしまう。 大学側の人間が主張することをことごとく切り捨て, 都合のいいところだけをつまみ食いし, いったんはこちらの主張を認めたと思ったら次の会合では引っくり返す, その証拠が残らないように議事録を取らない。 それで大学管理本部は,最近自分達は「自由闊達」な議論をしていると 主張し始めているのだ。 果たして本当に「自由闊達」な議論ができる場を取り戻せるのだろうか...

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N-7  あれー,教学準備委員会に加わった先生たちは, 「口外しない」と約束させられたのに,文教委員会ではその先生たちが 説明すべきたって言うのは矛盾じゃないですか?  次へ

ポーカス博士

もちろん矛盾じゃ。教学準備委員会に加わるにあたって,例えば都立大の各学部長は, 「就任承認書」で協議内容を口外してはならないと署名して約束させられた という話だった。しかし11月13日の文教委員会では,
学生への説明は本来,各大学の教員が責任をもって行うべきだ。 ところが,都立大学の一部に職責を果たしていない教員がいるために, 学生が動揺しているのではないかと思っている。
と言っている一方で,同意書をとった意図に関しては
口外禁止は,自由闊達な議論を保障するためで,社会人として 当然のマナーである。
と言ってもいる。要するにな,


A  教学準備委員会の委員になったら,協議内容を口外してはなら ない。(一般則)
    「教学準備委員会は,都立大の先生を含む」(事実 F1) (就任承諾書)
B  学生からたくさんの公開質問上や問い合わせのファックス,メールが 来ている。(事実 F2)
C  Bは,都立大の先生が学生に新しい大学構想に関して説明する 責任を果たしていない結果である。
    (事実 F2 に対しての推論 G)
D  Gに基づく発言。「都立大の先生は,もっと新しい大学構想を学生に 説明すべきだ」。(主張 H)


主張 H が偽(false)であるというのは,誰でも分かるな。 A事実 F1を含むから,「都立大の教学準備委員会の委員は, 協議内容を口外してはならない」ことになるが,文教委員会ではDに含ま れる主張 H「都立大の教員は学生にもっと説明すべきだ」と言っている。 主張 H一般則 Aと矛盾する。

さらに,推論 Gの根拠として事実 F2を挙げているが, これは「大学管理本部に回答を求めている」もので,事実誤認に基づく 誤った推論である。こんなにややっこしく説明しなくても,子供でも直感的 に理解できる論理じゃ。なぜこんなことを言うかというと,金子雅臣著「役人はなぜウソを つくのか」(日本評論社)を読むと分かるかもしれん。なにしろ,本人がお役人 で,「いざという時の対応ができずに,とっさにすぐバレるウソをついてしまう」 と告白しておるな。理由は正にこれじゃろう。
口外禁止は,自由闊達な議論を保障するためという主張もまことに面白 い。「教学準備委員会で話していることを外で言うと, 教学準備委員会参加者は,自由闊達な議論ができなくなる」 という主張をしている。さらに,自由闊達な議論を保障するために議事録は 取っていないとも言っている。これは「議事録をとると自由闊達な議論が できなくなる」ということを裏で主張している。簡単に言い換えるとな, 委員会では記録をとってないから好きなこと言っていいよ,外にも言わない 約束だから好きなこと言っていいよというポリシーじゃ。 だから自由闊達だというのは間違っている。なぜならこのような 方針でやったら誰も責任を取らなくなるからだ。自分の言ったことに責任を 取らない,人の言ったことも記録しないから無視して良い,ということにつなが り,大学管理本部が最終的には自分の思うように変えても誰も文句を言えない 形なのじゃ。よくもこんな発言を文教委員会でできるもんだ。 恥ずかしくて,わしなど赤面してしまうぞ。

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N-8  「新大学の開学に向けて」という大学管理本部ホームペー ジに載っている話にはいくつかの捏造(ねつぞう)が含まれているって聞いたん ですが本当ですか?  次へ

ポーカス博士

「新大学の開学に向けて」という文書自体が管理本部が考えていることを そのまま書いたというしろものでな,事実を歪みなく伝えて情報を開示するとい うものではないのだ。
まず,ちょっと分かりにくいのじゃが,「都立大学を除く3大学の教授会が 8月1日から9月上旬にかけて新構想に賛意を表明した」 と「新構想発表以降の検討経過」に書いてある。こんな時期に教授会を開いて 承認する訳がない。確認が取れているのは科学技術大学と短期大学だけだが, この時期には教授会は開かれていない。勝手に文書を作って事実で ないことを事実のように語る文書を作る,これを捏造と言うが,まさに その通りじゃ。
 例のI-3で取りあげた10月9日の「3大 学学長意見表明」も,このホームページでは,「学長声明」としてあたかも 大学の意見のような書き方をしているが,大学の意見ではない。 なにしろ3大学では,この「意見表明」の 前後に教授会などぜんぜん開かれていないのじゃ。しかしな,大学管理本部の巧みな 広報活動で,新聞各社は「都立大学以外の3つの大学では新構想に 賛成している」と報道したのじゃ。科学技術大学ではな, 10月21日の教授会で、これが大学を代表しない学長の個人的意見の表明にすぎないこ とが確認されたが,そんな本当の話は報道されないのじゃ。 捏造された事実だけが報道され, 真実が報道されないという許しがたい事態がそのままに放置されているのじゃ。 それをぬけぬけと大学管理本部はあいかわらずホームページに掲載している。
 この「学長達の意見表明」はそもそも大学管理本部が主体となって作ったと 言う噂が真実味を帯びている。つまり,管理本部が文書を先に作って, こういう文書を流しますからね,と了解を求めたという説じゃ。 大学管理本部のホームページにはあっという間に公表されたが, 他の3大学のホームページに掲載されたのもほぼ同じ頃だった ようじゃ。翌日の新聞には,一斉に「都立3大学は新構想に賛同」という文字が 踊った。ある人曰く,あの文書の中に, 大学管理本部が作ったという証拠らしきものがあるそうじゃ。 残念ながら,わしには発見できなかったが...
 また8月29日には「学長意見聴取」と書いてあるが、都立大5学部長と 科技大・保科大学長が「個人」として大学管理本部に呼ばれ, 「新構想」への賛意と教学準備委員会への参加が求められただけというのが 実情じゃ。これを,「大学からの意見聴取」と呼ぶのはおかしい。 「意見聴取」というのは「意見を聞き取る」という意味だから <もし大学管理本部が都立の4大学の側の意見を聞いた>なら「意見聴取」が 行われたと言って良い。(「今度,こんな案を作ってみたんですが, みなさんどう思われますか?」と尋ねれば立派な意見聴取だな。) 大学管理本部は,日本語の勉強をしなければ いけないな。正確な言葉遣いができないような役人はこの国に 必要ない。もし正確な意味を知っていて使っているのなら, それは事実と異なることを公共の場で国民に対して 言った,すなわち公共の場で嘘をついたということになる。ちなみに, 大学管理本部は,これまで<都立の4大学の意見を聞く>という場を もうけたことは一度もない。教学準備委員会は,あくまで「新大学構想を 作る場」であって,「都立4大学側の意見を聞く」のではなく,管理本部の 求めに応じた回答をする場なのじゃな。ボトムアップの意見は不要という スタンスだ。あくまでも自分達が上の組織にいるから,思ったようにやる権利が ある,と思っているのだろう。例えば,総長は8月1日の突然の変更があった後で, 大学管理本部に事情を説明しに都立大へ来て欲しいと要望したが 来てくれなかったのも,その例だな。
 「週間金曜日」(11/28発売)を見ると,管理本部のお役人さまがどのような 経歴の持ち主で,これまでどのような職場でどんな仕事をしてきたのかが 分かる。わしに分かったのは,みんな教育とは縁のない役人ばかり が大学管理本部を動かしているということじゃ。 こういう教育の本質をわきまえない役人が主体になって新大学構想が 作り上げられていくと,将来新大学での教育や研究は極めて困難になるだろうな。

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N-9  「新大学」の教員募集が始まっているというのは本当で すか?  次へ

ポーカス博士

本当じゃ。管理本部のこのページに (12月16日最終更新日)として9件の公募が載っておる。いずれも平成16年1月30 日が公募の締め切りとなっているが,都市教養学部の教員が3名, システムデザイン学部(日野キャンパス予定新学部)で6名だ。
 この教員公募に関しては,3つの疑問がある。

Q1:   誰がどのような権限で公募をするのか?
Q2:   採用にあたっての審査は誰がどのような権限で行うのだろうか?
Q3:   採用される教員の職位はどのように保障されるのか?

 まず疑問なのが(1)「誰がどのような権限で公募をするのか?」 という点だ。当然のように大学管理本部では,自分達が 設置者権限(N-3)で公募するの だと主張するだろう。しかし,これまでも言っているように,「都立の新大学」と 呼ばれているのは,実は新設大学ではない。都立の4つの大学組織の改組である から,改組の主体となる大学側で必要となる教員の公募をするべきだ。
 では(2)「採用にあたっての審査は誰がどのような権限で行うのだろうか?」 さすがにこれを「大学管理本部が,自分達の設置者権限に基づいて」とは言えな いだろう。そうすると,都市教養学部の方は,経営学関係の2件と, 理工学系電気電子工学関係1件は,都立大学の先生達に依頼してくることが 考えられる(外部委託という可能性もあるが)。
公募人事の審査においては,
一般的に
(a) 選考委員会が(教授会の委任に基づき)設置される。
(b) 選考委員が書類選考を行う。
(c) 選考委員が論文審査をする。
(d) 選考委員会は選考経過を教授会に報告する。
(e) 面接などを伴う最終選考を行う。
(f) 選考委員会は選考結果を教授会に報告する。
(g) 教授会が選考委員会の結果を審議する。
(h) 教授会が候補者を最終決定する。
 今回の人事が今後どのように進んでいくのか注意して見守る必要があるが, (c) だけを都立大の教員に依頼して,あとはすべて管理本部が設置者権限で 強硬する恐れがある。さらに新設予定の「システムデザイン学部」に至っては, (c) を「都立の4大学教員以外」の外部に委託にする可能性もある。
 教職員組合紙「手から手へ」(第2248号,2004年1月6日)によると, ...実態は現行の学科、専攻の教員中の「同意書」を提出している 数人の作業メンバーからなる「分野別小委員会」なる委員会を管理本部が コントロールしながら選考を進めているようだ。教職員組合は, (1) 公募の提示条件は不法、不当である,(2)覆面の「教員選考委員会」は 人事権の侵害である,という2点から新大学の教員公募を批判しているが, この「教員選考委員会」の部分を見て欲しい。


管理本部は組合の抗議に対して、 「これは新大学の人事だから(まだ教員組織がないから)設立本部で行う」と強弁していますが、 実態は現行の学科、 専攻の教員中の「同意書」を提出している数人の作業メンバーからなる 「分野別小委員会」なる委員会を管理本部がコントロールしながら選考を進めているのですから、現大学の教員を使い、 しかも正規の教授会を無視しているという点で二重の欺瞞です。 しかも管理本部の「採用・公募のスキーム」(「手から手へ」2245号掲載) によれば、「分野別小委員会」には決定権がなく、 複数の候補者に順位をつけるのみで最終決定は管理本部内の 「教員選考委員会」によってなされるのです。 この委員会は、西沢委員長以下、 正体不明の「専門委員」および「関連外部専門家」で構成され、 該当学部や専攻の意向が反映される保障のないものになっています。 さらに、もし1月末までに適任者や応募者そのものがない場合になされる2次、 3次の公募では「分野別小委員会」の審査さえ省かれてすべて 「教員専攻委員会」の一存に委ねられてしまう可能性が高いのです。
(「手から手へ」第2248号より)

「分野別小委員会」に出席している「同意書」を提出している教員がいる, ということもショックだが, 「分野別小委員会」には決定権がなく、 複数の候補者に順位をつけるのみで最終決定は管理本部内の 「教員選考委員会」によってなされるという部分を読むと, またか,と思ってしまう。形だけ話し合いをしているような格好をして, 最終的にはすべて管理本部が決めるという構図はまったく変わっていない
 最後に,「採用される教員の職位はどのように保障されるのか?」 という疑問がある。公募される教員の職位は「准教授」と「教授」となっている が,准教授に関しては次のような注釈がついておる。


本件公募で「准教授」と表示している職位は、学校教育法上の助教授に相当し ます。

さてさて「准教授」という制度は,東京都が新大学で導入しようとしている O-6 で触れたように任期付きポスト(5年,再任は1回のみ)だ。「学校教育法の助教授 に相当する」という説明ははなはだ不十分で,学校教育法にはまだ定まっていな い新たな任期付きポストであると明示すべきだ。さらに,公募の中にある 教授という職位も,任期があるポストとして(5年再任可)新大学で扱おうと しており,年俸制の導入も前提となっている。これらは,すべてまだ未決定な 制度であり非公認であるのにもかかわらす,その非公認なシステムを前提の上に 人事を行おうとしているのだ! たとえて言えば,新築の家を設計したが まだ役場の建築許可がおりていない段階で,子供に「おまえの部屋はこの8 畳の部屋だよ」と約束するようなものだ。つまり建築許可がおりなかったら, 約束した8畳の部屋なんてないようなものだし,ひょっとしたら建築許可が おりた時点で,8畳の部屋は6畳の部屋に変更されているかもしれん,という ことだな。典型的なから手形を切ろうとしているのだ。 「大学の教員等の任期に関する法律」に違反し,国立大学法人法, 地方独立行政法人法の主旨や国会附帯決議にも反する行為が行われよう としている
 誰がいったいこんなに不利なポストに応募するだろう,と考えてしまうが, 実際に大学教員になるのは非常に「狭き門」であるのは事実で,どんなに 研究・教育条件がひどくてもとにかく大学教員になりたいという希望者は 非常にたくさんいる。つまり,買手市場なのじゃ。そうすると,公募に 応募してきて採用が決定された人の人権が問題になる可能性が大きい。つまり, 契約書をどのように交すか,契約書には何と書いてあるか, 契約書に書いてある条件が基本的人権の侵害になっていないか, それらの条件が本当に守られるか,...
毎日新聞(2004年2月6日)には「都立新大学: 教員職思わぬ不人気 競争率6倍どまり」 という記事が出た。最初の部分だけ引用すると:


東京都が来春開校を目指す都立新大学の教員を公募したところ、競争率は6倍 にとどまったことが6日、分かった。専門分野によっては応募者がわずか1人の ポストもあり、研究者の就職難が続く中、首都圏の大学では異例の低倍率となっ た。新大学で導入される任期制など、石原慎太郎知事による改革の混乱が、思わ ぬ不人気を招いたとみられる。
 都は昨年12月、新大学の都市教養学部とシステムデザイン学部の教授、准教 授(助教授)の計9ポストを公募し、先月末に締め切った。この結果、応募者は 計54人で、平均倍率は6倍。最も人気を集めた経営学(ベンチャービジネス) でも応募者は9人で、「ヒューマンメカトロニクスシステムコース」のロボット 専攻は1人だった。


都内だと理系のこの手の公募は,競争率100倍になることも珍しくない。 それがこのありさまだ。そして,2月18日になって経営関係(3月19日締め切り, 合計3名)とナノテクノロジー・センター(!)関係(4月30日締め切り,1名) の公募が追加された。すでに締め切られた公募も, 人数があまりにも少なかったものは,さらに再公募されるだろう。 東京都の今回の「新構想」がいかに不人気かが分かるが, このまま研究者にとって魅力のない大学改悪が進めば,2005年に予定されている「首大」は, 学生にも不人気で終わってしまう可能性が高い。実利中心の魅力的な大学は, 東京都内にはいっぱいあるからな。今後は今回の教員採用人事が, 今後どのようなプロセスで行われるかをよく見届けておかねばなるまい。

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N-10  2004年2月5日にホームページに出た「新大学」の 資料を見たんですが,本当にこんなにいろいろと新しい制度をいっぺんに導入で きるんですか?  次へ

ポーカス博士

無理だな。1つの新しい制度を導入するというだけでも, 組織全体に影響が及ぶから,思わぬ対応に追われるというのが普通の改革じゃ。 これだけいろいろなことを一度に導入して,それが思ったように機能するかと問 われれば,「当然,無理だ!」と答えざるをえない。 ただ単に公立大学から地方独立行政法人に変わるだけでも, 未知の問題が山積しているというのに,それに加えて 「単位バンク」,「必修科目廃止」,「外国語教育外注」,「教員任期制導入」, 「年俸制の導入」,「インターンシッププログラム」,「学生サポートセン ター」,「The Tokyo U-Club」 などなど,それぞれの制度をどのような組織でどのように運営 していくのか? それぞれの組織には,「外部の有識者」を含めるとしているが, いったい彼らを誰がどのような権限で選び,どの程度の発言権を認めるというの か? 一方では,リストラを目指しているにもかかわらず, 多額の費用がかかる改悪であることを見過ごしている。
 ここに理学部の先生の問題点の指摘文書(「手から手へ」第2262号)があるが, その中に次のような部分がある。


もう一つの大問題は、管理本部のアイデアはほとんど実行不能に近いということ です。教養教育を南大沢キャンパスでおこなうとすれば、保健科学大学と 科学技術大学を含めてほぼ2倍の理工系学生が対象になります。 たとえば、物理学や生物・化学の実験や数学の基礎を演習を通じて学ぶことは、 単に資格取得の必用条件であるばかりでなく「双方向性授業」という観点からも 非常に重要です。しかし、約2倍に増大する学生に対して、 (夜間部は廃止するのですから)昼間の授業だけで時間割りが組めるのか、 実験室は確保できるのかなどを考慮すると、実行可能性は極めて厳しいと 言わざるを得ません。


このように、教養課程をすべて南大沢にもってくること自体が本当に可能なのか でさえも、まじめに検討されているとは思えない。外国語のカリキュラムも いったいどうするつもりなのだろう? アウトソーシングというのは、 どれくらいの規模でやり、どれだけお金がかかるのか、 本当に計算して予算を確保しているのかどうか、まったく疑わしい。

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N-11   「首大」と同じ方針で今度の4月から予算配分が行われるって本当ですか?  次へ

ポーカス博士

本当じゃ。 2004年2月13日第1回経営準備室運営会議の資料(資料4-1, 4-2)によると, その通り。「首大」と同じ方針で今度の4月から予算削減が行われる。 その資料のタイトルは「新しい大学の研究費配分制度について」と 「平成16年度研究費配分の考え方」だ。背景がよく分からずにただ資料を見ても, なんのことかよく分からないが,これは「新大学」の予算配分方針を「一年前倒し して,試しにやってみるからね」という資料だ。都立大学の場合は, 総長特別予算がなくなるが,それどころではない。 都立4大学では,「統一単価は、平成15年度単価に10%シーリングをかけ, 傾斜的配分研究費を確保するため,更に20%削減した」となっている。 つまり,もう決定事項なのだ。なんでこんなに一方的に予算決定をして, いきなり試行できるのか? それは,都立大が第2事業所で予算の決定は, 大学管理本部が作成して決定できてしまうという体制がもうできあがっているか らだな。 10%の削減というだけでも,大学としては かなり大きなダメージになる。さらに傾斜配分の20%を削減というのも, おそろしい額になる。
 2004年3月5日,ついに人文でも予算配分が教授会に先だって資料として示されたが, 研究費は50%カットとなっていた。 これでは,人文学部では, 継続購入している図書や資料などが購入できなくなるどころか, 教員一人一人が使える研究費を,ゼロにしなければならなくなる専攻が続出するだろう。 これのような状態で,管理本部が繰り返して言っている 「教育・研究環境の保障」は,どうやったら可能なのだろうか? 逆立したってできるわけはない! すでに非常勤講師の予算が減らされ, いくつかの授業科目が維持できなくなって,次年度から消滅してしまうが, 研究予算もこのように突然の一方的通達によって削減されるというのは, まるで倒産直前の企業のようじゃ。あまりにも独断的な決定で憤慨しているが, 制度上何もできない。「くび大」でも同様に予算削減を強硬していくだろうが, 教育・研究環境が最悪の状態になるのにそれほど時間を必要としないだろう。 平成22年度まで存続する都立大学の予算も, おそらくどんどん削減されそうな予感がする...

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N-12   「都立の人文って『アカ』だからつぶされるんじゃ ないの」って他の大学に行っている友人からきいたんですが,どういう意味ですか?  次へ

ポーカス博士

はっはっは! それは大きな誤解だ。ほーかす君は,きっと「アカ」という 表現の意味を知らないだろう。まず辞書をひいてみたかな?


あか --- (3)(俗)共産主義(者)。社会主義(者)。▼革命旗の色が赤いことか ら。[表記]「アカ」とカタカナで書くことも多い。
北原保雄編「明鏡国語辞典」大修館,2003. P.11.


おそらく戦前から戦後の学生運動が華やかだったころによく使われていた表現 じゃ。日教組の衰退,世界の社会主義国の没落をうけて,今ではもう死語に なっているとわしは思っていた。都立大の人文学部に,そのような 社会主義思想,共産主義思想に傾倒した教員や学生が多くいた時代もあった のかもしれん。しかし,わしは7年前に都立大に移ってきたのだが, 人文学部に特別思想的に片寄った意見が支配的だという印象を受けたことは 一度もない。もちろん思想や信条の自由は憲法によって保障されているから, 思想的に右だとか左だとか,そういうことで差別をしてはならないことだ。
 そういえば,「開かれた大学改革を求める会」の人達が,自民党の議員さん となかなか面会できなかった理由も,このような噂が元になっているという 話を聞いたことがある。後になって議員さんの方から, 「(アカではなく)ごく普通の人達だった」という感想がもれたそうじゃ。 都立大人文はアカではない。今でもそのような目で都立大人文を 見ている人達が少数でもいるというのは偏見以外の何物でもない。
 偏見と言えば,「組合活動」=「アカ」という偏見もある。 「反自民」=「アカ」とか,「反対運動」=「アカ」というレッテルも あるが,これらはすべて<思考を拒否したステレオタイプ的ショートカット> で極めて危険だ。
 大学が独立行政法人化すると,「法人」対「組合」という図式が形成される のだが,「組合」は働く者の権利を守る組織としてますます重要な地位を占める ことになる。組合活動は「アカ」がやっているのではなく, 働く人の権利を守るべく法律で定められた権利を行使しているだけなのじゃ。
 自民党の政策に反対したら「アカ」というのも,まったく根拠がない。 「都立大統廃合問題」に関して言えば,都議会の大部分の自民党議員さんは, 与党議員であることから石原知事の政策に反対できないから話すら 聞いてくれなかった。だから当然,こちらとしても自民党に対しては 反感を持つ。なんで実際に起っている事実を謙虚に受け止めて政治家として 活動できないのか? おかしいことはおかしい,となんで発言できないのか? これでは民主主義ではない,とわしは思う。
 <何らかの反対運動をする> ことが「アカ」であるというのもひどい偏見だ。社会から与えられている 現実の制度や組織には,当然不備な部分,不当な部分が多く存在する。 だからよりよい方向に変えて行こうという改革運動が起る。 このような改革の動きが常に社会の中に存在しないと,民主主義は守れない。 市民運動というのは,この意味において非常に重要な出発点だ。 しかし石原都知事は,<市民運動は似非(えせ)民主主義だ>と主張して, 「都合の良い所だけは遵法(じゆんぽう)、都合の悪い所は脱法」(『日刊ゲン ダイ』2004年4月8日,「批判は皆無」という石原都知事の御都合主義) と主張し続けている。最近は,ようやく言わなくなったが, 都立4大学統合問題に関して知事が発言する時に,決まって出た言葉 がある。<批判しているのは都立大の人文だけ>。それ以外の都立4大学の 教員はみんな賛成しているような口ぶりだ。マスコミはそれを流す。 一般の人達は,<そうか,そうなのか。>と思う。この間違った 考えを払拭するのに,都立大人文学部の教員はどれだけ労力を使った ことか...今では随分反対運動が理解されるようになってきたが, 権力者の一瞬の一言を打ち消すのに,一般人はその何百,何千倍の 労力を必要とする。それが現代社会だ。 このような観点から見ると,反対運動がいかに困難であり, 同時に必要なものであるかが分かる。 何らかの反対運動に身を置く 人達こそ,社会の中で尊重されなければならない人達なのだ。 彼らなしには,民主主義は維持できない。 石原知事の繰り返される暴言,東京の教育,福祉,文化を破壊している 実態を黙って受け入れたら,これはもう本当に独裁地方自治体 になってしまう。少しでも声を上げ,市民運動に参加することで 間違った方向に進もうとしている行政,あるいは政治の流れ を是正していくことこそ,われわれの義務なのだ。 間接民主主義という形態は,今,世界中で問題を抱えている: 国民の声が政治に反映されないからだ。選挙で選ばれた政治家 が,選んだ側(=国民)の意思とはかけ離れたことをする, そんな現実を変えなければならない。

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N-13   前代未聞の傾斜配分が強行されようとしているっ て聞いたんですが何のことでしょう?  次へ

ポーカス博士

それはな,「首大」の経営準備室長の名前で,今ある4つの都立の大学の研究費 を傾斜配分するぞ,というお達しが来ているということだ。現都立4大学は, まだ公立大学であることは知っておるだろう。その公立大学の予算を, まだできあがっていない架空の公立大学法人の経営準備室の長が, 「分配方針を決めたからこのようにやりなさい」という 文書が総長・学長の ところに回ってきたのだ。
 N-11 のところで述べたように,「新大学」での予算配分の仕方を前倒し して現都立4大学で実施するというものの一環だ。 当然,そんなことを法律上やっていいはずがない。 この文書をよく見ると,書いた人間の名前が 記載されていない。「経営準備室長」となっているだけだが, これは経営準備室の公開されているメンバーリストから, 【室長】高橋 宏(郵船航空サービス株式会社取締役相談役)となっている。 だから当然, 「大学外の企業経営者が配分方式を指示しており,教育公務員特例法 が適用される今年度の予算配分である点から違法である」との 声が上がっている。
 さらに,この文書の悪質なところは, 「新大学に就任を予定していない教員は応募できない。また、共同研究グルー プの構成員となれない」という部分だ。現都立4大学の 研究費の配分を部外者が決めるというだけで十分違法だが, 「首大に就任予定でない」現都立4大学の教員を排除している。 これっていったい何なんだ,とわしも考えてしまった。 ようするに,これからできる予定の公立大学法人の理事長予定者が, その母体となる公立大学の傾斜的予算配分の案を決定し, これからできる予定の公立大学法人へ移行しない人には配分しないぞ, と脅しているのだな。 意思確認書を提出しなかった教員, これから来る就任承諾書の提出をしない教員にはあげないよ, と宣言していることになる。説得力のある<たとえ>ではないが, ある私立小学校に行くかもしれない10人の幼稚園生をつかまえて, その小学校に通うって約束したら,今,君たちの持っている あめ玉を一時的に取りあげて,不公平に分配してあげるからね, とその小学校の先生が言っているようなものだ。こんなこと普通では ありえないから,<たとえ>を探すのも難しい。 はっきりと言わせてもらえば, 「研究をする上で必要な研究費の応募可能な人に、思想的な制限および年齢による差別をしていることであ り、学術の府にふさわしくないやり方である。」
 さて,この文書には,さらに 傾 斜的配分研究費の考え方(pdf) 傾斜的配分研究費の審査・配分組織(pdf)という管理本部お得意の絵と箇条 書きがついてくる。 そこでの問題点を同僚の教員が箇条書きにしてくれた ので紹介しよう:

このような問題点があるにもかかわらず,すぐに抗議声明が出てこないのは摩訶 不思議だと思っていた。するとだな, 科学技術大学では,これら3枚の資料はすべて教員に配布された という情報が伝わってきた。 ようするに「首大」の予算配分方式を前倒しして,現行の都立4大学で 実施するというのは,すでに決まった「合法的な」ことだと誤認している。 科技大学長は「首大」賛成派だから,当たり前のこととして認め ているのだろう。それに対して,都立大学では,受け取った総長が,おそらく このような傾斜的研究費配分がそもそも違法であるとの認識があったために, 教員に配布しなかった。従ってどのような形にせよ,反対声明は出ると考えられる。
 この文書の扱い方が,現都立4大学に大きなダメージを与えることは確かだ。 残念なことに,このような違法なことが一部の教員にとっては,大きな問題だ と認識されずに,本年度半減した研究費を取り戻すチャンスだと認識される 危険性がある。 つまり,「自分は基礎研究をやっているわけではない。 『首大』へ移行するつもりもある。だから,このチャンスに半減した研究費を 取り戻すために,傾斜的研究費配分に応募するぞ」と思っている教員が残念なが ら存在するということじゃ。<研究費獲得のための競争>自体をわしは否定しな い。しかし,研究内容が「基礎研究」か「応用・実践的研究」かという内容で 差別されてはいけない。ましてや,傾斜的研究費と称して,「基礎研究」に たずさわる者から実質的に予算を取りあげるということが行われている ことを知るべきだ。研究図書の継続購入が困難になり,コピー1枚を 取るにも気を使わなければならない状況に追い込まれている学科もあるのだ。 院生が目の前にあるコピー機が使えず,わざわざ10分歩いて生協まで行ってコピーしている。 研究に必要な図書を,教員がまったく研究費では購入できない状況になっている 学科もある。図書の継続購入が不可能になり,違約金等が発生している研究室も ある。 これだけ現状の研究環境を悪化させているのに, 「学問の自由が侵害されているということはない」とか,「学生の学習権が阻害 されていない」という人がいるなら, お目にかかって是非この事態を説明して頂きたい。学生・院生は 学費を払っているのに,勉強・研究に不利な条件を押しつけられている!
そして,基礎研究従事者は, 傾斜的研究費配分に応募しようと思っても,「首大に行くことが条件だ」 と言われると考えざるをえない。 なぜなら,今のままの構想が進んで行くなら, 「首大」に行っても「基礎研究」は明らかに冷遇されそうだからだ。 都立大学の「研究者養成機関」としての資産も,破棄されそうだからだ。 「学問の自由」など保障されそうもないからだ。 繰り返すが, 「首大に就任予定でない」現都立4大学の教員を, 学外の「経営準備室長」が排除するのは明らかに違法である。

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N-14   傾斜的配分研究費って,けっきょく都立の4大学 が「首大」と連続性があるということを前提にしているんじゃありませんか?  次へ

ポーカス博士

するどいな。その通りじゃ。今になってこのようなことを平然とやることが できると考えているのは,現都立4大学から機構的に移行するのが「首大」 だということを認めていることになる。2004年5月12日の共同通信ニュースに出ていたように, 「都立大などを統合した『首都大学東京』」を新設するのであって, asahi.com に出たように「東京都立大などを廃止してつくる『首都大学東京』」 わけではない。教員,建物,設備などほとんどの部分を流用して作られる。東京 都立大学は,2005年4月になっても廃止される訳ではない。管理本部の予定では, 2010年まで東京都立大学は存続する。そして都立大学の廃校は, 大学の教授会の審議事項(学校教育法59条1項)であり, 評議会の審議事項(東京都立大学条例8条6項5号)なので,そこで最終的に決ま るものじゃ。
 その後,管理本部からは,
(1) 「平成16年度東京都立の大学における傾斜的配分研究費取扱要綱」
(2) 「平成16年度東京都立の大学における傾斜的配分研究費募集要綱」
(3) 「平成16年度東京都立の大学における傾斜的配分研究費第一次審査指針」
(4) 「平成16年度東京都立の大学における傾斜的配分研究費申請書記入要領」
が送付されてきた。いったい誰が(1)のような「傾斜的配分研究費取扱要綱」 をどのような手順を踏んで作ったのか,どの委員会の了承を得てこのような書面 が効力を発するようになっているのか,まったく不明じゃ(第2回経営準備 室会議は3月29日だったが,そこでこの書類の原案が審議されたとは聞いてい ない)。公的書類の様子を 装っているが,日付も発信先もない。 そして一方的に「この要綱は、平成16年4月30日から施行する。」 と最後に記されている。もし,この書類が,首大の経営準備室で作られたもので, 経営準備室長の名前で出されたこの前の書類と連動しているとしたら(実際に, 連動していると思われるが),首大の経営準備室は,現都立4大学の予算 決定権を持つことを宣言していることになる。他方,2004年5月13日の 都立大で行われた「人事給与制度説明会」でも,都立大の教員が「首大」の人事に関われないのは おかしいとの指摘に,「大学が違うから当然。 旧大学の人間が新大学の人事に関わるということはおかしい。」と言ってのけた。 このように,いつものご都合主義で, 都立の現4大学に介入する時は,黙って強行し,「首大」のことを 決定する時には「あんたは関係ない!」とつっぱねるという姿勢が一貫して いる。まったくもって腹が立つ。

(2)については2つの問題点がある。1つは,応募条件(7)にあいかわらず


「(7) 本研究費の性格上、新大学で今後の研究の発展に寄与することが求められ るため、新大学に就任を予定していない教員は応募することができない。また、 研究分担者となることもできない。 但し、新大学発足前の定年退職予定者などのうち、新大学の理念に賛同し、今後 の新大学の発展に寄与する意思がある者であれば、応募することができる。」



という項目が入っている。これは6月に配布される就任承諾書 を出すようにという無言の圧力になっている。つまり,「首大」への就任承諾書 をだせば研究費を場合によってはあげますよと言っているようなものだ。 2004年5月13日の都立大での管理本部の説明会では, 傾斜配分に関する質問も出ていた。「首大」での雇用形態は, 「旧制度と呼ばれる虐待的新制度」「新制度とよばれる任期制・年俸 制」があるのだが,どちらを選ぶつもりでも,「首大」へ行く人は 応募できるそうじゃ。あくまでも就任承諾書を出させたいという背後の 思惑があって,今回のような傾斜配分が企画されているのだ。
2番目に,審査方法。


学長及び学部長等は、申請者から提出された申請書に基づき、別に定める審査指 針に基づき、研究課題が公募対象とする研究区分に合致しているか等を審査する。


となっているが,ここでの「学長」とはいったい誰か? これまでの管理本部の 表現を見れば分かることだが,現都立4大学の学長を指す時には,「総長・学長」 と言っているところから,「首大」の学長予定者を指している可能性が高い。 実際に,「研究費審査小委員会」の諮問を受けて第二次審査をし, さらに第三次審査でかかわってくる「研究費配分検討委員会」は, 「首大」の学長予定者を含むのではないかというもっぱらの噂だ。 なんで現在の都立の4大学の予算を,「首大」学長予定者が審査するのだ? それが正当なことだと管理本部が考えるのなら,ホーカス君が言うように, 現都立の4大学と「首大」が制度上連続しているということを認めたことになる。 もし認めずにやっているのなら,「なりふりかまわず,めちゃくちゃに違法なことを やりまくっている」と批判されても答えるすべがないことになる。 違うかな? 「研究費配分検討委員会」と「研究費審査小委員会」 のメンバーはいつどのように決定され公表されるのだろうか?
 それにしても,今回の傾斜配分のやり方には,本当に怒りを感じる。 つい昨日までの食事の量を,いきなり半分に減らしておいて(研究費を半減 させておいて), 残りが欲しかったら私の言うことを聞きなさい(就任承諾書を出して 「首大」へ行け)とやっているからだ。「餓えた人達は,お願いですから 何でも言うことはききますから食べ物を下さい」と言っている。 このような状況に置かれては理性的に判断できない人達が出てくる。 目の前に(研究費がなくて購入できない)「継続図書を打ち切ると違約金が 発生するぞ」と本屋に言われていると「どんな条件がついていても, お金がもらえるならこの際もらおう」という人達が出てくる。 これはな,借金取りに追われている人が,サラ金の現金引出機の前 に立っているようなものじゃ。実際に,都立大の執行部の中で 抗議することを求めたのは,総長と人文学部長だけだったという噂もある。 本当だとしたら情けない。

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N-15   2004年6月16日に終了した第2回定例都議会 では,「首大」に関する条例が可決したと聞いたのですが,どんなものですか?  次へ

ポーカス博士

6月17日の新聞の地域情報欄には,小さくその情報が載っていたはずだが, 「くび大」の入学料を定める条例と東京都公立大学法人評価委員会条例 が可決成立した。 入学料関係の条例は,「東京都が設立する公立学校法人が設置する大学に係る入学考査料及び入学料に関 する条例」というのが正式名称で,以下のようなものが原案通り決まった。

その目的には, 「平成17年4月に東京都が設立する公立大学法人が設置する首都大学東京に 関し,その開学準備として東京都が行う入学考査及び入学手続きに係る入学考査 料及び入学料の額等について定める。」となっていて,内容には以下の表 が示されている。

区 分 金 額
入 学 料 東京都の住民 141,000円
その他の者 282,000円
入 学 考 査 料 正規学生(学部) 17,000円
正規学生(大学院) 30,000円
科目等履修生及び研究生 9,800円

備考があり,「この条例は,平成17年3月31日限り,その効力を失う。」 となっているが,平成17年4月1日には,「くび大」が公立大学法人として 成立していることを見越してのことだろう。法人化されれば,法人が独自に入学考査料や 入学料を決める権限を持つことになるだろうが,法人化前に入学試験や入学金の 納入は行われねばならないので,このような措置が必要なのだと思う。 授業料は,別途定めねばならない。

さて,問題は「公立学校法人評価委員会条例」の方だ。 6月14日(月)の文教委員会で議論され決定されてから,本会議に上がってきた ものだが,この時期に「評価委員会条例」を作ってしまうというのは, 極めて異例なことだ。「都立の大学を考える都民の会」では,すでに 6月14日に 意見表明 を出し,その異常性と危険性を訴えていたが,残念ながら あっという間に成立してしまった。5月20日の経営準備室運営会議で, 概要が示されていたのだが,おそらくその席では議論されなかったろう。

条例の名が示すように,「東京都公立大学法人評価委員会」を作る というのだから「くび大」の生死を決定づける委員会だ。 6年間というスパンで大学法人が評価されるから,その時に 決定的な決断をするのが,この委員会なのだが,なんとその組織が 委員7人以内(他に臨時委員を若干人設置できる)とし, 経営又は教育研究に関し学識経験を有する者から知事が任命し, 任期は2年で再任可知事が委員会を招集するのだ。 「おーい,これは何なんだー。」と叫んだ時は,もう遅かった。 委員会の委員は,ぜーんぶ知事が好きなように決められる し,委員会の招集も知事がやる。これじゃあ,完全に「くび大」を 乗っ取ったのと同じじゃないか! 知事が,自分に反対の意見を 言うような「経営または教育研究に関し学識経験を有する」メンバー を選ぶわけがない。若干の希望といえば,6年後, 石原知事はもういないだろう,という予想だが, 第二,第三の石原慎太郎が登場しないとも限らない。 「くび大」は,成立以前から,徹底的な管理組織を持ち, 知事がワンマンで コントロールできる仕組みを埋め込まれた大学になっている。こんな大学を,成立させていいわけがない。 教員も学生もそして職員も,みんな苦労させられるのが目に見えている。

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N-16   2004年7月2日に流れた共同通信ニュースに 「都立大跡でレンジャー養成」というのがありましたが,あれは何ですか?  次へ

ポーカス博士

まず,「都立大跡」と言うとまるで,かつての目黒キャンパスや 今の南大沢キャンパスのように聞こえてしまうがそうではない。 この記事の最初のところを読むとこんな風に書いてある。


 【ロサンゼルス1日共同】米国を訪問している東京都の石原慎太 郎知事は1日、ロサンゼルスで記者会見し、都が計画を進めている 都立大学の統合で空いた校舎を利用、国立公園などの自然保護官 (レンジャー)の本格養成に着手する方針を明らかにした。


問題となるのは,「都立大学の統合で空いた校舎を利用」 の部分だ。この記事の後の方には,「公園内の 植生など専門知識を持ったレンジャーが日本でも必要だ」と訪問の 感想を述べた上で「東京都立大など4大学を1つにまとめるが、そ の過程で空いた大学校舎を利用したい」と語った。 となっているところから, 「首大構想」で大学校舎が空くと考えているのだ。 現在,南大沢の都立大,日野の科学技術大,荒川の保健科学大学 のキャンパスは「首大」のキャンパスとして位置づけられている から,都立短大が当てにされていることになる。 2010年までは少なくとも短大は存続するが, 学生数が減ったら,そこでレンジャーを養成すると宣言したとも解釈できる。

 2004年7月9日には,毎日新聞に 「都レンジャー、1期生6人が出陣−−石原知事や登山家・野口健さんら出席 /東京」 という記事が掲載された。どうやら「自然保護員」を都レンジャーと 称し,6人を認定したらしい。毎日新聞の記事の一部を見てもらおう。


 都内の貴重で豊かな自然を守る都レンジャー(都自然保護員)の出陣式が8 日、檜原村の「檜原都民の森」三頭(みとう)大滝前で行われ、石原慎太郎知 事がレンジャー1期生の男女6人を激励した。6人は小笠原地域3人、多摩地 域3人に分かれ、国立公園などでの不法行為の防止や利用マナーの向上などに 取り組む。
...、石原知事は「四つの都立 大学を統合してつくる新大学に2年教程のレンジャー養成学校を創設し、日本 中の国立公園をカバーする人材を育てたい。その1期生として経験を積み、知 識、学識をつけてほしい」と激励した。


 東京の自然保護をする目的で作られたのなら大変結構。しかし,後半に示されて いるように, 四つの都立大学を統合してつくる新大学に2年教程のレンジャー養成学校を 創設するというのは何だ? グランドキャニオンに行って,ロサンゼルス のレンジャーの活躍に感激してさっそくその養成学校を作りたくなったのかな。 そして「2年教程のレンジャー養成学校」を「首大」に組み込むというのだ。 ここに見て取れる構図はな, 「知事がxxを首大でやる」と言ったら, 理事長も学長も教員も関係なく「首大」の構想に入ってしまう, という可能性だ。このような知事の強権をそのままにしておいたら, 「首大」は,勝手にどんどん変えられて行ってしまうだろう。 本当に東京都がお金を出して,自然保護員を養成する学校が必要なのかどう か,まず都民に問うてみるがよい。都議会で議論してみなさい。 自然保護員の必要性は分かるが,その養成学校を「首大」の一部に 組み込むとなると話は変る。(1) 現在,自然保護員の仕事をしている人が, 全国にどれくらいの数がいて,どれだけ不足している,とか, (2) これからその不足分を補うために,年間どれくらいの人数の 自然保護員を養成すべきだ,という試算があるのならそれを見せて欲しい。
 さて,「首大付属レンジャー養成学校」が 今後どう展開していくか,注目しておこう。 それにしても「都レンジャー」というのは,お子様向けの 「XXレンジャー」という番組を思い出してしまい,思わず苦笑してしまった。

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