都立大の危機 --- やさしいFAQ

I.  人文学部以外の学部や都立のほかの3大学が「新大学構想」をどう考えているかに関する質問


ダイレクト・ジャンプ I-1, I-2, I-3, I-4, I-5, I-6, I-7, I-8 I-9, I-10.

I-1  それも情報教育のひとつだって言いたいんで すか? そうかな。でも,確かにきちんと動いている内は,自動車の場合も 問題ないけど,故障した時が本当の知識が必要になるかな。
それで,「都立の新しい大学」の構想に対して, 人文学部以外の都立大の学部はどう考えているんですか?  次へ

ポーカス博士

人文以外でも工学部電気関係が日野キャンパスへ移るとか,理学部研究科の身体科 学研究科が構想に含まれていないとか,実際に影響を受けるところは明確に反対 している人たちがいる。 学部を持たない組織の都市研も将来に対する不安を抱えておる。大学院は, 今の予定でいくと,発足が一年遅れるから,その間「都立大学」 に存続してもらわなくてはならない。
理学部とか工学部という名前がなくなってしまうということに対する不満もある。 「工学部」の先生の名刺が「都市教養学部」になってしまうというのは, これまでとまったく違ったように周囲から見られるということじゃな。 「いえいえ,都市教養学部理工学系という名前ですが,工学部なんですよ」 なんて言えないからな。理学部の先生も混じってしまうし,工学部の仲間として 外部からは見てもらえないかもしれないのお。 事実,組織自体が変ってしまうのだな。同じことは,法学部と経済学部でも言える。 「都市教養学部法律・経済系」としてまとめられてしまうからな。名前が変るという ことは,実体が変わることを意味しないからどうでもよい,などと考えては ならん。名前が変れば実体も変らざるをえないのだ。

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I-2  うーん,何か重いズシンとくる言葉ですね。 それで具体的に人文以外の学部から声明は出ているんですか?  次へ

ポーカス博士

10月20日に理学部1年44クラスアピールというのが出ておるな. 化学,生物,地理の学生からの呼びかけで,学生の身分保障に関する不安, 正確な情報の公開を求めるのと同時に,主体的に都立4大学すべての学生 に大学改革に関する情報を取り入れて考えていこうと呼びかけている.
10月31日には,大学院工学研究科電気工学専攻・東京都立大学工学部電気工学科 の学生・院生有志一同が「東京都立大学廃止に強く抗議する」という声明を 出しておる.その中で,廃止ではなく4大学統合とすべきこと, 現場の意見を尊重するような公開された協議をすべきこと,大学名は あくまで「東京都立大学」とすべきこと,2005年4月開学を急ぐべきではない ことを述べていて,総長にがんばれと檄を飛ばしているな.
12月26日には東京都立大学理学研究科・工学研究科,東京都立科学技術大学工学 研究科教員110名は,「東京都大学管理本部主導による一方的な 『新大学設立』準備の早急な見直しと開かれた大学改革準備組織の再構築を求め る」という 声明を出した。これで,大学管理本部や都知事も人文だけが反対していると は言えなくなった。この声明は,12月24日の都知事会見の後に出たものだが, これまでの学内の声明と同じように8月1日以降の管理本部の「新大学構想」に対 して異を唱えると同時に,10月7日の総長声明を指示するという形でまとめれれ ている。

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I-3  そういえば,2003年10月10日の新聞に, 都立大以外の3つの大学は新しい大学構想に賛同するっていう記事が出ていたけど本当なんですか?  次へ

ポーカス博士

そういう記事が出ていたことは確かじゃ。 10月9日に,科学技術大学,保健科学大学と短大の学長は,そろって「新しい構想」の 大学案に「賛同して積極的に取り組む」と表明したという記事だな。しかし, 保健科学大学と短大では,声明の発表前に,学内で話し合われた形跡がない。 先日,偶然会った短大の先生は,なんにも聞いていないと言っておった。
 科学技術大学では, 教員懇談会(教授会ではなくて全体の意志統一を決めない話し合いの会) で話は出たものの皆の賛同を得られなかったにもかかわらず, その後すぐに,大学管理本部と都庁のホームページに発表されていたそうじゃ。 科学技術大学では,その後正式に教授会でこのような同意をした覚えはないと抗 議の声があがり,学長は「個人の資格」でホームページに掲載したと釈明したら しい。 ここからは, わし個人の憶測じゃが,どうも都の方ですべてお膳立てをしておいてから, 3大学の学長に連絡をとって声明を出した可能性がある。 もちろん,分断作戦だ。 科学技術大学では, 7月以前の案より自分達の意見が認められていると考えている人たちもいるらし い。 何しろ大学管理本部長が,かつての科学技術大学の事務長だったらしい。 7月31日までの案だと, 日野キャンパスの学部学科は南大沢への移転を提案していたから,新しい構想の 方がましだと思うのは当然だ。
 12月10日に4大学共同公開講座の会議があったが,それに出席していた 科技大の委員が, 管理本部の事務方に 「新大学構想に科技大が賛成した,と管理本部のHPに出ていたが, あれは誰がどういう責任で書いたのか? 学長が個人的に賛成しただけで, 教授会としては賛成していない。経緯を知りたい」 迫っていたという話も伝わってきておる。露骨な情報操作が少しづつ明らかに されてきている。

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I-4  それじゃあ都立の他の3大学でも反対している教員はい るってことですか? 次へ

ポーカス博士

その通り。7月31日までの案では, 科学技術大学が全面的に南大沢に移るという計画じゃったが, 8月1日以降は日野キャンパスが新たな学部として残ることになっている。 しかしな, 科学技術大学と都立大学の工学部は,電気や機械の専攻が重なってお る。その結果,たとえば科技大の機械関係の学科は南大沢にくることになっており, 逆に都立大工学部の電気工学関係の学科は日野に移るそうじゃ。でな,工学部での 研究というのは設備があってはじめてできるという性格をもっておる。 移転すると口で簡単に言っても,設備を簡単に移動はできんのじゃ。 新しいところで研究場所と設備を整えるのには何年もかかるのと言われている。 彼らにとって移転とは,研究の停止,学科の崩壊を意味するのじゃ。 そんな教員が反対しないわけがないじゃろうが。保健科学大学の教員も, すべてが思ったような学科に移れるわけではないな。 教員配置案をいきなり見せられて, 「はい行きます。」と答えられる人が果たしてどれくらいいるだろうな。 都立大以外の3大学がそろって新大学構想に賛成している わけではなく,あれは学長と大学管理本部レベルで口裏を合わせただ けの話だな。現実には,いろいろな不満がある。短大はつぶされるわけで, 常識的に考えても教員がそろって大賛成をするわけないじゃろ。
 自由法曹団東京支部が10月31日付けで 「『都立の新しい大学の構想』を批判する」という文書を公表してるんだが, その中で,都立の大学がこれまでどのように発展してきたかを簡単に 説明した個所が出てくる。


都立大学は、1991年に現在の八王子市南大沢のキャンパスに移転し、まだ10 年余である。都立科学技術大学は、1990年に博士課程が設置され、2001年 4月に大学院改編が行われたばかりである。都立保健科学大学に至っては、200 2年4月の大学院設置から1年しか経っていない。にもかかわらず、「新しい大学」 の名の下に、膨大な経費と労力を要する移転と組織改編を行うのは、全くの無駄と しかいいようがない。


そうなのじゃ,都立科学技術大も都立保健科学大もようやく軌道に乗り始めた ばかりなのじゃな。 それを言ったら都立大だって移転してまだようやく10年ちょっとなのじゃ。 巨大組織として, ようやく落ち着いて研究・教育環境ができるようになったばかりだ。

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I-5  2004年1月21日に発表された「4大学教員の声明」には, なぜ賛同者の名前が公表されなかったの? 次へ

ポーカス博士

その質問に答える前に,まず 「4大学教員の声明」 の骨子を見ておこう。


(1)「同意書問題」,「都市教養学部の理念」,「大学院を切り離していること」, 「教員の任期制」に関して,新大学構想の内容と進め方に重大な問題があること。
(2)大学院を含む活き活きした研究と教育が,魅力ある大学の基本であること。
(3)4大学の現場の教員と管理本部の正常な協議体制が大学の改革に不可欠なこ と。
(4)現4大学が50年近くの歴史の中で多くの資産を築いてきており,これを正当 に評価し発展させることが大切であること。
(5)これらの点が確認され管理本部が大学側としっかりと共同で作業すれば,都 民や受験生に誇れる新大学の構想作りは短期間で可能であること。


(1)が現状の問題点,その問題点の克服のためには(3)で述べているような 正常な協議体制が不可欠であること主張している。(2)で教育と研究で魅力あ る大学を作るべきだと主張し,(4)では過去の大学の研究・教育の資産を 発展させるべきだとし,(5)で, 正常な協議体制のもとで新大学構想を作り直そうと提言している。
 毎日,東京,読売,朝日の各紙の東京版に1月22日その記事がでているが, 管理本部の反応として,「人数だけでは,賛同の有無など真偽が確認できな い」と批判しているらしい。しかし,今回の賛同者集めでは,ちゃんと本 人の意志が確認できるようにして行っており,第三者に確認してもらうことはで きる。最終的に2月3日で賛同者の締め切りが行われ, 4大学合計で797人中451名(57%), 都立大589人中381名(65%)がこの声明に賛同した

さて,なぜ名前を公表したくない教員がいるっかって? それはな,名前を公表することで, 不利益をこうむりたくない教員もいるということだ。実際に,管理本部では, 「今回の数字が信用できないから教員の名前を公表するように」と言ってきて いるようじゃが,名前を公表することで不利益を受ける(脅しを受ける?) 可能性が実際にあるのじゃ。 最終的に教員配置を承認する権利を大学管理本部が握っているわけだから, 怖がったり不安に思ったりするのは無理もない(そのような不安があるから, 都立大以外の3大学から,これまで声があがらなかったのだろう)。 逆に言うと, これまで実名を出して反対の声を上げてきた教員は, そのような不利益をこうむる覚悟でやっているということじゃ。
 名前を公表しないということで声明に賛同した教員は, 4大学全体でかなりの数がいたと思う。 しかし,全体の意見を結集し,4大学全体で1か月未満の時間で意見表明ができた, ということが大きな重みを持つ。「反対しているのは人文の一 部の教員だけだ」と繰り返していた知事にも,少しは認識を改めてもらいたい。 この数字はさらに今後増えると予想されている。都議会文教委員会委員の人達や, 文部科学省の大学設置審査をする人達も,大学の現場の声を聞いて欲しい。 同じ日(2004年1月21日)に学生・院生連絡会議が主催した集会には, 学期末試験目前というのにおよそ300人の参加者があった。教員も学生も, もっと正常な形での大学改革を望んでいるのだ。

また知事は念頭あいさつで 「反対しているのは本当にどうしようもない学者ばっかりだ」 と言ったそうだが,そのような放言は,いい加減にやめて4大学の教員に陳謝 すべきだ。 科学雑誌「Nature」に論文が掲載された教員は, 管理本部が自分達のホームページで自分の手柄のように書いて紹介しておったが,当の本人は, 今回の大学改革に嫌気がさして都立大を去っていったのを忘れたのだろうか? いまや,過半数の教員が反対し,学生の反対運動もここまで高まってきている現 実を直視してもらいたい。

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I-6  法科大学院構想に反対して4人の教授が辞職した話 は新大学構想とどういう関係にあるんですか? 次へ

ポーカス博士

12月17日(水)に「法学部辞職4教授の話を聞く会」が行われ, その様子は週刊朝日,1/2・9新春合併号, P.190-191)にも取りあげられて いる。3人が民法、1人が行政法を担当することになっていたのだが, 法科大学院に民法の教授がいなくなってしまうため,急遽入試予定を延期 した。「健康上の理由」とか「一身上の都合」というのが辞職理由として 明記されていたようだが,12月17日の抗議集会でも明らかになったように, 大学管理本部のやり方に強い憤りを持っていたようだ。

実は,11月に法科大学院の説明会が開かれる予定だったのだが, 突然無期延期になったというあたりから,10人近くの教員がやめるかも しれないという噂が飛んでいた。だから今回の4人では済まないかもしれない。

なぜ今,辞任して法科大学院のスタートをぐらつかせる必要があったのだろうか? 法科大学院は,今度の4月から現在の都立大学のもとにスタートする予定なのに いったいなぜ今,辞任する必要があったのか? 400人以上集まった12月17日の抗議集会である程度明らかになったことなのかもしれない。 これはわしの想像じゃ。今,新大学構想に目に見える形で反対しなければ, もうこの暴走は止められないという危機感があったからではないか。

大学の先生というのはな,一般的に言って石原都知事が言うような「頭の固い古くさい人間」で はない。むしろ「個性派集団」で,まとまって何かの行動を起こすことが難しい 集団だ。個人個人がかなり独自の意見を持っているということで,今回のような 事態が起きた時に,例えば法学部の先生達が反対しているように見えなかったの は,実際にある程度の人数でまとまった行動をとることができなかったからじゃろう。 知事が「象牙の塔」という言葉を何回も持ち出しているが, 今どき本当に象牙の塔を地でやっている人は非常に少ない。


象牙の塔

俗世間を離れて、静かに芸術を楽しむ芸術至上主義の境地。また、学者の 現実離れした学究生活やその研究室。(現代国語例解辞典第二版)


大学の教員は,自分の研究,学生の教育,大学管理・ 運営の仕事のほかに,社会貢献的な仕事を求められる。 でな,法学部の先生達は,その学問の性質からして非常に実社会 と関わることが多い。いわゆる社会的貢献をいろいろな場面で求められるのじゃ。 8月1日以降,教学準備委員会という名の一方的な管理本部からの意見を聞かされ る場が作られ,同意書問題,新大学での教員の雇用形態案の発表,外国語教育 外注問題,そして河合塾理念外注問題と発展して来て, もうこのままでは新大学は大学でなくなる,という危機感が高まってきた。 そこで残された最後の手段が「辞任」だったのではないか。

12月12日文教委員会における 曽根議員の質疑 や,週刊朝日に載っていた以下の発言が象徴的にその有り様を 表現しているとわしには思える。頭の固い誰かさんのために繰り返すが, これを言っているのは「人文学部の一部の教員」ではない。


「(知事がいう新大学は)大学という名はついているが、大学ではない。 大学においては、自由な学問研究を大切にするという思考が、都には決定的に 欠けている。辞職の理由は私のけじめです。私はコケにされて逃げ出しておきな がら、残る方々に大学らしい大学を立ち上げてくださいとは、なかなか言えな い...」
「政治権力が介入し、自由を侵害してきたら、毅然と抵抗しなくてはならない。 辞職という武器を使うのに躊躇してはならないというのが、大学人の心構えだと 思っています。」
「みなさんにもしっかりしてもらいたい。石原知事は本気で都立大を解体しよう としている。自由と自治を守る抵抗をしてもらいたい。」
「確かに都立大学は改革を必要としていた。私には自主的な大学改革をしなが ら、都庁、知事の意向にも配慮して何とか結実させたいという信念がありまし た。学内で『都庁に迎合しすぎだ』『大学の自治を軽視してけしからん』との おしかりがあったのも事実です。しかし、都や4大学で協議した新大学構想は、 03年7月段階で、9割5分完成していた。知事の8月1日の発表は、まさにテーブル をひっくり返す『革命』でした。」


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I-7  辞職した4人の教授が、社会的な責任を 追求されるというのは本当ですか? 次へ

ポーカス博士

そのように大学管理本部の人間は議会で答弁している。 また, 知事の新大学構想に全面的に賛成している与党自民党の議員も社会的責任を追求すべきだと強く迫っている。 冷静に事態を整理してみると:


(1)  就任承諾書は6月1日に大学管理本部に提出された。
(2)  就任承諾書は6月27日(あるいは29日)に文部科学省に提出された。
(3)  8月1日,言わずと知れた知事の突然の新大学構想の発表。
(4)  11月18日,文部科学省による法科大学院の認可がおりる。
(5)  11月19日,最初の辞職者が出る。
(6)  11月26日,法科大学院の認可書が交付される。
(7)  11月27日,第2の辞職者がでる。
(8)  12月9日,第3,第4の辞職者がでる。
      <2003年12月12日文教委員会傍聴録より>


まず第1点:4人が法科大学院に就任するという承諾書を出したのは6月1日以前だと考えられる。 その時点での新大学構想は,8月1日以前のものだった。 第2点:8月1日,都立の大学の設置者である知事が,新大学構想を発表。 「中間報告ですけれども大体スキームが見えてきましたので」といって,あたか も継続性があるようにほのめかしながら,それまでの案とはまったく違う案を示 す。 その中で, 「...大学の先生といっても人間で、人間というのは本質的に保守的だか らあーだこーだいやだとかへちまだとか言うだろうけれどもそんなものは辞めたら いいので、...」 と言い切る。 (以後,記者会見で発言で新大学構想に言及する時,「いやなら辞めたらいい」 と大学の教員に向かっての挑発的発言を繰り返す。)
 さて問題だ。「4人の教授は,辞任によって社会的責任を放棄したと見なされるか否か?」
法科大学院は平成16年4月開講の都立大学に設けられるものだ。従って新大学構想と は関係ないと考えるべきだ,という立場からスタートすれば,4教授は上で挙げた 2点を考慮しても社会的責任を問われることになる。

まず,平成17年3月まで都立大学の法科大学院の先生をして, 平成17年4月に都立大を辞職できるか否か,という問題がある。 原理的にはできそうだが,今度は新大学の就任承諾書が平成16年度に出てきて, それを拒否できるかどうか。もし拒否したら,新大学側として, また新たな人事をやることを迫られるので, おそらく拒否しがたい状況を管理本部側が作り出す可能性がある。 もう一方では, 平成17年3月まで都立大学の法科大学院の先生をして, 平成17年4月から新大学の先生ではなく, 都立大学の法科大学院の先生だけをやり続けることができるか否か、 という問題がある。実際に,今の管理本部案に従えば, 都立大学は平成17年4月以降も旧体制として平成22年度までは存続する予定だ。 「説明会を 求める都立大生の会」が管理本部で話を聞き,その時の様子を報告している が,その中で管理本部側は,学生の質問に答えて次のように言っている。


学生:例えば、教員が新大学には行きたくないが、旧大学に残るという 形は可能か?
管理本部:基本的には、新大学から給料が出ることになるので、旧大学 だけに残るということは、考えられていない。


ようするに新大学に移らずに(旧)都立大の教員として大学に残ることはない, ということをこの時点では主張していた。しかし,その後,2004年6月以降に文 部科学省へ提出する「首大」への就任承諾書を出さずに, 旧大学に残ることもできる(都立大の教員なら都立大に残るという選択をす ることができる)という見解が知事や の口から出てくるようになった。2004年2月20日の定例記者会見で, 知事は「新大学に参加しない人も,古い大学にいて結構ですよと経過措置を高じ ている。その間に新大学がアクティブに動いて都民もどう評価するか, 返事を出さない人の意識が変わってくれることを期待してます」と発言した(毎 日新聞2004年2月21日)。 【前日の2月19日の都議会文教委員会までは,大学管理本部は, 「今回,意思確認書を出さなかった教員は新大学へは行けない」と説明して いた。】 つまり,「古い大学」(現在の都立4大学)にいたい人はいてもよいというの じゃ。さらに経過措置として「旧大学」に残った教員が途中で「新大学」 への移籍を希望した場合でも「常識で考えても柔軟に対処すべきだと思う」 と発言している。意思確認書を出さずに「旧大学」に残った場合でも, 後から「新大学」へ移ること希望すればそれを柔軟に考えよう というのだ。

都立大学の法科大学院の先生だけをやり続けることが原理的には可能 になったわけだが,「首大」の法科大学院の授業を本当に拒否できる のだろうか?(それほど余裕があるようには思えないのだが。) 都立大の法科大学院が「首大」と極めて密な関係にあると言えるのなら, 法学部教授の処遇もはっきりする。 (a) 就任承諾書は8月1日以前に出したものだ。 (b) 8月1日以降の案は,それまでの改革案とはまったく異なっている。(c) 従っ て,就任承諾書は7月31日以前の構想に従ったものだから無効である。(d)しかも, 設置権者自身が「繰り返し公の席で,辞めたければ辞めればいい」と公言している。

教員としての立場から言えば,1年だけ大学院生の指導をしてから, 辞職をするというのは,とんでもなく無責任な行動じゃ。そういう観点から見れ ば,4教授が平成17年3月に辞職するのではなく,法科大学院がスタートする 前に辞職するという考え方は筋が通っており,教師としての良心に沿った行動だ とわしは思う。 法科大学院の教員になれば, 新大学の教員になることが暗黙の内に当然のこととして期待されている。

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I-8  大学管理本部が2004年3月8日に科学技術大学で説明 会をしたって本当ですか? 次へ

ポーカス博士

わしも「手から手へ」第2269号を読んで初めて知ったことだ。科学技術大学の全 教員が対象の説明会だったようだ。 2004年2月13日に開かれた第一回経営準備室会議の資料についての質疑応答が中 心だったらしい。論点は3つに分けて説明してある。
(1) 任期制・年俸制に関して
再任・昇任・年俸決定の際,上司による教員の業績評価が行われる。 管理本部の説明では,上司とは「学科長あるいはコース長」で,1次評価は 彼らが一人で行う。2次評価は部局長が行い,業績評価に基づき年俸の業績給 に反映させる。中期的業績評価においても学科長や部局長が,評価において も重要な役割を果たす。
 ここで明らかになったのは,学科長や学部長という人たちが中心になって 業績評価を行うということで,これだけ聞くとやっぱりね、と思ってしまうが、 1次評価がたった一人で行われ、2次評価を行う部局長というのがいったい 誰なのか、まだ未定だということだ。また,中期的業績評価の結果,業績が上がっ たと見なされない(つまり昇任と見なされない)場合には、すぐ解雇されて しまう可能性があることが教員側から指摘された。任期満了で解雇となった場合 の失業保険の扱いも不明なままだ(使用者側の都合か自己の都合による退職か)。
(2) 投票制度をなくす人事制度
「新大学」では,教員による学長候補に対する投票制度がない。 部局長や学科長は,学長の申し出に基づき理事長が任命する。管理本部は, 地方独立行政法人法に投票制度がないからだ,と説明した。 国立大学法人では定款や学則で教員の意向調査手段として投票制度が あるのだが,東京都ではそんなことを決めるような定款は作らないと 断言した。 つまり,「新大学」では投票制度などなく,人事はすべて 上意下達でやるということだ。もし,長となる人に何らかの問題が 生じても,その長にあたる人の上司の人が問題にしなかったら,その人はそのまま 居座るという構造ができてしまう。
(3) 合議制の理事会制度を持たない法人
公立大学法人では,国立大学法人とは違い理事会の規定がない。 教員側から定款で理事会を設け,理事会の議によって理事が決定するような制度 をつくったらどうかと提案があったが,そんなことはしないと管理本部は答えた。 経営審議機関が討議して,理事長が決定するからワンマン的(独裁的)には ならないという主旨だったようだが,経営審議機関→理事長→研究審査機関 という上下関係がはっきりした。 「新大学」に合議制の理事会制度はない

 不明であったこととしていくつが例が挙がっているが,一部意味不明な ものも含めてそのまま紹介しておこう。
(i) 助手・研究員の場合の上司とは誰か
(ii) 副学長からの理事の数  (「これが分からん」<ポーカス>)
(iii) 任期が短く,研究業績が迫られる研究員に教育業績を強いられない ようにする補償措置(T.A.では無理)
(iv) 職員へは任期制年俸制が導入されるのか(教員のみでは不公平)

とまあ,こんなまとめだった。固い言葉が並んでいるが, 研究や教育の中身というよりは,法人化後の組織に関する質疑応答だったようだ な。 それにしても,この内容から考えて, どんな研究者が喜んで「首大」へやってくるというのだろう? 自分の研究が上司に気に入られなかったら,評価もされず首になる, だから「クビダイ」なのだ。自由に研究できる環境は,この大学では 保障されないということだ。つまり学問の自由が認められない大学ということに なる。憲法違反の大学ということになる。これでは,研究者にとっては 全く魅力のない大学となり果てるだろう。上司の顔色ばかり気にする 教育者だけが残される大学。寒気がする。 経営効率を考えるのは結構だが,教員にとって魅力のない大学は, 学生にとっても魅力のない大学になることを忘れているのではないか?

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I-9  経済のCOEグループが「首大」から排除された って本当ですか? 次へ

ポーカス博士

2004年4月7日の読売,共同通信,日本経済新聞に出ていたあの記事の件だが, どうやら本当らしい。せっかく多少でも管理本部と大学側の話し合い体制が 再構築されようとしているこの時期に残念な限りだ。まず報道内容だが, 日経の記事内容をまとめると:

(1) 予定していた都市教養学部経済学コースの設置を初年度は見送る。 (理由:東京都立大経済学部の教員12人が, 「首都大学東京」に参加意思を示さなかったから。)
(2) 経営学コースで学生募集を一本化して,4月下旬文部科学省に大学設置認可 を申請する。
(3) 改めて経済学系の教員を募集して「都市経済」などに特化した新たな経済学 コースを2006年度にも設置する。

P-10でも触れたことだが, 経済のCOEグループは,都立大として誇れる研究グループであり,大学とし て最大限の援助をして行くべきだとわしは思う。 COEの復習をしておくと,COEとは,「中核的研究拠点(Center of Excellence: COE)形成プログラム」の略で, 創造性豊かな世界の最先端の学術研究を推進する卓越した研究拠点のことだ。 経済のCOEグループの声明 を読んでもらえば分かるが,その中心的な部分は,次の2点だった。

(1) 研究機関としての大学という視点の欠如している。
(2) 「新大学」の実質が現大学からの移行に他ならないにも関わらず, 当の現大学構成員の新たな大学設計に向けた意見を事実上無視している。

まさにその通りの状況だ。この2点が「現在の首大構想」で改善されているとは 思えないから意思確認書を提出しないという立場を貫いたと考えられる。 (人文学部では<まとめてドーン>で提出してしまったために, 個人的に主義主張を貫けなかったことで後悔している教員も多数いるが, 人文執行部の戦略を支援した形になっている。)
 「COEグループを切り捨てることは,日本全国 に対して『うちの大学は世界レベルの研究から手を引きます』と宣言するような ものだ。」とわしはP-10で言った。 大学院構想でどこまでこの点が補われるか,今の時点ではかなり怪しい。 繰り返しになるが,現時点での首大構想の特徴は,東京都の思うままにあやつられる 実学主義の大学なので,「学問の自由」はおそらく保障されない。 日経の記事の 「改めて経済学系の教員を募集して 「都市経済」などに特化した新たな経済学コースを2006年度にも設置したい考えだ。」 の部分を読んで,改めて考えさせられた。東京都は, 現都立4大学の改組・転換ではなく,本当に新大学を作るべきなのだ。 現都立4大学の研究や教育体制を,これほどまでに痛めつけて脅かしている のが設置者としての東京都であるというのは,暴挙としか言いようがない。

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I-10  「法学セミナー」と「法律時報」の3月号に法学部 の先生達の論文が載ったそうですがどんな論文ですか? 次へ

<ポーカス博士

おやおや,知っているなら図書館に行って読んで来なさい。どちらも ちゃんと図書館の雑誌コーナにある。

2003年11月から12月にかけて民法3人,行政法1人が辞任し,2003年12月 17日に法学部有志達によって「自治と自由への侵害に抗議する」( 参加者400名超)が開催されたことは記憶に新しいことだが, それまでの8・1事件以後の経過を法学部の教員(法律の専 門家)がどのように捉えていたのか,わしには非常に興味があった。 この2編の論文は極めて明快であり,人文学部の大多数が持つ認識と変わりない ことが確認できた。今回は法学部4教授辞任に至るまでの法学部内部の 動きを中心に, 時系列に沿って米津孝司氏の論文の一部の内容をかいつまんで紹介しよう。


(1) 2003年10月下旬 複数の法律系教員が「新大学」に奉職しない可能性があ ることを表明。(8・1構想およびその後の事態が学問の自由・大学の自治 への侵害であるから) これらの教員は法科大学院の専任教員予定者でもあった。
(2) 2回に渡り,民法・行政法・基礎法・社会法の教員を中心に臨時教授会 開催の要求がなされたが、実現しなかった。
(3) 2003年11月19日に最初の辞職届けが民法の教員から提出された。
(4) この事態を受けて2人の教員(民法)から法科大学院開設延期案が 2003年11月20日の教授会に提出されたが,議決されずに終わった。
(5) 2003年11月21日,法科大学院の設置認可が3件の留意事項付きでおりる。
(6) 2003年11月27日,法科大学院開設延期案を提出した1人が辞職届けを 出す。
(7) 2003年12月9日,行政法と民法の教員が辞表を提出。(法科大学院 専任予定者) これで民法3人,行政法1人が辞任したことになる。
(8) 2003年12月11日,同月24日から予定されていた出願受付および, 2004年1月24・25日に予定されていた法科大学院二次選抜試験の当面延期 が告示される。
(9) 2003年12月18日の定例教授会では,基礎法ファッハから法科大学院の 2004年度開設延期・2005年度開設準備作業の開始が提案されるが否決 される。

(米津孝司「東京都立大学『改革』の問題点」法学セミナー3号,2004年 P.54よ り要約)


この中で注目すべきは,(2),(4),(9)のような教授会の中での動きだ。 法学部内部でのこのような動きは噂として一部しか伝わってこなかったが, 現法学部長が「首大」賛成派であるところから,法学部の中では, 賛成派が多いのではないかと外からは見えた。 しかし,このような法学部内部での議論が実際にあったということは 見逃せない事実で,むしろ明確に反対している教員が相当数存在する ことを示唆しているように思える。さらに,人見剛氏は(5)の点に関して, 文部科学省の意思を大学管理本部が歪めて伝えた事例だとして伝えている。 つまり文部科学省の留意事項とは, (i) 法律実務科目の充実等の理論と実務の架橋 に留意した教育課程編成に努力すること, (ii) 4科目について教員を補充すること, (iii) 採用予定の派遣教員について計画通り採用すること, だったにもかかわらず, <管理本部は,文部科学省からの認可がおりる際に,文部科学省の この3つの留意事項を都立大学法学部に伝えなかったばかりか, 「学部における法律学科・政治学科の学生比のアンバランス の是正が指摘された」と伝えてきた。これは,法学部教授会や 全学の部長会でも一度は伝えられたが,後になって修正された> そうじゃ。意思確認書の時もやったように,東京都大学管理本部 というところは,文部科学省の意向を聞いても,それを歪曲 して解釈したり伝えたりする。そして,それが明るみに出ても, 謝罪もしないし責任も取らない。 そして,「首大構想」に関しても,文部科学省に伝える内容と, 本当の実態は異なっていることが明らかになっている(「必修科目を 置かない」(「必科目」はあるらしい) と教員に対しては言っているが,対文部科学省には, ちゃんと必修科目として届けるとか,「単位バンク」が 「首大」カリキュラムと当面関係ないとして設置審議会に 知られないようにするとか,例を挙げ出したらきりがない)。 そしてすべてが今,時間切れの中で,管理本部が思ったように 決定され,強行されようとしている。実態は,もうしばらく しないと明らかにならないかもしれないが,現都立4大学 の意向を聞いたり,妥協を含む協議をする気持は管理本部に まったくない,とわしは想像する。そんなことを考えて, この2つの論文を読んだのだが,最後に 米津孝司氏は次のように話を結んでいる。


また、その憲法(23条)適合性についても議論のある国立大学法人法 にくらべて、さらに多くの点で問題がある地方独立行政法人法上の 公立大学法人関連規定が違憲審査にさらされた場合、今回の 都立大学のケースを前提とすれば、適用違憲の判断が下される可能性 があり、そうなれば国公立大学法人化の全国的な動きにも甚大な 影響を与えよう。 そうした方向へと紛争が昂進・激化するまえに大学と東京都の関係が 正常化することを期待したいが、他方、議会において 「私はあの憲法を認めません」と公言する知事を戴く東京都の大学 において、今回のような事態が生じること、そして司法の場において 決着が図られることは不可避なのかもしれない。 都立大学は、期せずして日本の大学、憲法23条の行く末を決する岐路 に逢着した不幸なトップランナーとなってしまったようである。
(米津孝司「東京都立大学『改革』の問題点」法学セミナー3号,2004年 P.55)


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