都立大の危機 --- やさしいFAQ

J.  大学院に関する質問


ダイレクト・ジャンプ J-1, J-2, J-3, J-4, J-5, J-6.

J-1   ところで,B-5で話がちょっとあっ たけど,「新しい大学」の大学院はどうなるんですか? 発足が遅れるという 話を耳にしたんですが。 次へ

ポーカス博士

そう,2005年4月には「首都大学東京」の「新しい大学院」は開設しないというんじゃ。 一年後の 2006年に新たな構想で大学院を作ると言っておる。 しかし, 実際には2005年4月の段階で 暫定大学院と呼ばれる今の都立大と同じ大学院が作られる。  2004年3月11日に学長予定者の西澤潤一氏が, 「大学院設置に当たっての基本理念」 というものを発表した。それが,この文書じゃ。 3月15日にすでに 組合からの意見表明(pdf)されているが,問題の文書自体は公表されていな かった。ここで内容を簡単にまとめてみると,

(1) 現状の継続ではない新しい大学院を作る,
(2) アジアに目を向けた大学院にする,
(3) 「大都市における人間社会の理想像の追求」と3つの使命(注1)に重点的に取 り組む,
(4) 実用・実践から学術の体系を創造する(社会のニーズに対応した研究を行 う),
(5) 地場優先を意識し,社会貢献に取り組む,
(6) 東京ある企業や試験研究機関等と積極的に連携しする,
(7) これまでの徒弟制度的な研究者養成型の教育カリキュラムを見直す,
(8) 常にヨコとのつながりを意識し他分野,異分野との連携,学際的教育研 究に取り組む,
(9) 学部・大学院一貫教育,初等中等教育との連携を意識する,
(10) 組織は細分化・固定化せず大括り化し,常に時代のニーズに敏 感に反応できる組織とする。

* 注1:管理本部 の「新大学」説明文書(kyogaku_hituyosei.pdf) にある「社会が求める人材を輩出」,「研究成果の社会還元」,「経営の視点の導入」 のことを指すと思われる。

えっ,わしのコメントだって? これは教育理念じゃない。大学院を作るにあたっ ての指針でしかない。「西澤先生,あなたは工学の研究者ですね。 でも大学の研究教育は工学部だけで成り立っているのではありませんよ」という のがわしの最初のコメントじゃ。 今回の「首大」構想は,実利優先でその思想は大学院にまで 及ぶということが判明した。研究・教育の継続性放棄, 都立大の研究者養成機関としての伝統を放棄,基礎研究の放棄がその 基礎をなしていて典型的に工学部的発想じゃ。「3つのホウキ」が敢え て言えば,理念なのかもしれん。もう一言言うと, 「世界とりわけアジアに目を向け、「東京(江戸)」そしてその「大都市性(近代 化の道程)に着目する」教育・研究理念というのは,何なのか? 大学の教育や研究すべてにこのような色づけを求めるというのは, 正気の沙汰ではない。 「東京は、アジア古来の伝統と近未来のビジョンを象徴する都市である」 という断言の仕方の背後に, 川勝平太氏と同じような自国文化崇拝の危険性を感じ取ってしまうのは, 私だけではあるまい。客観性を求められる学問(科学)や教育が ねじ曲げられないことを切に望みたい。

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J-2   10月31日の夜に突然大学管理本部から紙が回ってきて大学構内に貼りだされましたが, あの紙に書いてあったことよくわからないんですが? 次へ

ポーカス博士

11月1日に大学祭企画の一環として「廃止して良いのか?都立大学!!」という シンポジウムが開かれ,およそ200人の参加があった。 その場でも冒頭に紹介されておったな。
新大学の大学院設置時期及び現大学等の取扱い、経過措置等について
というタイトルでおそらく都立大総長宛あるいは都立大宛に来た文書だ。 これまで学生から現在の都立大学の先行きや大学院の扱いに関する公開質問状が たくさん出されているが,大学管理本部は全然回答してこなかった。 おそらく,今回の文書ですべての公開質問状に間接的に回答したことにしたいのじゃろう。
全体として4部構成になっている。 「1 大学院設置に関する基本方針」,「2 現大学の取扱い(1法人5大学)」, 「3 経過措置」,「4 教員審査、17年度の所属」だ。
大学院に関してじゃが(1)大学院は平成18年度に開設する,(2) その大学 院の教育・研究内容は今後,再編成して詳細に設計する,(3) 平成17年度は, 暫定的に現都立3大学の大学院構成を新大学の大学院として設置して学生を 募集する,というものじゃ。 (1)と(2)に関してはこれまで管理本部が言ってきたことなので特に注目に値しないが, (3)が要注意じゃな。実質的に2つの注釈が付いておる。

16年度末で現大学学部を卒業見込みで大学院進学を希望する学生は 新大学の大学院(暫定的な構成)に進学することとなるが、19年度に博士課程に 進学するときは新しい構成の大学院に進学することとなる。

簡単に言ってしまえば,2005年3月(平成16年度末ということは,さ来年の3月) に学部を卒業して大学院に進学する者は,今の大学の大学院と同じ構成の大学院 に進学する。2005年4月からは新大学が成立していても,新大学院はできていな いので,暫定的に今の大学院を新大学の上にのっけておくというのじゃな。 これを暫定大学院構想と呼んでおこう。暫定大学院は, 2005年をもって募集を停止する。つまり,都立大の場合は, 現行の都立大大学院の最後の募集ということになる。 そして最短の2年で修士論文を書き上げたとすると平成19年度(2007年4月) に博士課程へと進学できるはずじゃが, そこでは新大学院の博士課程へ進め,ということじゃな。
たとえば,ホーカス君,君が英語学を学部で専攻して, 新大学の成立する2005年4月に大学院へ進もうとしたら,2005年2月に行われる 現在の都立大学人文社会研究科大学院の試験を受けて,もし合格すれば 2005年4月から新大学の上の暫定大学院(今の都立大学大学院の継続形)に進学 できる。さてここで疑問がわく。
(1) 暫定大学院の修士課程には何年間在学できるのか?
(2) 暫定大学院の博士課程は2005年4月には入学できないのか?
(3) 暫定大学院の研究・教育環境をどうやって具体的に保障するか?
(4) 博士課程に進学する時に,新大学で専攻がなくなっていたらどうするか?
今回の資料に載っている図から計算すると「経過存続機関が22年度」までと なっているので,2011年3月までの6年間ということになる。 休学も含めて修士課程は6年間在学できるので, その期間の間は暫定大学院に在学できる。問題は, (2)以降で,2005年4月(平成17年度)には暫定大学院博士課程には進学できない としたら,現在修士課程に在学している院生が, 2005年4月(平成17年度)には暫定大学院の博士課程に進学できなくなる。 現都立大学の大学院修士・博士課程の正式な最終募集は今年度(平成15年度) が最後となる。 また (3) の点じゃが,教育研究環境を維持するということは, 研究設備,備品,部屋がそのまま残され,研究・教育費がこれまで通り保証 され,専属の教員がこれまで通り指導を できるか否かという問題につながる。答えは,今のままの計画では No. じゃろう。 最後に (4)の問題で, 新大学で対応する博士課程の専攻がなくなっていたら別の大学の大学院へ行 きなさい,新大学にはいれないから出て行きなさい というメッセージじゃな,今回の管理本部基本方針は。現在の都立大学の大学院 生の学習権を踏み躙っていると思う。口先だけで抽象的に「学習権は当然のこと として保障します」と言うのは簡単だが, 具体的に今言ったことを保障すると明言してもらわないと意味がない。 おお,つい興奮してしゃべりすぎてしまった。

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J-3  その「暫定大学院」というのが,どうもよく分からないんですが? 次へ

ポーカス博士

ようするに,2005年(平成17年)4月に開学予定の「首都大学東京」の大学院と して「暫定的」に一年間だけ入学者を受け入れる大学院のことをいうのだな。 2005年4月の段階では,大学院は,都立大学の例で言えば,都立大大学院(すで に募集停止状態)と「首都大学東京暫定大学院」が並列して存在することになる。 そして「首都大学東京暫定大学院の中身」は「現状の都立3大学の大学院の中身」 と等しい。 そして,このまま進んで 2006年4月に「首都大学東京の新たな大学院」が認められたとしたら, なんと「首都大学東京の新たな大学院」,「首都大学東京暫定大学院」, 「現都立3大学の大学院」の3つが2010年まで並列して存在することになる。 そして,「首都大学東京の新たな大学院」だけが2006年4月に入学者を 受け入れる。「首都大学東京暫定大学院」と「現都立3大学の大学院」は, 2010年(平成22年)には廃止されるという筋書きじゃ。
「首都大学東京暫定大学院」というものが,まず本当に設置審を通るか否か, そして2005年4月から本当に「新しい構想の首都大学東京の大学院」 が認められるかどうかは分からない。常識で考えても,この 「首都大学東京暫定大学院」が異常だということは分かるじゃろう。 (1) 2005年度しか学生が入ってこない大学院,(2) 中身は現都立3大学の 大学院と同じ,(3) 2010年(平成22年)には廃止が予定されているのだから。 2004年4月28日に文部科学省に提出された書類には,暫定大学院なんていう 言葉は登場していないはずで,「これが首都大学東京 の新大学院ですよ」と説明してあるようだ。 そうしないと,設置審 に通らないから。

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J-4  結局,平成16年度と平成17年度に都立大の大学院に入った人はど うなるんですか? 年度の数え方がよくわからなくって混乱しちゃったんです。  次へ

ポーカス博士

いや,確かに分かりにくい。注意しなければいけないのは,さっき言ったように 2005年(平成17年)に大学院に入学するとそれは首都大学東京の暫定大学院 であって,都立大の大学院とかではないことじゃ。もっとも中身は, 都立3大学の大学院と同じなのだが。在学期間に関して整理してみよう。

(a) 平成16年度修士課程入学 都立大大学院 平成22年までの7年間在籍可能
(b) 平成16年度博士課程入学 都立大大学院 平成22年までの7年間在籍可能(??)
(c) 平成17年度修士課程入学 都立新大学暫定大学院 平成22年までの6年間在籍可能
(d) 平成17年度博士課程入学 都立新大学暫定大学院 (??)

今回の資料によると,(3) 平成17年度は, 暫定的に現都立3大学の大学院構成を新大学の大学院として設置して学生を 募集する,となっているから博士課程への進学も可能のようにも読める。わ しも最初はそう思ったんじゃ。しかしな,今回の文書には表が付いていて,そこ には17年度入学の暫定大学院には明らかに修士課程のことしか書いてないのじゃ (17年度1年,18年度2年,19年度博士3,19年度〜22年度経過存続期間)。 そこでJ-2で言ったように,17年度に暫定大学院の博士課程 には入学できないのではないか,と考えたわけだ。もし17年度に暫定大学院の博 士課程に進学しても平成22年度までの6年間しか在学できないなんてことになっ たら,最低休学を含めて8年間在籍できるはずの博士課程が2年間も少なくなっ てしまう。大学管理本部が「うっかり博士課程のことを忘れていました」というなら 話は別じゃが...そんなこともないだろう。ちょっと記憶が曖昧なのじゃが, 実際には修士6年,博士8年というのは最大年限ではなかったと思う。 留年と休学を繰り返すことはありえるのだが,そんなこと言うと院生が怠け者の ように思われてしまうが,もちろんそんなことははない。 人文系では,資料収集や留学などが間に入り,休学して論文を 仕上げる場合もよくあるから,年限の問題は一層深刻だ。
さらに (c)と(d)を比べてみると,16年度入学と17年度入学には在学期間が1年間違う ことに気づく。そうなのじゃ,暫定大学院に修士課程から入るのは1年間在籍で きる権利が減るということになる。(b)のケースで博士課程に16年度に入っ た学生も7年間しか在籍できず,最低1年間在籍できる権利が減る。 この事態は,大学院生の権利を明らかに踏みにじっている。

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J-5  なんで在学期間を平成22年度までという枠にはめるんですか?  次へ

ポーカス博士

まず最初に言っておくべきことがある。 都立の3大学や大学院の存続期間とか,学生の身分を教授会や評議会で審議をせずに 管理本部が勝手に決めることはできない。簡単に言ってしまえば,大学管理 本部は,この文書を配布した時点で学校教育法、大学設置基準,大学の学則違反 を犯す事を公言している。東京都大学管理本部から10月31日の文書にすでに 学則改正を事前に前提としている部分があるので,人文学部では12月11日に 在学期間の上限に関する学則変更要請に対する声明 を出して抗議している。
 なぜ平成22年にこだわるか,というと,都立の新大学は「地方独立法人法」 に定められた法人として発足しようとしている。 O-5で大学法人の問題点について 話をするが,そこに「大学法人は6年という期間で中期目標を立てる」という話がある。 その目標がどの程度達成されたかどうかで,その大学法人に配分される予算が決 まったり,その大学法人の存続自体が再度検討されることになったりする。


移行段階の経過措置として,現大学を存続させる期間は,第1期中期目標期 間内(平成22年度まで)とする。

と,今回の文書に書いてあるのはそういう背景がある。 第1期中期目標期間の後,果たして都立の新大学がどのような評価を受けるか, その後の第2期中期目標期間は予想できない変化があるかもしれないから 保障できないということだ。

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J-6  新大学院構想の中間報告が出たようですが, どのように評価しますか?  次へ

ポーカス博士

緊急情報で伝えたように,2004年10月4日(月),東京都大学管理本部のページに 「首大」大学院検討部会の 「首都大学東京新大学院構想『中間のまとめ』」 (PDF)が掲載された。分量が76ページ(実際には58ページで,残り18ページは資 料編)にも及ぶので,目を通すのに時間がかかった。 全体的に非常によくまとまった中間報告だ。ただし,形式面で2つの不備がある。 1つは,発表日が平成16年9月となっていて,日付が入っていないこと。 もう1つは,編集委員会も編集長も明記されておらず,「本報告の位置付け」, 「これまでの検討の経緯」,「設置に当たっての基本方針」,「首都大学東京の 大学院構成」,「教育研究の特色」という最初の部分を誰が執筆したのか分から ない。この文書が「大学院検討部会」によって作られたというだけで,執筆責任 が誰にあるのかわからないということだ。 その結果,最終的な責任は,当然,この部会の座長である 原島 文雄氏(東京電機大学教授・東京都専門委員)が負うことになる だろう。

さて,なんでそんなに執筆責任にこだわったかというと,最初の16ページまでが 全体構想のまとめで,あとは個々の研究科・専攻の構想を紹介しているだけだか らだ。そして,この最初の16ページは,みごとなまでに石原都知事発言, 8・1事件の正当化,西澤学長予定者の大学院理念,川勝平太(国際日本文化研 究センター教授・東京都専門委員)の大学院新コース案(資料2)をつぎはぎし, まとめあげているのだ。 あたかも,これらすべてが極めて優れた提案であったかの印象を与えるように 書かれている。もちろん,現実はその正反対であることは言うまでもない。

いろいろ言いたいことがあるのだが,以下では気づいたことを箇条書きにして, コメントをつけることにしたい。

8・1事件に関して:

平成15年8月1日、「東京都大学改革大綱」(平成13年11月)以降の社会 状況の変化に対応するとともに、東京都では都立の新しい大学の使命や特色をよ り明確にするため、専門家の意見を聴きながら「都立の新しい大学の構想」を取 りまとめた。この構想の中で、学部構成については、大都市の特色を活かした教 育の実現として都市教養学部、都市環境学部、システムデザイン学部、保健福祉 学部(当初計画、その後健康福祉学部に名称を改める。)の4学部構成とする一 方で、大学院については、「学長予定者決定後検討」としていた。 【首都大学東京新大学院構想「中間のまとめ」(以下,「中間まとめ」と略), P. 2】

読んで分かるように,最初の文の主語は「東京都」だ。骨組みだけで 言い換えると, 「東京都は、専門家の意見を聴きながら『都立の新しい大学の構想』を取 りまとめた。」というのが8・1事件 の総括なのだ。理由は, (1) 「東京都大学改革大綱」(平成13年11月)以降の社会 状況の変化に対応するため,(2) 東京都では都立の新しい大学の使命や特色をよ り明確にするためとなっていて,これはちゃんと解釈すれば, 「大学での教育や研究をよりよいものにするため」でもなく東京都の4大学をより良いものに変えるための大学改革 でもない(現状分析をして改良点を検討することがなかった),ということ だ。 (1) の理由は,A-8でも触れた通り, 「工業制限法の廃止,都市再生特別措置法の制定,知的財産基本法の制定があっ た」ということで,これで都市部に大学を移転させ,東京都の産業開発・発展 に大学を直結させることができるようになった,という意味だ。(2)は, 石原都知事が新しく大学の使命を考え直して「大都市における人間社会の理想像 を追求する」と宣言したというだけのこと。そこには, 本来の意味での大学改革は微塵もなく,大学を東京都の思ったように 変えたいという意思だけが存在したことを示している。
 しかし,この報告書を何も知らずに読めば,東京都も思いきった大学改革を 計画したんだなあ,と感心する人も現れるだろう。まったく,よくもこのような まとめを書いたものだ。一体誰が,このようなまとめを書いたのだろうか? もっとも,はっきりと書いてくれたおかげで,よく事態を分析すれば,この大学構想が いかに間違ったものかがよく分かる,とも言える。それは,以下の点においても 言えるので,わしは,この「中間まとめ」がよくできている,と誉めたわけだ。

設置に当たっての基本方針について

ここでは,5つの基本方針の中の2つだけ取りあげる。

(2) 文部科学省設置認可申請に当たっては、教員審査をうける
平成17年6月に申請予定の大学院開設については、教員審査省略の事前相談を 行わず、「大学の設置等の認可の申請手続等に関する規則」に基づく教員審査を 受けることとする。
なお、審査に通った教員については、平成18年度から大学院所属とする。
---中略---
(5) 首都大学東京の使命の実現、特色の明確化
東京都が設置主体である大学の大学院として、首都大学東京の使命の実現に取り 組むとともに、国立でも、私立でもない特色を明確に持ったものとする。

首都大学東京の使命
 = 「大都市における人間社会の理想像の追求」
     ◯ 都市環境の向上
     ◯ ダイナミックな産業構造を持つ高度な知的社会の構築
     ◯ 活力ある長寿社会の実現

【「中間まとめ」,P. 4】

まず,(2)は今あちこちで騒がれ始めている問題だ。大学院開設については、教 員審査省略をしない,ということは,「首大」の申請の時とは異なる。 つまり,まずは時間がかかるのだが,そのことを考慮せずに6月申請としている。 平成18年4月開講に間に合えばよいと考えたようだが,もちろんそれは間違って いた。平成17年(つまり来年)の9月には,大学院の試験があるのだ。 その時に,新構想大学院の認可が降りていなければ,大学院の入試はできないだ ろう。また,大学院教員としての資格審査に落ちる人が出る可能性もある。そ うすると, 予定としていた大学院構成がとれなくなるかもしれない。 「6月,7月,8月と3ヶ月で教員審査が終わって,9月に 設置認可が降り,予定通りの大学院コースを作るための教員がすべて確保できる」 とは思えない。 文部科学省側も,噂では,大学院設置認可申請に当たっては,教員審査省略の 形をとることを,一般に勧めているようなのだが,東京都大学管理本部側と しては,予定通りやると公言しているらしい。まあ,お手並み拝見, というところだな。
 そして,もう本当に耳にタコが出来てしまった「首大」の使命と3つのキーワー ド。 今回の「中間まとめ」では,はっきりと以下のことを述べている。

◯ 都市環境の向上 --- 都市環境科学研究科が追求する。(P. 9)
◯ ダイナミックな産業構造を持つ高度な知的社会の構築 --- システムデザイ ン研究科が追求する。(P. 9)
◯ 活力ある長寿社会の実現 --- 人間健康科学研究科が追求する。(P. 10)

 この横軸が「大都市における人間社会の理想像を追求」するという使命に対応し ていると明確に述べている(P. 6)。それに対して,「従来の学術の体系に沿った 研究科」がそれ以外の研究科であり,「大学院の構成員である個々の教員一人ひと りが、マトリックスの交点に立ち、確実な成果を生み出すことを目指す」(P. 6) とされている。ようするに,3つのキーワードを追求する研究科が 「首大」の中心であることを認めて,それ以外はこれまで通りの研究をしても いいけれども,3つのキーワードは忘れないでね,という親切な(?)助言 なのだな。この縦軸を構成するのは,「人文科学研究科」,「社会科学研究科」, 「理工学研究科」だ。前者の2つの研究科では、「高度専門職業人の養成」 に取り組むことが謳われ,理工学研究科では専攻間の学際的教育研究を 積極的に進め,未踏分野の開拓し,新規学問領域の創成をすることが強調されている。 総じて,西澤潤一学長予定者による 大学院設置に当たっての基本理念(2004年3月11日) に沿った形が意識されている。 「基礎研究だけに閉じこまらず、常に現場を意識し、よく問題をつかまえて社会の ニーズに対応した研究を行う。」という西澤潤一氏の言葉は典型的に今回の 「首大構想」に悪く反映されている。つまりこういうことだ。

(A) 基礎研究だけではなく,応用研究もやるべきだ。
(B) 研究だけでなく,教育もやるべきだ。
(C) 一般教養だけでなく,「都市教養」もやるべきだ。
(D) 高度に専門化した学問を追求するばかりではなく,学際的な学問もやるべきだ。

これらを,「NOT ONLY -A- BUT ALSO -B- 構造」(「A だけでなく B も」)と呼ぶとすると, 「首大構想」の cheating とは,現実には, 「NOT ONLY -A- BUT ALSO -B- 構造」(「A だけでなく B も」)をやると言っておいて,けっきょく最終的に は「NOT -A- BUT -B- 構造」(「A ではなく B だ」)を押し通す, ということだ。具体的に言おう。 「基礎研究もやるけれど」と言いながら,基礎研究を決して優遇しない。 「研究だけでなく,教育もやる」と言いながら,本来の研究を冷遇する。そして, 教育をあたかも中心的にやるように見せかけるが,実は, 教育の中でも手っ取り早く結果が出そうな部分しかやらない。 一般教養のように広く世界的に常識とされる<知識の 泉>はとりあえず横に置いておいて,東京都に役立つような「教養」を 考えようとする(そんなものは無いのだが)。 高度に専門化した学問を掘り下げて研究することなんかやらなくて いいから,いろいろな分野と共同で学際的な研究をやって,実際に役立つ 学問をやろうとする。これが「NOT -A- BUT -B- 構造」(「A ではなく B だ」)なのだ。 大学の理念に直結した学部や研究科があって, それがあくまでも中心なのだ。これが「首大」の真の姿だ。

最後に「産学公連携の推進」(P.15)という項目があり,これこそが今回の 「首大構想」のもう1つの大きな特徴だ。

(1) 産学公連携センター等を通じた研究成果の還元
(2) 都政のシンクタンク機能の発揮
(3) オープンユニバーシティの活用

これらは,すべて東京都という行政組織が,大学を徹底的に利用するための 計画であり,学生や院生の教育や,大学の研究者の研究環境とは無縁の 長物だ。「産学連携」は,確かに今流行しているが,今後,この動きが加速 されるにつけ,自然淘汰されていくだろう。つまり,ある程度進んだところで, 必ずしも大学を産業と結び付けることが得策でないことが判明するはずだ。 なぜなら,産学連携は限られた応用的分野でのみ可能であり,それ以外の 分野は,みだりに連携するよりも,本来の基礎研究をやらないと, 先へ進めないからだ。基礎研究の積み重ねがあって,初めて応用ができる。 そんな単純なことが分かっていないから,すぐに役立つものを優遇して しまう。これでは,他の人がやった基礎研究を元にして応用研究を延ばすという, これまでの「発展途上にあった過去の日本の姿」に逆戻りだ。 そう,「他人のふんどしで相撲をとる」という,先進科学国としては, 極めて恥ずかしいことを東京都の「首大構想」そして「新大学院構想」 では目指している。世界に誇る大都市東京ならば, 余裕をもって基礎研究を優遇して100年先,200年先の人類への貢献を考えるべき だった。 しかし,このような構想になってしまい,設置認可が降りて しまった「首大」は,その理念のあさはかさという基準では,ランキングで 間違いなく特別最高賞を受賞するだろう。大学院構想も, そこから脱出できていないことが,「中間のまとめ」で明らかになったわけだ。

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