都立大の危機 --- やさしいFAQ

O.   忘れてはならないその他の質問


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O-1  ぼくはこの頃,専攻のこととか先生との アポイントメントのこととかで助手の人たちにいろいろとお世話になっているん ですが,新しい大学では助手の人たちはどうなるんですか? 次へ

ポーカス博士

そうじゃな,教員の身分がどうなるかという話の中では,助手の話が忘れられて いる。実際, 大学管理本部は、助手の定数および配属は「教学準備 委員会と経営準備会で検討し、大学管理本部の責任で決定する。」といった 形式的な返答しかしていないのが実情じゃ。理系の学科には,管理本部の人が やってきて「助手っていったいどんな仕事をするんですか?」とインタビューを していったそうじゃが,インタビューを受けたのは大学全体の助手ではない。 学科専攻によって助手の仕事はまちまちじゃが,教育や研究において欠かすこと ができない存在なので早急に検討して彼らの身分保障をしてもらいたいものじゃ。 ちなみに10月27日付けで都立大学文系助手会から大学管理本部長宛に「要請 および質問状」が提出されたが,回答なし。 さらに,文系助手会から再質問状が11月20日に出されたが, これに対しても返答なし11月10日に理学研究科助手会と工学研究科助手会による 質問書が提出されたがこれにも回答なし。 12月17日には,理学研究科助手会,工学研究科助手会, 文系助手会が共同で質問書を提出,2003年12月26日までの回答を求めたが, これに回答があったという話は聞いていない
 11月20日に飛び出した「新大学の教員の人事・給与制度(任期制・年俸制)の概要について」 によると(O-6参照),「新大学」では,助手は助教授や講師と同様,廃止される というのじゃ。助手は他の職位と同じように「給与固定,昇格無しの旧制度(とい う名前の新虐待制度!)」を選ぶか,「新制度」の公募に応募するしかない。 つまりな,新制度では助手に代るものとして 任期3年の研究員(仮称)がおかれ,2年延 長ができる。研究員(仮称)任期切れの時に,准教授(任期5年,再任は1回のみ) の公募に応募することができるという道じゃ。 新制度の研究員(仮称)は, 任期つきであっても准教授へ上がれる可能性があるという意味では, 風通しがいいように見えるが,准教授というのは,例えば今の制度の 講師と助教授に相応するものだから,現在の講師や助教授が新制度を 選ぶと,みんな准教授に応募させれて審査されるのじゃ。 つまり,助手も講師も助教授も,任期切れ(延長切れ)の時は, みんなまとめて准教授に応募するしかないことになる。
学校教育法第58条で必ず置くことが義務づけられている助手というのは, 大学における教育と研究の底支えをしている存在だ。日本のように秘書制度がな く,国公立大学のように行政改革の名の元に事務員の数が極端に少なくなって しまった国では,あらゆる仕事を教員が自ら行わねばならないが, 助手の援助によって現在なんとか研究と教育が可能になっている。 このような状況の中で,まず第一に現在の助手が研究員(仮称)に全員移行 できるのか否か,助手によっては現在でも任期雇用となっているが, 移行時にその任期はどのように扱われるのかが不明のままになっている。 また,研究員11月21日の読売新聞の記事にあるように、 「研究員もこれまでの助手とは異なり、能力次第で教授から独立して研究をする ことも可能となる。」 というのもよく分からない。

* 能力がある(研究業績がすぐれている?)となぜ研究員(仮称)が教授から独立できるのか?
* 逆に能力(研究業績がすぐれている?)がなければ研究員は教授から独立できないのか?
* そもそも研究員(仮称)の仕事をどのように規定しているのか?
* その「能力」を誰がどのように判定するのか?
* 現在の助手は,研究員(仮称)に移行する時も旧制度(という名前の新虐待 制度)と新制度を選択できるのか?

などなど考えればきりがないほど疑問がある。それというのも,研究員(仮称) の仕事内容,地位,助手という現職から研究員(仮称)への移行時の問題点など をきちんと考えていないからにほかならないな。そもそも,雇用主が一方的に新 しい雇用条件をつきつけて,その条件をのまなければ再雇用しないということ自 体に違法性がある。

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O-2  いったい今までどれくらいの声明や 公開質問状がでているんですか?この頃,物忘れがひどくて...  次へ

ポーカス博士

おやおや,若いうちからそんなことを言っていてはいかんな。 脳みそは日々鍛えないと老化するから,気をつけねばな。 わしもよく整理できていないので,一覧表を作ってみた。 まだまだ完全なものではないのじゃが これじゃ。 いかに多くの声明がこれまで出ていて, 公開質問状が無視され続けているかがわかる。 これを見れば,東京都大学管理本部が「教員や大学生の意見を 聞いて構想を作っている」わけがないことが一目瞭然だ。 こんなに多くの人が必死に意見を述べ, 不安になって質問しているのに, 「一部の人文系の先生だけが反対している」 と言った言い方をするのは事実を歪曲しているし, 誠意のある対応ではないことは明白だ。
 ちなみに「新大学の構想は教員にも伝えてあるので,教員に説明義務がある」 という大学管理本部の言い方は欺瞞だなP-2を参照)。 なぜなら,まず(1) 教学準備委員会での議論は, 非公開で行われてきて,委員は協議内容を外部に漏らさないように 約束させられていること,(2) 同意書問題で明らかになったように, 個々の教員にも「新大学」の詳細設計の内容は, 特別な場合を除いて口外しないことを迫っている。 それにもかかわらず,「新大学構想」の説明は教員がしろ, というのは無理じゃ。「分からないから質問する」のであって, 学生や助手会が不安になって質問するのは当然じゃ。 学生や助手に対しての質問に,教員が満足に答えられないことは明白じゃから, 教員は「大学管理本部」に質問してくれ,としか答えようがないのじゃ。 もっとも,管理本部も分からないので,河合塾に質問するようじゃが...

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O-3  「新大学」が仮に本当に2005年4月 にできたとしたら,例えば学科専攻別の図書はどうなるんですか?  次へ

ポーカス博士

そうよのー,例えば文学系5専攻の図書は,人文学部棟にあるが, 学科が消滅すると管理者がいなくなるな。じゃあ,エクステンション・ センターに管理替えしようと思ってもだな,エクステンション・ センターなる施設がどこにできるのか決っていないのじゃ。 場所も建物も決まっていないし,管理形態も分からない。 建物の新築なしで現状の研究室や書庫,教室を流用するとなったら, これはバラバラで実体が分からない代物になってしまうな。まともに機能せんぞ。
 カルチャーセンターを意識したエクステンション・センターなのだから 都民が来やすいところに施設があるべきじゃが,例えば都庁の中など といったら,今度は教員の引っ越しや図書資料の移動などが発生して, 大変な騒ぎになる。 2005年4月にできるようなものなら, もうとっくに青写真ができていなければならないはずじゃが。

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O-4  でも,ポーカス先生,その2005年に仮に「新大学」が 発足したら,独立行政法人になるんでしょ。だったら,もっと自由に大学の運営 がでできるんじゃないですか? そうしたら,図書の移動とか管理なんかも朝飯前なんじゃないですか。  次へ

ポーカス博士

な...なんと愚かなことを言っているのだ! まあ行政機関のスリム化を狙い,公務員の数を減らせる制度, というイメージが強いからそんなことを言っているんだろうが... 確かに予算の自由裁量権は広がると言われているが, それ以前に今回の「国立大学法人法」の具体的な内容が とんでもないものなのじゃ。さらにな, 大学経営の採算制が大きく問われることになる。 役立たないと判断されれば, すぐに切り捨てられるということなのだから, 人文系の図書の価値など,ごく一部を除けば必要と判断されるわけはない。 だいいち 2005年度になってから人文系の図書を移動させるなんて遅すぎる。
まずな,大学を独立行政法人化するというのは, 世間一般にとって聞えは悪くないのかもしれんが, 将来に大きな禍根を残すことになるのじゃ。

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O-5  そんなこと突然言われても,分かりませんよ。 いったい大学を独立行政法人にするってどこがそんなに問題なんですか?  次へ

ポーカス博士

わしも法律の専門家ではないのでいいかげんなことを言ってしまうかもしれんが, 独立行政法人制度というのは国家機関の業務効率化を目的として作られたと 言われている。具体的に国立大学を独立行政法人とするための法案は, 2003年7月8日に参議院を通過して成立したが, 23もの附帯決議がつくという異例中の異例だったのじゃ。 遠山文部科学大臣は, 何度も釈明をしたり訂正したりして法案自体の成立は非常にあやうい状況だった。 にもかかわらず,国立大学法人化法案の審議の状況はほとんどマスコミには報道されなかったから, 知らない人の方が多いと思う。まったく信じられん状況じゃった。
そもそもこの法案が「それぞれの大学に権限と責任を与え、個性的で競争力のある存在 にさせることが狙い」で作られたのかどうかがまず問題だ。 というのも「法人化」の名の下に大学に対する文部科学省の権益・支配を確保・拡大しようとす る図式が明らかにみてとれるからじゃ。
 まず大学の研究目標を文部科学大臣が決めることになってい る(第三十条第一項)のを知っておるか? 「国は,この法律の運用に当たって は,国立大学及び大学共同利用機関における教育研究の特性に常に配慮しなけれ ばならない」(第三条)となっておるが,最終的に決めるのは文部科学大臣なの じゃ。「配慮する」って言ったって,何か文句をつけても「はい,十分に 配慮しました」って答えられるから,こんな条文は意味がないな。
 次に6年という中期目標を掲げて研究することになっており, 中期目標は文部科学大臣が決めることになっておる。 つまり大学研究者の具体的な研究内容にまで国が口出しできる体制を作ったのじゃ。 さらに文部科学大臣には,学長の解任権まで与えられている。 ここまでくればわかるだろう。ようするに,一方で予算執行の面でこれまでより 自由を与えると見せておいて,その裏では徹底的に文部科学大臣に決定権を与え ている法なのじゃ。そして,大学の管理を学長に集中させることになるので, 文部科学大臣の意向が各大学の学長に直接反映され, それが大学全体を動かすようになる。6年という中期目標が達成されたかどうか は,大学評価機構と総務省が審査することになっている。この「大学評価機構」 の構成メンバーがまず問題だ。 そして「大学評価機構」が本当に大学の研究教 育成果を適切に判断できるかどうかという問題がある。 さらに総務省は, 研究教育が国へどれだけ寄与しているかを総合的に判断することになっている。 「文部科学省」,「大学評価機構」,「総務省」 がよってたかって大学の評価をしてくるということは, その分「学問の自由」が大幅に制限される危険性を持っている。 きっと6年,12年とたつうちに大学の淘汰が進み序列化がますます深刻になり, 地味な長期間の研究が必要な分野は日本の大学から消えていく。 派手な研究をする研究者は優遇され, 大学はどんどんビジネス化するじゃろう。でな, 「地方独立行政法人法」がまさにこの「国立大学法人法」に基づいて作られてい るので,都立の「新大学」もこれに縛られることになりそうじゃ。
 ただし,公立大学協会というところが2003年10月2日に 「公立大学法人化に関する公立大学協会見解」(pdfファイル) を発表している。なんと公立大学協会の会長は, D-1 で触れた,「新大学」の学長予定者 「西澤 潤一氏」(現 岩手県立大学学長)が努めておる。 この文書の中には次のような個所がある。


 「大学における教育研究の特性に常に配慮しなければならない」ことを定めた 配慮条項は、設置自治体が法人化を選択し、それを実施に移す課程においても 不可欠の前提となります。設置自治体が法人化を選択する場合、公立大学と十 分な協議を行い、新たな協力関係を築いていくことを要請します。
 設置自治体が法人化を選択した場合には、教育研究の特性及びこの特性のもっ とも重要な要素である自主性に常に配慮しつつ、大学側と十分に協議しながら 双方の協働作業として進めていくという姿勢が何よりも必要です。
平成15年10月2日
(「公立大学法人化に関する公立大学協会見解」  公立大学協会 会長 西澤 潤一   P.5 より


「設置自治体が法人化を選択する場合、 公立大学と十分な協議を行い、新たな協力関係を築いていくことを要請します。」 というのは,まさに今, 都立の4大学で起っていることに対しての抗議として通用する明言だ。 さらに繰り返して強調しているのは,「自主性に常に配慮すべし」,とした 次の個所だろう。 「教育研究の特性及びこの特性のもっ とも重要な要素である自主性に常に配慮しつつ、大学側と十分に協議しながら 双方の協働作業として進めていくという姿勢が何よりも必要です。」 このような視点に再び立ち戻って, 本当に反論も含めた議論を管理本部と大学側で再開して欲しい。 これまでの議事録もなく 情報開示さえできないような教学準備委員会ではなく, 大学にも都民にも開かれた議論を開始してもらいたい。

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O-6  「都立新大学、教員の“主従関係”やめ職制簡素化」(11/21) というタイトルの記事を読売新聞で読んだんですけど,画期的な制度だという 感じで書かれていたと思うんですが,本当にそうなんですか? 次へ

ポーカス博士

実は11月20日の教授会の前に,管理本部からの一枚の紙をもらった。「新大学の 教員の人事・給与制度(任期制・年俸制)の概要について」というタイトルじゃっ た。 簡単に言えば,管理本部は教員に2つの雇用形態を示し,その1つを選べ, と言ってきたのだ。選択肢は(1)旧制度(という名前の新虐待制度!),(2)新制度。 旧制度(という名前の新虐待制度)を選ぶと,「現在の給与を定年まで据え置き」,「昇任は無し」 で63歳定年となり,新制度を選ぶと任期制(研究員3年,准教授(5年,再 任は1回のみ),教授(5年再任可)で年俸制になり, テニュア審査を受けて主任教授(仮称)になって初めて65歳までのポストが保障 されるというものじゃ。
 読売新聞の記事は、11月21日になって読売新聞のサイトで初めて読んだ。 この書き方は最低じゃな。管理本部からの書類がどういうルートで新聞社に流れ たのかは定かではないが,なぜ最低かというと各文の最後の部分を見れば分かる。 ほらな。


「都によると、大学に助教授や助手を置かなくなるのは全国で初めて。」
「研究員もこれまでの助手とは異なり、能力次第で教授から独立して研究をするこ とも可能となる。」
「教授を5年以上務めた者に対しては、大学の“顔”となる「主任教授」(仮称) も用意している。」
「全教員を対象にした任期・年俸制は、横浜市立大学でも2005年度から導入するこ とが決まっている。」


これは「都」から来た資料をただ読んで, その良い面とされている部分の宣伝をしているだけじゃ。もっと言えば, 最後の文を見ても,問題意識がまるでないことが分かる。 こういう記事を「垂れ流し」というのじゃ。それに比べると, 毎日新聞の記事は,ちゃんと問題を掘り下げ, もう一方の当事者になる大学教職員組合に事情を聞いて, 問題点を指摘している。「裏を取る」という新聞記者の常識を守っておる。
さらにな,


「都は、旧制度にこだわる教員は給料を固定し、昇任を不可とする“冷遇”措置を 取る方針」

という部分は,読売新聞には完全に欠如していた部分じゃ。この2つの新聞の記 事をそれぞれ片方だけ読んだ人は,全く違った印象を受けるじゃろう。マスコミ 報道の影響を考えると恐ろしくなるな。
さてさて,問題を元に戻そう。問題点はたくさんあるがその内の主なものだけを ピックアップしてみよう。

(1) 現在の教員と所属大学の契約をいきなり一方的に反故にして,2つの制度のどちらか 一方を選べ,というのは違法である。
教員側の意思も尊重されねばならないが, これでは完全な選択科目であるはずのものを,選択必修にしておいて, 「ああ,どちらも選択だから同じだよ。好きな方を選べるからね。」と言うようなものだ。
(2) 旧制度を選ぶと,一方的に不利な労働条件を押しつけられる。
最悪のケースは,助手の人が,63歳まで助手,給与も63歳まで同じ,という ことが起こる。
(3) 新制度を選ぶと,その都度「公募・審査」が行われて再雇用される か否かが決まるが,その審査のシステムが日本には確立していない。
任期が来て,再審査を受ける時に,誰がどのように審査をすればよいのか, そのシステムをいかに公平に作り上げるかが大問題なのじゃ。京都大学の医学部 教授の件が問題になっておるが,まさにこの「審査システム」ができていないか らこういうことになるのじゃ。この新制度自体,アメリカの制度を猿まねしただけで 全然画期的なシステムじゃあない。 旧制度(という名前の虐待制度)は, 東京都が独自に考えた有効なリストラ法かもしれん...

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O-7  いろいろな話を聞いて自分なりに考えてきたんです が,今回の東京都のやり方は,どう見ても民主主義国家のやり方ではないと思う んですが,ポーカス先生はどう考えますか? 次へ

ポーカス博士

その通り。実はな,いわゆる民主主義国家を自認している欧米各国でも同じよう に民主主義の危機に関する問いが発せられているのじゃ。 経済危機が引金になっているとは思うのじゃが, 「トップダウンの政策,政治」というのは限りなく「独裁」に近いという 認識がある。 民主的(democratic)に政治を行うというのは, 国民の意志を尊重し議論を重ねて政治を動かすということだ。 民主主義とはトップダウンではなく,本来ボトムアップの原理なのじゃ。 だから民主主義を貫徹するためには,時間がかかる。 しかしな,近年の 技術革新のと社会変化の速さに合わせてすばやく政策転換や改革を迫られた 時,充分な議論もなくどんどん上で考えたことを下に伝えて実行してしまえ, という風潮が高まってきた。必要性という「錦の御旗」を立てて, 指導者達が自らやっていることを正当化してしまう。これは極めて危険な状況 じゃ。
 今の日本の政治家を見ても分かるように,一方では二世議員,三世議員が増加し, あたかも政治家が世襲制のような様相を呈している。ごく普通の国民が, 決意を新たにして政治家になろうとしても,多量の資金がかかる選挙活動を やることができない。もう一方では,タレント議員の増加がある。 一度知名度を獲得すれば,それにものを言わせて選挙に出て当選できる。 そのような政治家達が,トップダウンで政治を行ったらどうなるのだろうか? そして,政治家達が自分達と同じようにトップダウンで教育機関を動かす ために,大学の学長,高校の校長にも今までよりも強い権限を与えたら 教育はどうなるのだろうか? これが今,起っている現実じゃ。都立大学 問題だけではない,横浜市立大学の件もそうじゃ。そしてこの傾向は 全国の公立大学に広がりつつある。いやいや,国立大学とて同じ。 私立大学でも指導者がめちゃくちゃなことをやりはじめているところが ある。
 「一年で成果をえるなら米を作れ,十年なら木を植えよ, 百年なら人を育てよ」という言葉があるが,教育問題はトップダウンで 短時間に結論を出してははならないことなのだ。百年先のことを考えるには, きちんとした現状分析に基づいて設計・立案する必要がある。 先見の明のある専門家が集まって十分に時間をかけて議論しなければならない。 港湾局のお役人が突然集まってきて,数ヵ月で改革案を作って,3年間を過ごし て,別の部署に移動になる前にやってしまうようなことでは, 本当の意味での教育の改革はできないのじゃ。 会社経営的な視点を大学に導入すると言っておるが,利潤追求の会社経営なら リストラして改革すれば,すぐにでも結果が出はじめるかもしれん。 教育はそうはいかない。 大学でリストラして改革したら,教育内容がよくなってすばらしい学生がす ぐに社会に出て活躍する,と思うのは大きな間違いだ。結果がでるまでには,何年,何十年と かかるのだ。 就職率がいいから良い大学だと考えるのも近視眼的発想じゃ。 研究とて同じだ。研究組織,体制が大きく変われば, それに従った結果がでるには何年もかかる。そして,何年何十年して, やはり間違っていたから直す,ということは簡単にはできないのじゃ。 新たに手直ししても,またその結果がでるには何年何十年かかるからな。
 このように考えると,今の社会がいかに「民主的」ではない状態かが 分かってくる。皮肉なことに,現在の日本の二大政党の党名には,どちらも 「民主」という言葉が使われているな。そして,今回の都立4大学改革問題 に対して,都議会のこの2つの政党は今のところ極めて消極的じゃ (個人的に関心をよせて, 親身になって話を聞いてくれる議員が最近はいるのじゃが)。請願 の中に「民主的にやってください」という言葉が入っていると, 請願が通りにくくなるそうじゃ。なぜって? そりゃ, 自分達が民主的な政党だと思っているからだろう。 でも本当はそうじゃない。 うすうすそのことは分かっているんじゃ。

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O-8  岩波の「東京都の『教育改革』」(No.613) というブックレットを読んでびっくりしたんですが, 都立高校とかも大変なことになっているようですね。 いったい東京都の「教育改革」は何をめざしているんでしょうか?  次へ

ポーカス博士

「教育改革」とカッコをつけるのは,その表現(「改革」)の意味にコミットできないからだが, 基本的に東京都がやっているのは,教育の徹底した管理じゃ。 ここには2つの目的があるように思える。 1つは都立高校を例にとれば,主幹制の導入により, 「校長→教頭→主幹→主任→一般教師」 という序列づけを導入して,東京都の意向を直接的に校長に伝え, 教頭は主幹へ,主幹は主任へ,そして主任は一般教師へと縦の序列を作り上げたことで, 上から下への命令系統を整備したことだ。 これは,職員会議で民主的な話し合いをした結果, 学校の方針や行事のやり方が決まるというボトムアップのやり方の否定だ。 縦関係をがんじがらめに縛っているのは, 「自己申告」と「業績評価」の導入じゃ。教師は, 校長や教頭との面接を受け, 自己目標を設定させられそれをどれだけ達成できたかを報告させられる。 一方,校長はあらゆる教員の授業を学期に1回づつ見学して評価をつける。 このようにして,教育を徹底的に管理するわけじゃ。
 2つ目は,管理体制を徹底することによって, 非協力的な教師を閉め出すこと。つまり, 東京都の方針に反対をする教師は必要ない,という考え方だな。 「日の丸,君が代」問題は,世間にも知られていると思うが, 入学式や卒業式で日の丸が掲揚されているか否か,教師が皆, 起立して君が代を斉唱しているか否かをチェックして, していないものに処罰を加えるという。 これでは,まるで戦前の「天皇主権国家」に逆戻りしたようだ。
 10月のシンポジウムでもすでに話題になっていたが, 都立高校の先生達から今回の「新大学構想」を見ると, まるで同じ構図だというんだな。独立行政法人にして, 学長と理事長を分ける。ここで,「理事長→学長」という線ができる。 「学長→学部長」という線は以前からあるから, あとは「業績評価」のための審査委員会をその下に 導入すれば同じような上から下への命令系統を完備できる。 さっきO-6で取りあげたように, 雇用形態を任期制にして,一定年限で業績審査をするだけではなく, 年俸制まで取り入れるということは, その年その年でどれだけ(研究,教育,社会貢献上で)業績をあげたか をチェックする人達が必要になる。そこにもまた, 新たな審査委員会が作られる。 次々と作られる審査委員会のメンバーの一部は, 外部の人間,そして一部は秘密主義を守らされる内部の人間 ということになったら,どうなるだろう? 誰かが審査委員会のメンバーで,その誰かが分からないという構図は, 社会主義体制でよくある話だな。 みんな疑心暗鬼になる恐怖の管理社会じゃ。上下関係で縛るところは, 封建社会と同じだ。新しいものが良いものだと力説する知事が, 実は民主主義を捨てて,封建社会の建設に力を入れているとは,皮肉なものだ。
 N-4で話題にした教学準備委員会を覚えているかな。 一方的に大学管理本部の話を聞かされ, 反論はいっさい聞いてもらえないような場だった。 管理本部は,「同意書の提出の有無を問わずに大学の教員からの話は聞く」 と述べているようじゃが,実際には「反論は無視する」のじゃ。エクステンション・ センターにしろ基礎教育センターにしろ,人文学部長は, 教学準備委員会できっぱりと反対していた。しかし, 反対は意見とは見なしてくれない。「新大学」では, 縦の管理体制が強化されるから,教学準備委員会のような状況, 即ち上から来る話に下から逆らうことは難しい状況が生まれる可能性が高い。 反論が出た時,その反論を含めて検討するのが民主的な議論の仕方というも のだ。それを認めないようなシステムを,今の「東京都の教育改革」は作り上げ ようとしている。
 石原知事が繰り返し呪文のように言っている言葉に「いやなら辞めたらいい。」 というのがある。もしこのような状況になったら, 「新大学」に雇われる教員もどんどん大学を去っていくだろう。 そして,大学とは名ばかりの学生も来ない廃墟と化す。

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O-9  なんであんなに石原知事は, 「新大学」に反対する大学の教員のことを目の敵にするんでしょうか?  次へ

ポーカス博士

わしもいろいろと考えておったのじゃが,先日買った「石原都政副知事ノート」 (青山やすし著 平凡社新書209)を読んだところ,前から思っていたことが 裏づけられるような説明が出てきた。著者は第一期石原知事時代に副知事を していた役人で,この本は基本的に知事を誉め称えるというスタンスで書かれて いる。しかし,都政の内情をある程度読むことができ,話半分に聞いても 面白い部分もある。特に,以下の部分はおそろしい話じゃが非常に説得力があった。


P.203
私は、石原知事は、「他人の内心に関心がない」のだと思う。洞察力以前の問題 だ。つねに考えているのは、マス(集団)としての大衆から「自分がどう見える か」だ。「大衆が何を思っているか」だ。大衆の気持を先取りすることにおいて 天才であることは、『太陽の季節』が証明している。
...
大衆は、一般に、内省的ではない。直感的、衝動的だ。

P.204
「石原さんは面白い」
「石原さんの言っているとおりだと私も思う」
「私の気持を代弁してくれた」
「石原さんなら何かをやってくれそうだ」
「石原さんに、あいつらを懲らしめてもらいたい」
そういう声をよく聞く。しかし、「石原さんが正しい」という声は聞かない。
当然だ。正しい話は、つまらない。プレスだって報道しない。正しい話をするの ではなく面白い話をするからプレスも報道するのだ。知事らしくない、意外な表 現をするから、報道されるし、大衆も面白がる。


そう,こういう人が東京都の知事をやっているのだ。ようするに,「正しいこと」 を見据えて,世の中のためになるような政治をやるのではないのだ。 著者の言葉を借りて言えば,「内省的でない直感的で衝動的な大衆にうける ような」発言をして,行動するのだ。
 「新大学構想」を考えたのは,昨年4月の知事再選の時だろう。 それまでの改革案を見ても,「大衆もびっくりするようなパンチ」がなかった。 だから「新大学構想」をブチあげ,皆をあっと言わせた(これがそもそもの狙い)。 「新大学構想」に反対しているのは,大学の先生。大学の先生は,「えらそうにして いるから大衆の敵」。だから,思いつく限りの表現でいびってみる。 「頭が固い」,「象牙の塔」,「保身的」,「タコツボ」,「保守的」, 「古い」,「知的にうぬぼれている」などなど。ようするに,本当に 「大学での教育や研究がどうあるべきか」なんてまーーーーったく考えていないのだ。
 このような「ウケを狙う政治家」と「面白さを求める一般人」, 「面白いニュースだけを報道しようとするマスメディア」が, 今では複合的に相互作用している。 これらは,現代社会を非民主的にしている3つの致命的要因だ。 例えば,一般人が気づいていないうちに,アメリカはイラクに大量の劣化ウラン弾を 使用した。イラクでは,今でも深刻な放射能汚染が問題になっているのに,そのことを まったく問題にせずにいる被爆国日本の政府。 そして,ほとんどそのことを伝えないマスメディア。 憲法違反の自衛隊派遣の裏には,こんなに危険な状態があることを, どれだけの日本人が知っているだろうか?
 「うまいラーメン店の紹介」みたいなテレビ番組を見て面白がっている視聴者。 そしてその視聴率を気にして番組を作るテレビ会社。これだけではいけない。 世界で日々起っていることを,(政府よりではなく,面白さ本意ではなく, アメリカの視点だけではなく) きちっと問題を掘り下げて報道するニュース番組が日本にないというのは, あまりにも情けない。国民がもっと積極的に,公の場で発言していくことが,今ほ ど求められている時代はない。そこから変えるしか手はないのではないか。

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O-10  今回の「8・1の大改悪」の影響で, もう現実に都立の4大学は研究・教育環境にかなりの影響を受けていますよね?  次へ

ポーカス博士

確かにそうじゃ。整理してみると:
(1) 教員流出問題
(2) 時間どろぼう問題
(3) 学生数減少問題
の3つがあると思う。
(1) の教員流出に関しては,全体像は分からんが, 本年度いっぱいで大学を去る教員はかなりの数になるじゃろう。 その一方で,教員の補充ができるかと言えば,そう簡単にできるとは思えない。 50数年の都立大学が今,じょじょに崩壊の危機にさらされている。
「説明会を求める都立大生の 会」のインタビュー(2003年11月10日)では,この点に関して学生が管理本部に質問をしておる。


(学):   改革にともなって他大へ移られたり、定年で退官された教 員は,補充してもらえないだろうか。
(管):   そのような事態は通常の大学運営でも起こることであり、 教員を補充するなり、非常勤講師を雇うなり対応は大学側で考えてほしい。 その際、疑問点等・要求等あれば大学側から管理本部に問い合わせてもらいたい。


という答弁があったようだ。確かに,教員の転出は常に起っていることだが, 今回の「大学改革騒動」の中で,転出する教員の数はこれまでになく多くなって いる。大学の事務方に照会した所, 人文学部では前年度も充員人事として欠員分はすべて申請したが, 認められたのは臨床心理士認定コースの取消しがかかっていた心理学 の1件と助教授から教授への昇任人事の1件のみだったということが 確認できた。 ようするに,転出した教員の後を埋める人事は,ほとんど「塩漬け」 の状態で,それをストップしているのは大学管理本部(人事課? 定数当局?)であるということが明らかになった。 じゃあ非常勤講師を雇って切り抜ければいいかというと, 非常勤講師用の予算は大幅にカットされていて,次年度は 現状維持すらできない状況じゃ。
 補充をしないとやっていけない状況になっている所もあるはずだが, 本年度の新たな欠員分を充員させたいと思っても, その欠員の責任は人文学部自体にあると管理本部は考える じゃろう。事実はその逆で, 管理本部の「8・1大転換」がその原因なのだが... 学生達が必死に団結して管理本部にインタビューに行ったのに, こんないいかげんな答え方をした管理本部には, 正直言って腹が立つ。
 また,2003年11月13日の文教委員会で、大学管理本部は


教員が退職した場合は、他の教員が責任を持ってフォローしあえばよい。

と答えたようだが,これは大学教育に関する根本的無知をさらけだしている答弁 だ。専門教育に関しては,各教員が特定の専門領域を担当しているのであって, 代替がきかないのが普通なのだ。一般事務職の職員とはわけがちがう。 一人がいなくなったら,その周囲の人間がフォローするなんてことは, 簡単にできない。だから,欠員が生じた場合は,補充すべく新任の人事を起こす のじゃ。
 (2) の時間どろぼう問題じゃが,これも深刻じゃ。教員も学生・院生も, 今回の「8・1の大愚行」のせいで,多大の時間をかけて抗議活動をしている。 本来だったら教育や研究に捧げられる時間が,このようにして失われているのは, 東京都の大学として考えれば,東京都の大いなる知的損失になっている。 この戦いは,国公立大学の法人化を目前にひかえて, 全国の大学に影響を与える歴史的試金石になってしまっており, もう引き返して白旗をふることはできない。今回の「8・1の大暴挙」のせいで失った 時間を,知事と大学管理本部には返して欲しい。 もちろん精神的ダメージも,計り知れないものがあることを忘れることはできな い。
 (3) の学生数減少問題じゃが,まだ入試が続行中なのではっきりしたことは言えない。 しかし,人文学部の大学院では, 志願者が激減したことはすでに事実として知れ渡っている。 これは,「8・1の大転覆」の影響じゃ。 「人文の教員の数が半減する」と聞かされたら, いかに著名な研究者を抱える研究科だとはいえ, いつ誰が抜けるかと考えると応募をする気持にはなれんだろう。 一般入試の方は,今回,全国的に競争率がさがっているので, 都立大だけが特別大きなダメージを受けるという方向には進んでいないようで, ちょっとほっとしているが,(1) の状況を考えると本当にそれでいいのかという気持もある。

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O-11   2004年2月27日の衆議院文部科学委員会で都立大 の問題が取りあげられたようですが,文部科学大臣はどんな意見を述べたのですか?  次へ

ポーカス博士

そう,衆議院文部科学委員会で共産党の石井郁子議員が質問した。 結論から言うと,1勝2敗というところかなと思う。 質問の第1点は意思確認書の問題(L-4)だ。 これはすでに報道されているように,「文部科学省がこのような文書を出せと求め てはいない」と河村文部科学大臣は明言した(1勝)。事実関係の説明の後,文部科学省 が言っていないことを,あたかも言ったかのように扱った大学管理本部に対して, 抗議をすべきだと指摘すると,大臣はすでに抗議はしていると発言した。 しかし,管理本部のホームページには,謝罪の言葉はまったくないと, 石井議員が詰め寄ったが,抗議はしたの一点張りで, 謝罪を求める様子はまるでなかった(1敗)。
 第2点。石井議員は,文部科学省も都立の4大学の統廃合問題に対して, 適切な指導をすべきではないかと迫ったのだが,河村文部科学大臣は:


河村文部科学大臣 管理本部は教学準備委員会を設置して、 大学の学長、学部長、教員の意見を聞きながらきちんと協議を行っていると聞いている。
   公立大学の統合、改廃の問題については、設置者の主体性、意向を尊重するべきであり、 文科省はとやかく言う立場にない。

と答えた(1敗)。文部科学省が,都立4大学改変問題で何の情報もつかんでい ないわけはない。さまざまな団体の抗議声明も,直接文部科学省に送付されてい るはず。また,鬼界氏の2004年1月26日に出された要望書は, 河村文部科学大臣宛だったはずじゃ。さまざまなマスコミでも報じられているよ うに, 教学準備委員会(XX-7)は,現存の都立4大学の代表者が集まって話し合いをして いる場ではない。それにもかかわらず, <管理本部と大学側でちゃんとした話し合いが持たれている> という認識だとしたら, 一般的おとなの認知能力欠如,一般常識の欠如という理由で, 大臣どころか国会議員も辞職してもらわねばなるまい。 「学問の自由」や「大学の自治」という, 国家で考えなければならない問題に目をつむるというのは大臣のすることではな い。 日本の教育行政全体に責任を持っているということを自覚し, 与党議員であるということとは離れて「一人の日本の政治家」 として自覚し,責任ある行動・発言して欲しい。 都議会文教委員会でも起ったことだが, 与党議員であるというだけで,事の真意を吟味せずに賛成するとか, 反対するということが起ってはならない。党意党略のために, 真理をないがしろにしてはならない。 そんなことをしていたら,日本の教育はやがて完全に崩壊してしまう。 この文部科学大臣の答弁に対しては, しかるべき筋からきちんと反論しなければなるまい。

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O-12   2004年3月7日の毎日新聞に「首大構想」を称える 記事が出ていたというのは本当ですか? 次へ

ポーカス博士

ああ,川勝平太氏の書いた「首都大学東京の試み」というやつじゃな。 http://www.mainichi.co.jp/eye/kaze/art/040307M076_0303100D10DC.html で読むことができる。彼は国際日本文化研究センター教授なのだが, (教学準備委員会の外部専門委員でもあるが) この記事には明記されていない。さらに,小渕総理大臣時代の 「21世紀日本の構想」懇談会,第4分科会「美しい国土と安全な社会」の座長をしていた。 また「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者としても知られている。 ここまで言えば,なるほど,だからこういう賛辞が書けるのか, とピンとくるだろう。
 これだけでは分からない人のために少し補足しておこう。 「21世紀日本の構想」懇談会でなんで座長をつとめていたか? 実は,川勝氏は <富士山日本崇拝主義>とも呼べる「富国有徳」主義を唱えた人物で, この言葉は小淵元総理大臣が気に入った言葉だった。


明治の指導者は、百年の大計として富国強兵をかかげた。その批判を現代 の観点からおこなうのはたやすい。しかし、その国是のもとに、日本は、ほか のアジアのほとんどの地域が植民地になるなかにあって、ひとり政治的独立を まもり、かつ経済発展に成功した非西洋圏で唯一の国となった。それはアジア (東洋)史における奇跡であり、世界史にのこる日本国民の偉業である。
『富国有徳論』 紀伊国屋書店,1995年 p.219
文化とは、憧れられるものであり、その求心力によって中心性をもち、他 に模倣されることによって普及し、普遍性を獲得する。文明とは、中心性をも ち、他に模倣されて普及していく文化である。憧れられる文化、すなわち文明 になることがグローバル交流時代における大国の新しい条件である。各国から 憧れられ仰ぎみられる文明、それは富士山のごとき存在であろう。富士の「富」 と「士」を英訳すれば rich and civilized である。「豊かに、かつ廉直に生 きること」、それこそが現代の日本人に求められているすがたであり、富国強 兵になぞっていえば富国有徳になる。
『富国有徳論』 紀伊国屋書店,1995年 p.221


これだけ読むと,「ふーん,なるほど」なんて思ってしまう人がいるかもしれん。 しかし富士山になぞらえた一見穏健な自国賛美の裏側には, これまでの日本の歴史の負の部分,即ち,戦争をしてアジア諸国を侵略したとい う側面が意図的に隠され,<日本はもともとすばらしい国だったんだ>, <各国が憧れるようなすばらしい国=日本>という図式がある。そして, まさにその観点が川勝氏を「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者 にしているのだろう。 あれほど露骨に日本の歴史をねじ曲げた本は他にないし, 海外からも国内からも強烈な批判を受けているのは知っているだろう? 批判声明は、 ここで(外部リンク)読むことができる。 にも関わらず,東京都では都立養護学校であれを教科書として採用してしまった。 そんな東京都を動かしているのは,もちろんあの石原都知事だ。
 さて,そんな川勝氏の「首都大学東京の試み」に対して, 言いたいことは山ほどあるのだが,3つに絞ってコメントしよう。
(1) 大学名は,公募の中から選ばれたのではない。「公募の中にあった言葉を 組み合わせて,知事周辺の人達が考えて,知事が最終的に決めた」というのが正しい。 以下のように川勝氏は言っているが,これでは「普通の公募」を想像し, 公募の中にあった名前を公正に選んだように聞こえてしまう。


「先月、石原慎太郎・東京都知事は東京都立大学を改編し、新しいカリキュラ ムを編成して来年4月から「首都大学東京」として開学し、新大学の学長に西 沢潤一氏を迎える旨を発表した。首都大学東京という新しい大学名は、公募さ れて4000以上の応募点数、828の異なる名称の中から選ばれた。 」


(2) 「地域学」が大学の正規の授業に採り入れられてこなかった, という認識は間違い。アメリカ経由で,「地域研究」(Area Studies)として 輸入され,かなり多くの大学で学部学科が設けられている。ただし, 「東京都」とか「八王子市」といった狭い範囲の地域研究が, 学部・学科単位で行われているというのは聞いたことがない。 「地域学の勃興」が本当に大学教育や研究の場で広く起きるのか 否か? 答えは,NO! じゃ。 「地域学」が大学の教育や研究において革新的なものを創り出すとは考えられない。 さらに, 「近代日本の極度に専門化した学問のあり方」を批判することで, 大学での専門教育を排除しようとしているようにも聞こえる(実際に, 「首大構想」では,専門教育・研究をないがしろにしている)。


「首都大学の名称も、そこで予定されている学部の名称も、「地域学」を正規 のカリキュラムに取り入れるということでは画期的である。このような「地域 学」の勃興は、近代日本の極度に専門化した学問のあり方を変えると予想され る。」...
「日本は世界に冠たる近代社会になった。 現在、勃興している地域学は「新しい実学」として自らの足で立つ新しい国づ くりと結びついている。」


(3) 西澤学長予定者が「批判には堂々と反論し、筋を通す」人として紹介され ているが,これまで都立大教員や学生の「新大学」構想に対しての批判に, 堂々と反論し筋を通すお姿は拝見したことがない!
 西澤学長予定者の 「アジアの伝統に立脚し、アジアに燦然(さんぜん)と輝ける大学」というの はいったい何を意味するのか?「日本は世界に冠たる近代社会」という川勝氏 の言葉と合わせて考えると, 謙虚さがまるで欠如した自画自賛の実学賛美者が集まっているという印象を受け る。


「西沢氏は、現在の東京都立大学の執行部との会議で個人の自立の重要性を述 べ、アジアの伝統に立脚し、アジアに燦然(さんぜん)と輝ける大学にしたい、 と抱負を語った。批判には堂々と反論し、筋を通す。その態度は見ていて清々 (すがすが)しい。首都大学東京は日本の大学教育改革の先駆けになると予見 しておきたい。」


 最後に一言。「首都大学東京」構想は<日本の大学での研究・教育崩壊>の 先駆けにならないように祈りたい。

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O-13   東京都が開設する「未来塾」って何ですか?  次へ

ポーカス博士

以前,大学説明会の時にもその質問があったが,大学管理本部もよく知らない制 度じゃ。管轄が「教育庁」だから分からないというのがその時の答弁じゃった。 詳しくは, 東京都教育委員会(外部リンク) の説明を読んでもらえばおよそのことは分かる。 平成17年度に設置される都立の「新大学」と高等学校との 連携により、日本の将来を担い得る改革型リーダーとしての資質を持つ人材を 育成するために設置するんだそうだ。そう言えば,2004年3月10日には, 合格通知が発送されているはずなのだが...
 いくつかの特徴を箇条書きにしてみると:

(1)  対象は都内在住の高校3年生,50人(文系学部志望者約25人、理系学部志 望者約25人)。(50人の内訳:都立高校生約40人、国立・私立高校生約10人)
(2) 東京都教職員研修センター分館東京都総合技術教育センター等を利用。
(3) 〈特別講義〉,〈課題解決学習〉,〈ゼミナール〉,〈体験学習〉 からなる講座を4月から2月までの約100日受講する。
(4) 塾生は,東京未来塾と在籍校の学習成果に基づき, 「首大」が創設する特別推薦制度(仮称)を活用することができる。 (無試験入学という噂)
(5) 第一線で活躍する社会人・大学教員などが講師となる。

 何が問題かというと,東京都教育委員会が主体的に運営するこの未来塾が, 日本の将来を担い得る改革型リーダーとしての資質を持つ人材 を高校3年生から50人集め,100日間鍛えて,「首大」に押し込んでくる という点じゃ。いったい誰が塾の講師となるか? 当然,東京都教育委員会が気に入った人達だろう。 どんな学生が集まるか?「首大」に入りたい高校3年生。 あの「大学構想」に魅力を感じる高校3年生じゃ。そのような若者が, 東京都の作ったプログラムで100日間鍛えられて,無試験で「首大」 に入学してくる
 分かるかな? 4月の大学の授業が始まってみると, 教室の中に「日本の将来を担い得る改革型リーダー」 として東京都教育委員会によって選ばれた未来塾卒業生がいるかもしれないのだ。 怖い話だとは思わんか? 東京都教育委員会は, 自分達のお気に入りの教師も作ろうとしている。その名も 「東京教師養成塾」だ。 4月から大学4年生100人を対象として開講し, 独自に教員養成に乗り出すらしい。 教師も学生も,みーんな自分達の気に入った 理想像に近づけたいというのは,戦前の日本で実在した状況じゃ。 歴史を紐解いてみれば,権力者たちは教育を自在にあやつることで国民を 巧みにコントロールしてきたことが分かる。そんな危険な行為を, 今東京都は大々的にやり始めている。誰かがこの流れを止めないと, 東京都の教育は,東京都という行政機関が望むような形にすべて 塗り替えられてしまう。この流れを止めなければ...

2004年6月になって,「首大」入試関係の業務がつぎつぎと具体化 を迫られるようになってきた。そんな中で,未来塾の学生の扱いが 問題となったのだが,なんと50名の枠に60名しか応募が なかったそうじゃ。その中でも,大学の進学希望学部は 人文・社会系が16名(枠としては9名)と,突出していたという噂だ。 学部コースによっては,はるかに希望者が少ないところもあったようだ。

その後,しばらくの間,未来塾の話は聞こえてこなかったが,10月に入って 一通のメールが舞い込んだ。そのまま紹介する訳にはいかないので,名前は 伏せさせてもらったが,まずは次のメールを読んで欲しい。


A高校の3年生B君は、4月以来「未来塾」に時間割をやりくりして通ってい ました。2学期になって希望学科を決定する段になり、彼は「首都大学東京」 のあるコースを希望しましたが、他にも希望者がおり、そこへは進学できないと 言われました。一時は「首都大学東京」への進学をあきらめましたが、「未来 塾」へ通っていたため受験勉強はほとんどできず一浪を覚悟しました。「未来 塾」は毎週大学並みの論文課題が出され、長期休暇中も講義やボランティアへ の参加を義務づけられているうえ、学校の成績を下げてはならないと言われて おり、一般の受験勉強をする余裕はありませんでした。B君の通っているA高 校から抗議や交渉を行いましたが、結果的には本人が妥協し「首都大学東京」 別のコースに進学することにしました。

今年度の「未来塾」の説明会ではこのような問題も含めて様々な問題点が各高 校から出されたようです。A高校でも「首都大学東京」の現状もあり来年度の 「未来塾」への参加を再検討中です。


この話を読んで分かったことがいくつかある。 まず,未来塾というのは,想像以上に厳しい教育をしているらしい。 大学並みの難しい講義を聴かせてレポートを書かせるという噂だ。 高校生の方でも中途半端な気持で授業に望む訳にいかず, 学校の勉強の他に大変な量の勉強をさせられたようだ。 それはそれで結構な話なのだが,未来塾に多くの時間を取られるため, 受験勉強はまったくできい状態だったが, そもそも「未来塾に入ったら,首都大学東京に入学できるから」 と先生から(?)聞いて入ってきた学生が多かったので, さて進学希望が必ずしもかなわないと聞かされた時はショックだったようだ。

ここでの行き違いには,2つの要因が絡んでいる。
(1) 未来塾の塾生が全員「首大」の希望学部学科コースに無条件で 入れると思い込んでいた人達がいる。
(2) 特別推薦制度(仮称)というのは,未来塾がスタートした時点では 何も決まっていなかった(東京都教育庁が勝手に構想しただけで, 東京都大学管理本部も関知していなかった)。

未来塾を設計したのは教育庁で,「首大」を設計したのは, 大学管理本部,つまり,ここには典型的な縦割り行政があって, お互いに1つの大学に関与しておきながら,相手のことなど おかまいなしに事を進めたということだろう。教育庁での未来塾は, 重点事業になっているから何年間かはやるだろうが,本当に末長く 続けるつもりがあるのかどうかは疑わしい。
 そして,もともと募集要項には, 「塾生は、東京未来塾と在籍校の学習成果に基づき、 都立の新大学が創設する特別推薦制度(仮称)を活用することができます。」 と曖昧な書き方がしてあった のも罪作りな部分だ。 さらに, 人数を集めるために誰かが「首大に入れます」と勧誘して回った可能性も否定できない。 希望の学科コースには定員があり,その人数しか受け入れないことは, 募集の時からきちんと明示すべきだったし,その人数内に調整されても, 試験が行われるので,成績によっては「首大」の学生になれない可能性もあるのに, それを募集時に知らせていない。

今回の騒動に巻き込まれ,自分の希望しなかった学科コースに入ることを 強いられてしまった塾生は,まったく気の毒としかいいようがない。 責任は,そもそも管理本部とも大学側とも相談せずに,1つの事業として 一方的に初めてしまった教育庁にある。しかし,アイデアは知事サイド から降ってきたのかも知れない。「都レンジャー」の件(N-16)だって, 都知事がアメリカに行って感激して日本でもやろう,と言い出して, 「首大」に養成コースを作れなんていったら,本当に真面目に役人が検討する。 しまいには,大学にその話が降りてきて,もう取り消しようがなくなる。 巻き込まれた役人は,ただの仕事としてこなせば済むことかもしれない。 しかし, 今回の未来塾の塾生は,半分だまされたようなものだから,気の毒だ。 鳴り物入りで登場して「すごいぞー」と思わせる,でもやり方や実現性はきちん と詰めて検討されていない, これは未来塾だけでなく,「首大構想」にも当てはまることではないかな
 「首大」の希望のコースに進めない未来塾の塾生,「首大」に入れると思っていたのに, 入れない塾生,その子達の未来の可能性をもて遊んでいるのは,いったい誰なんだ! 被害者は,実は未来塾の塾生だけではない。 塾生が未来塾での勉強を続けられるようにするために, 高校側ではカリキュラムの一部変更をして, その生徒が塾で課されたレポートを書けるようにと特別に指導教員をつけ, サポートしているという話を聞いた。 高校側も高校の教師も未来塾に生徒を参加させるのは, 大きな負担となっているようだ。さらに,大学側でも 「未来塾のことなんかしらん」とする大学管理本部と, なんとかして欲しいと頼んでくる教育委員会の板挟みにあい,苦慮している (2004年度の未来塾生のための特別推薦入試は11月16〜17日に実施されて, 11月29日にはその結果が発表される予定)。 誰かの思いつきが実行されたために,多くの人達が時間を浪費している。 被害者の人達も, 抗議の声を一般の人達に分かるところに公表しないと, この問題は闇から闇へ葬り去られてしまう。気がついたら, そんな「塾」があったっけ,と皆に忘れ去られてしまうかもしれない。

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O-14   「首大」では教員の任期制・年俸制を導入すると いう話ですが,学生にも影響はあるんでしょうか?  次へ

ポーカス博士

間違いなく影響がある。O-6で,すでに話題にしたが, 「首大」が地方独立行政法人になって,「新制度」としての任期制・年俸制を もし選択したとする。研究員3年,准教授5年(再任は1回のみ),教授5年(再任可) ということで研究・教育に関する評価を受けることとなる。3年毎,あるいは 5年毎の業績評価をまず誰がやるかというと, 科技大説明会(I-8)で明らか になったように,今の案では「学科長あるいはコース長」が, 1次評価を一人で行い,2次評価は部局長が行う。任期制・年俸制を選択した教 員は,自分の任期が切れることが一番の心配事だからできるだけコース長や 部局長に受けのよい研究や教育を心掛けるようになるだろう。これは, ある意味で「学問の自由」に対しての制約になる。「クビ」になりたくなかった ら,「分かりやすい研究をしなければならない」。「すぐに結果のでる研究を 選ばねばならない」。「上司のウケを狙えるような研究をしなければならない」。 自分でそれまで抱えていた研究テーマが,地味ですぐに結果と結びつかない 基礎研究に属するものの場合は,研究テーマそのものの変更を迫られる可能性が ある。上司がX理論を理解できない,あるいはX理論が嫌いである, そんなケースもあるかもしれない。そんな場合,X理論から手を引かざるを えないかもしれない。この影響は,当然学生への研究指導においても影響する。 学生が「〜を研究テーマとして選びたい」と希望しても,教員の方で, それは「自分のクビにつながる」と思えば,希望がかなわないかもしれない。 学生が「〜を学びたい」と希望しても,そんな基礎的な部分に自分の労力を 注いでいたら再任が危ういと思う教員が現れるかもしれない。他方では, 「ことさら学生へのウケを狙った授業が増える」可能性も否定できない (学生の授業評価の結果が自分の再任に関係しているとすれば)。 学生にとって<辛いけど将来のためになる>授業は減り, <楽しくて単位が取れる>授業がますます増えていく。
 ここで2つの事例を紹介しよう。1つは,京大教授の任期制再任拒否訴訟だ。 2004年3月31日に京都地裁で判決が下った。 京都大再生医科学研究所に任期制で雇用されていた井上一知氏は, 学外専門家による外部評価委員会が再任に賛成 していたにもかかわらず,学内の協議員会が2003年12月に再任を否決した。 これは,たとえ専門家の間で高い評価を受けていても,学内委員会(井上氏の 場合は,研究所の議決機関)が再任を拒めば任期満了によって地位を 失うということだ。今回の訴訟で井上氏側は, <▽恣意的な決議で、学問の自由の侵害にあたる▽大学側 は「何回でも再任される」とだまして任期制に同意させた> ので任期付きの承認処分は無効であると主張していた。この裁判は, もちろんこれで終りではないだろうが,恐ろしい教訓をわれわれに 突きつけている。つまり, 極端な言い方をすれば,「どんなにすばらしい研究をしていても, 学内委員(会)がNO!と言えば再任を拒否できる」ということじゃ。 このような判例を積み重ねてしまうと,そのうち本当に, <上司の顔色をうかがいながら研究する>というような事態が 現実のものとなってしまう。
 もう1つは,2004年3月28日に行われたシンポジウム 「任期制・年俸制の導入と評価制度は 大学をどうかえるかーー知の生産と教育の在り方を問うーー」 での福井直樹氏(上智大学,元カリフォルニア大学)の発表だ。 任期制・年俸制という のは市場原理に基づくやり方でアメリカで広く普及している というイメージがあるが,アメリカの研究中心大学では, 任期制や年俸制を採用していないという指摘じゃ。そして 管理本部の図式に登場した<テニュア制度>にも言及している。 詳しくは, ここ(外部リンク)を読んで欲しい。 市場原理にまかせておけば競争が激化し,研究の質が向上するとか, アメリカの大学はすべて任期制・年俸制を導入して効果を得ている と考えるのは間違っている研究や教育というのは,市場原理に 任せておけないというのはイギリスの公立学校の現状や, ニュージーランドの大学の現状を見ても分かることで, 公的機関が聖域として保護していかねばならない性格のものなのだ。 もちろん行政が勝手に研究や教育内容に踏み込む, というのはもってのほかじゃ。

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O-15   「首大」のブランドプロモーション が始まるって聞いたんですが本当ですか?  次へ

ポーカス博士

ああ,第3回の経営準備室準備室運営会議で資料が配られていた。 大学が正式に認可される前から,少しずつ始めるようだが,その一貫として 大学管理本部のサイトの中に暫定的に 「首都大学東京」のホームページが作られている。まあ,別に大学の宣伝をすること 自体はかまわないのだが,東京都立大学,東京科学技術大学,東京保健科学大学 の写真を並べて載せて,3つのキャンパスからなる「首都大学東京」 といって宣伝するのは筋違いだ。まだ成立していない大学を, 現に存在する大学の建物を写真として利用して宣伝するなんておかしいだろう。

宣伝のターゲットは,3つに分けるようだ。受験生・学生等へは, 「首都大学東京の魅力を周知」させるとして,単位バンクや学生サポートセン ター,インターンシップを挙げている。都民等には,「都民の大学であることを PR」するそうだが,「都民がスポンサーである新しいコンセプトの大学であるこ とを周知」し,「オープンユニバーシティ等を通じて都民へ教育研究成果を還元 」すると宣伝するようだ。また,中小企業等へは「地域産業振興への貢献」を訴 えていくようだが,「進化した産学連携を周知」するそうだ。お得意の「ナノテ クセンター」も登場し,「地域に出て行き地域産業のニーズと結びつく 新しい形の連携の推進」を図ると宣伝するらしい。

ここで注意しなければならないのは,これらのブランドプロモーションが 本当に事実に基づく形で行われるか否かだ。 例えば,テレビやラジオのコマーシャルに登場した場合,「単位バンク」を 誇大広告しないかどうかをきちんと見守らねばならない。 まだ「単位バンク」も「学生サポートセンター」も不明な部分が多く 残されているし,実際の運営組織ができている訳でもない。 人員削減を主に考えられている組織が,本当に十分な人員を学生サポートセンター に置くかどうか,極めて疑わしい。都民のために「首大」が何をしようとするの かも,きちんと見守っていかねばなるまい。

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O-16   平成18年からできる「首大」の新しいコースってどんな特徴 があるんですか?  次へ

ポーカス博士

システムデザイン学部(今の都立科学技術大学全体がだいたいこの学部に変わっ てしまう)の中に,「デザイン・メディア」コース(仮称)ができるそうだ。 まずは,新分野検討部会のコンセプトを紹介しよう。


コンセプト案
 システムデザイン学部では、2つの基本コンセプトとしてシステムとデザインを 挙げている。いうまでもなくシステムとは個別オブジェクトの集合体によって発 現される機能であり、多様な実現形態の中から感性を含めた価値観から一つの実 現を選択することがデザインであるといえよう。
 システムデザイン学部に既設の4つのコースはシステムの機能解析や機能的設 計法を教授することが大きな目的となっている。
 しかし、これらの専門コースでは人間の感性に根ざす様々な表象をデザインす るといった側面が極めて重要であるにも関わらずあまり配慮されたいない。
 次世代産業の最重要な要因の一つであるデザインのこうした側面を取り上げ、 必要となる技法を教授し、学部内外の専門教育コースとも連携し、東京の多様な 産業を支える人材を育成する教育コースを設置することは東京の産業振興にとっ て極めて重要となる。
 したがって、本コースの目的は、東京における新たな都市産業の構築と振興を 目指して、システムの発現形態を芸術的感性を通じて設計できる人材を育成する ことにある。


というのがコンセプトなのだそうだが,分かったかな? 前半部分では,システムデザイン学部の「システム」と「デザイン」の定義を しているが,「システム」を「個別オブジェクトの集合体によって発現される 機能」と言いきっているところが,オブジェクト指向的に響くが, わしに言わせればとんでもない誤解だな。個別オブジェクトを合わせても, そこから自然とシステムができるなんて,そんな甘いもんじゃない。 フラクタルとかカオスのイメージを盗用しているにすぎない。まあ, 本題からそれるのでこれくらいにしておいて,問題は後半部分だな。

「東京の多様な産業を支える人材を育成する教育コース」であり, 「東京における新たな都市産業の構築と振興を目指して」いるのだ。 それを,「システムの発現形態を芸術的感性を通じて設計できる 人材を育成する」というのだから笑ってしまう。 いったい,芸術的感性をどのように教育するのかも わからない。前段での説明に基づくと,システムはオブジェクトの集合体から発現 するのだから,人間のやることは,発現するシステム を選ぶだけになるはずだが, 芸術的感性を通じて設計するのだと言っている。 まあ,わしに言わせればメチャクチャだな。 「実現を選択することがデザインだ」といったなら, 人間が主体的に設計することなど残されていない,ただ, 感性に基づいて選択するだけだ。そこに,芸術的感性が 関わることもあるだろうが,そんなもの教えたり教わったりする ものじゃあない。それが,東京都の産業振興に寄与するんだって? はっはっは! お笑い草だ。 「芸術」に関しては武蔵野美大の先生が1人入っている部会のようだが, そもそも芸術を語れる人がメンバーには他に誰もいないから しようがない。

新しいコースといって鳴り物入りで登場したのだが,気がつくと 教員設定数で枠をはめられてしまった。つまり:


新分野(デザイン・メディア)分の教員設定数
平成18年度に設置予定の新分野(デザイン・メディア)分の教員設定数につい ては,システムデザイン学部各コースの新規採用を調整することにより, 可能な限り各コースの教員設定数から搬出(各コースの教員数を縮小)すること とする。


この教員設定数というのは,ようするに学部の定員は変えないから,その 中でやりくりをしろ,という意味だな。「新コースができる」というのは, 暗いニュースばかりの「首大構想」の中で唯一の光のように見えたが, 実は,同学部の他のコースの人員削減を前提にしていた ,というオチだった。

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