都立大の危機 --- やさしいFAQ

E.  人文学部文学科,「オープン・ユニバーシティ(旧称:エクステンション・センター)」,
「基礎教育センター」に関する質問


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E-1  ところで,ぼくはどうなるんだろう。 「人間の言語の謎」を追求する言語学をやりたいんですが,「都市教養学部」 ではどこに行けば指導を受けられるんですか? それに, 実は彼女が「フランス文学」を専攻しているんですけど。 次へ

ポーカス博士

おやおや隅におけないな。実はな,まだ最終的に決まったわけではないんだが, 都市教養学部の中の人文社会系の中には「言語学」も「文学」もコース として存在しないんじゃ。 都立大学人文学部の中の文学科には,「英文専攻」,「独文専攻」,「仏文専攻」, 「中文専攻」,「国文専攻」があるのは知っておろう。 この中には,文学,言語学,文化関係の専門家がそろっているのじゃが, これらの文学科すべてが「新しい大学の構想」の中から消えてしまっている。
 その代りに登場したのが「国際文化コース」だ。ここには, 7月31日以前の案に入っていた「文化関係学」を管理本部側は押し込もうと していたようじゃ。2003年11月の時点では, その中に,文学や言語研究を少しでも残そうとする現都立大学人文学部の 意向が取り入れられた案(各文学専攻で教員3〜4人)が提案されて いるが,この人数ではまともな専門教育は期待できない。
 この案もいつひっくり返されるか分からないと思っていたら, 案の定。2004年2月3日の教学準備委員会で出された「河合塾てこ入れ案」 では,国際文化コースの教員定数(合計30)の内訳が, 哲学5(マイナス1),歴史・考古5(マイナス3),表象文化9, アジア文化と欧米文化がどのような配分になるかわからないが合計11 という数字が飛び出してきた。もっとも, この案がそのまま設置審に提出されるのかどうかは分からない。 なにしろ,大学側に提示されている書類と, 文部科学省に提出されている書類の内容が一致しているかどうかでさえ, あやしいというのだ。委員会では,元総長が<文部科学省に出した書類を 見せろ>と迫ったそうだが、<ものすごい量なんですよ> と言われたそうだ。<どれだけ量があっても私は書類を見るのに慣れている> と食い下がったらしいが結局拒否されたらしい。 そうそう,都市教養学部の中の「都市教養コース」が, 「河合塾てこ入れ案」では,「都市政策コース」に変身しておったな。 ははは。少しは内容が分かりやすくなったかもしれない。

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E-2  そんなのひどいよ! 誰がなんで勝手に新しい学部から「言語学」や「文学」を閉め出しちゃったんだ?  次へ

ポーカス博士

ひどいもんだ。わしも最初は信じられなかった。だがな,「文学」や「言語研究」 はいわゆる「実学」ではないから, 専攻してもそれが直ちに職業や資格とは結びつかない。なぜ「文学」や「言語研究」がなくなったかというと,まさに 就職や資格に結びつかない学問なんて価値がないと思う政治 家や役人が圧倒的に多いからじゃろう。これは一般の国民の意識にもかなり浸透しているな。 第二に, すぐに結果がでないような学問は価値がないと見なす風潮が, アカデミックな世界でも広がってしまったことがある。 大学の先生は,研究業績の評価を受けるが,その時には今年は論文が何本で, 研究発表が何本でというような感じで毎年,数で評価される傾向がある。 これはな,たとえば「人間とは何か?」という核心的疑問に 長期間かかって取り組むようなタイプの人文研究者にとっては, 生存の危機を意味するんじゃ。 第三に全国で同じように文学つぶしをしている大学があるから ,という笑えない理由がある。

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E-3  全国の大学から「言語」や「文学」の 研究者や学生がなくなるなんて,おかしいんじゃないですか?  次へ

ポーカス博士

絶対におかしい。しかしな,これは石原都知事を含めて言えることじゃが, みんなで古いものはもういらないから捨てよう, 新しいものはみんなも欲しがっているはずだから取り入れよう と考える傾向が強いからだな。大学の話で言えば,「法科大学院」は新しくて, 「文学」は古いと考える。その結果,みんなどこでも同じように「法科大学院」 を作って「文学」を捨てようとする。みんなでそろって,本当に必要な のかどうかを深く考えずに新しいものに飛びつくという現代日本の傾向は, 極めて危険だと言わざるをえない。
 誰かも言っておったろう, 「NOと言える日本」でなければだめだ。みんなで新しいもの ばかりを追いかけていたら,伝統もアイデンティティもなくなってしまうのじゃ。 「新しいもの=いいもの」なのかどうか考えることが必要じゃな。 「古いもの=悪いもの」と考えるような単純な発想しかできない政治家にはNOと言おう じゃないか。
 ちなみに,2003年,アメリカのラムズフェルド国防長官がヨーロッパのことを "The old Europe" と呼んだのがきっかけになって,ドイツやフラン スでは逆にアイデンティティ意識が高揚し,「自分達は無節操に新しいものを 追いかけるのではない」,「自分達は独自の伝統に根ざした価値観を持ってい る」というポジティブな評価がこの言葉に与えられた(ドイツでは「2003年の言葉」 に選ばれた)。新しいものだけがいいものではない,という発想が都知事には 欠けておる。

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E-4  そうですよね,ポーカス先生。 ぼくは,言語学をやりたいから,ことばの秘密を研究したいからここに いるんです。でも,ぼくは,平成17年の4月に言語学を専攻していたらどうなるんですか?  次へ

ポーカス博士

ホーカス君の場合は,2003年度(平成15年度)入学だから,都立大生として勉強を続ける ことになる。英文専攻の学生として卒業まで学習権は保障されるという のが東京都の大学管理本部というところの言い分で, 平成17年4月の新大学発足時も都立大生として扱われる。ただし, 平成22年には移行期間が終了するから,合計8年間は在籍できる (途中で留学などして休学すると8年間以上在籍期間が伸ばせるのが これまでの例だが,それはできない)。2004年度(平成16年度)入学の 学生は,同じように平成22年には移行期間が終了するまでしか学部生で いられないから一年減って7年間しか都立大に在籍できない。
 それで都立大の学生として,新しい大学が成立した後も勉強を続けるということは どういうことかというと,「文学」とか「言語学」の 先生はおそらく「オープン・ユニバーシティ(旧称:エクステンション・センター)」という学部ではない組織に大部 分配属されそうなのだが, そこで旧都立大の学生を集めて細々と専門の授業をすることになりそうだ。 「国際文化コース」というのが成立して, その中に少しでも言語学の先生が残れば,そこで勉強を続けることができる はずじゃ。ただし,学習環境は代らざるをえないだろう。 文学を専攻する場合も同じような状況になると思う。図書やその他の研究用資料, 専攻別のコンピュータの管理は新大学になれば変ってしまうだろうし, 「オープン・ユニバーシティ」が設置される場所も分からない。 どの教員がどこに飛ばされるのかもまだ不明だし, おそらく新大学を嫌って出ていってしまう先生もいるだろうしな。 予算は新大学に配分されて, その中のやりくりで都立大学の分もなんとかしろと言ってきそうなので, これまで何十年と継続して購入してきた図書や資料を継続購入することは困難になりそうじゃ。

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E-5  その「オープン・ユニバーシティ」って 何ですか? 学部とか学科とかではないんですか? 次へ

ポーカス博士

社会人向けの生涯学習を推進するところらしい。 一橋総研というところが,都立大改革に関して委託を受けて提言をしているのだ が,そこにも「エクステンション・センター」という言葉が出てくる。 「社会人の知的好奇心,職業上必要とされる専門知識需要 を十分満たす質の高い講座」を用意するところというコンセプトだが, 今回の大学管理本部の出してきた案によれば, 独立採算制を目標とするカルチャー・センター になっておる。2003年10月末での, 管理本部案(河合塾の理念補強が入っていないもの) では次のような基本コンセプトが挙げてある。


エクステンションセンター(仮称)の基本コンセプト (後にオープン・ユニバーシティと改名)
● 「大都市における人間社会の理想像」の追求のため、大都市に生活する都民・ 職業人の生涯学習、リフレッシュ教育を支援するとともに、 新大学や東京都の施策に必要な分野の研究を行い、新大学の教育や都政・都民に還元する。
● 東京都の職員研修所や他大学のエクステンションセンターや東京都の博物館、 美術館、試験研究機関等との連携により、 東京における知のネットワーク化を図る。
● 運営に当たっては、講習料や提案公募型研究費、 共同研究費など外部資金を積極的に導入し、自立的な運営を目指す。


カルチャー・センターとして, 「職業人の生涯学習,リフレッシュ教育を支援する」のは当然としても, 「新大学や東京都の施策に必要な分野の研究を行い、新大学の教育や都政・都民 に還元する」という部分は,日本語としてきちんとした構造になっていないばかりか, オープンユニバーシティを(部分的ではあろうが) 「東京都の施策に必要な分野の研究」を行わせる下請機関と位置づけている。 「学問の自由」を保障しない機関のようじゃ。
さてその中身は,と思って見てみると (1) 経営(会計)関係,(2) 身体・栄養関係, (3)人文系教養としての文学や言語学などとなっている。 カルチャー・センターとして見ると, たったこれだけの分野しかない非常にかたよったものと映るじゃろう。 数学,生物学,物理学,工学といった理系の講座がないし,法律や社会学,心理学もない。 コンピュータ関係もまったくない。「これって何なんだ」という質問には, 新大学構想でリストラされた教員を集めたところ という答えが最も説得力があるじゃろう。
 さてさて,河合塾の理念補強の結果,2004年2月5日に公開されたものと, さらに2月23日の教学準備委員会で公開されたものが出てきた。 基本路線は社会人教育であると位置づけ, (1) キャリアアップ・リカレント教育,(2) 学位取得を目的とした継続教育,(3)一般向け教養教育 の3本柱になっている。これに対応したセンターの展開として挙げられているのは, (1)社会的認証を視野に入れたプログラム構築, (2)単位バンク等を活用した学士号授与コースの検討, (3)高度で多様な公開講座の開設だ。この中で特に問題なのは, 「単位バンク等を活用した学士号授与コース」だろう。 単位バンク(K-1)の実態を考えると, 他大学や社会的活動で単位を集めて,このオープン・ユニバーシティの 「学士号授与コース」を受講すると, <あらあら不思議! 大学を卒業したという学士号がとれちゃった!> となるらしい。そんなばかな! これでは, 「スパムメールで学位が安くとれますよ」といっているのと同じではないか! だいたいそんな学位の出し方が法的に可能だと思っているのだろうか?

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E-6  えっ,ぼくは都立大人文に 世界的に有名な言語学者が何人もいて伝統もあるからって聞いてきたのに。 「オープン・ユニバーシティ」に行ったら,その先生たちは何を教えるんですか?  次へ

ポーカス博士

「オープン・ユニバーシティ」のカリキュラムなんて,2004年4月28日の設置申 請を行った時点でも何も決まっていなかった。 2004年5月20日に第3回経営準備室運 営会議が開かれたが,その時に初めてオープン・ユニバーシティ3ヶ年戦略 (案)というものが提示された。
平成17年度には合計150講座を開講し, 受講者3,000名(延べ24,000人),平成18年度には合計300講座を開講し, 受講者5,500名(延べ44,000人),平成19年度には合計500講座を開講し, 受講者9,000名(延べ72,000人)を目指すそうじゃ。これは,今ハヤリの 数値目標というやつで,これを達成できないとリストラされる恐れがある。 そして, 2004年5月26日に第1回オープン・ユニバーシティ準備部会が開かれ, ようやくカリキュラムの話が登場するが,もちろん管理本部は,ただ例を いくつか挙げるだけで,それ以上のカリキュラムを組むことはできないから, オープン・ユニバーシティ配属予定者に自分達で考えて欲しいということに なった。わしのところにも,突然「オープン・ユニバーシティー所属教員の 皆様へ」というメールが来た。そして6月1日に「人文系チーム」, 「日本語教育チーム」合同で、短大、科技大、都立大の3大学の オープン・ユニバーシティ所属教員による初会合が開かれた。 今後,オープン・ユニバーシティ所属教員が主体となって, 具体的にカリキュラムを作っていくことになり,締切日が設定されている。 とても変な気分がする,というのが正直な感想じゃ。 というのも,英語教育に関しては,以前は必修単位ではないとか 言われていたのに,一年生は8単位必修で,その内6単位は外部委託 だとかいう噂が流れてきたからだ。大学に所属する英語の先生が, 都民に向けてオープン・ユニバーシティで英語を教え,大学の外の どこかの英語専門学校の名も知らぬ(キャリアも不明の)ネイティブ・スピーカーが 大学生に英語を教える。これって,どこか根本的に間違ってはいないだろうか?
 「オープン・ユニバーシティ」の定員の件に関しても,まだ不透明な ままだ。 初年度は,人数が少ない講座をスクラップしないと言っているが, それは初年度だけのこと。数値目標があるから,それを達成できない講座は すぐにつぶされ,それを担当する教員のポストは危うくなりそうな気配だ。 将来的には 独立採算制を目指すと言うことは, 大学という組織とは別にしようという意図があるようなので, ひょっとして「国鉄清算事業団」 のような位置づけになるのではないかと恐れられている。 何しろ定員は少ないのだから,最初に大勢の教員がいても, やがて定年を迎えて退職したら,後任を取らないから人数はどんどん減っていく。 気がつくとこんなに寂しい所だったのか,という具合いになるのではないか。 人数が減って,独立採算性になって, 採算がとれなくなったら,いずれつぶされるだろう。実際に,人減らしには 好都合の組織になりそうじゃ。それが東京都の目指すところだろう。

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E-7  えーと,「基礎教育センター」 と「オープン・ユニバーシティ」の関係がよくわからないんですが?  次へ

ポーカス博士

2003年10月末の時点での大学管理本部案では, 「基礎教育センター」の基本コンセプト はこうなっている:


● 創造力と幅広い視野を養う人間教育を目指す都市教養プログラムをはじめとする 新大学の基礎・教養教育の全学的な企画・調整を行う。
● 実践力を重視する語学(英語)教育と情報リテラシー教育と共通基礎教養教育 としての体育実技科目の企画・運営・実施を担う。


今の案では,基礎教育センターには「語学教育部門」,「学部教育調整部門」, 「情報教育部門」,「体育実技部門」があって, 学部へ基礎教育を提供する形になっているが, 基本的には「企画・運営・実施」をする機関として位置づけられている。

「基礎教育センター」は「大学院」とは一切かかわりあいがないとこれまで 言われてきたが,2004年6月7日の第1回大学院検討部会での資料によると, 基礎教育センターの語学部門だけは,「人間・社会・文化科学研究科(仮称)」 に線が引っ張ってある。ということは, 語学・文学系の教員で基礎教育センターに配属になった教員も, 大学院の授業が担当できるようになったらしい。
 ちなみに,基本コンセプトの中から2つの別のことが分かる。 第一に, 管理本部も分からない(だから河合塾に理念を作ってもらう予定の)「都市教養プログラム」は, 「創造力と幅広い視野を養う人間教育を目指す」らしい。 第二に, 「実践力を重視する語学は英語だ」ということで, その他の外国語は基礎教育センターでは関係ない,という点。
英語教育に関しては,第5回教学準備委員会で外部委託をすることに決定してい たと管理本部は主張していて,それを実行すべく具体化を教員に迫っている。 なんと,あれほどまでに「必修単位はない」と繰り返していた大学管理本部だが, 英語は8単位必修,その内6単位を外注(合計150コマ)するそうじゃ。 そして,単位の認定にあたっては,外注先の語学学校のネイティブスピーカー の出した資料に基づき,基礎教育センター配属の教員が成績をつけるのだそうだ。 見ず知らずの語学学校のネイティブスピーカーが英語を教え,どんな 学生の評価をしたのかも分からず,黙って提出された資料を元に, 自分の責任で基礎教育センターの教員が成績をつける,変だとは思わないか?

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E-8  えーと, たとえば伝統のある都立大の国文の先生たちはどこへ所属するんですか?  次へ

ポーカス博士

今のところオープン・ユニバーシティということになっておる。 独文,仏文,中文,国文,そして一部の英文が同じように「オープン・ ユニバーシティ」へ配置されそうじゃ。もちろん人文学部としては, このような文学と語学の教員をすべて「オープン・ユニバーシティ」 へ配置することには反対しており, たとえば「国際文化コース」 の中に各国語の文化や言語研究を少しでも残そうという方向の提案をしておる。 しかしな,けしからんことに定数を64として初めから決めてあるのだから, このような提案をするということは他の専攻が影響をうけることになる。 管理本部は,定数を決めるから詳細内容は教員が考えろと言うが, 実際に限られた定員ではおもうようなカリキュラムを組むことはできない。
  国文に関しては,実はわしも大学院時代に, 違う大学の大学院で言語学を専攻していたのじゃが, 資料を閲覧するために旧キャンパスの都立大にお世話になった経験がある。 方言学の貴重な資料や,当時から活発にフィールドワークをこなして おられた先生方もいて非常に参考になった。 日本語の研究を東京都が捨てるというような事態は, 本当に異常な事態だと思う。日本語の研究をオープン・ ユニバーシティに残して,その大学院も(いずれは)作ると言っても, 学部学生がいないというのでは後継者が育たないし,継続性のある 研究も続けられない。野本和幸氏(東京都立大学名誉教授)が, 「都立大に関する文科大臣への要望書」(2004年1月26日提出)に賛同して, 連署者のメッセージ(38番)で次のように発言しているが,まさにその通り。 自国の言語文化を学部で研究・教育しない東京都の大学なんて, 国際的な常識からしても信じられん。「〜専門学校」というのなら話は別じゃが。


...しかも驚くべきことに、この学部からは、 国語・国文学がすべて排除されています。 まともな国の首都にある代表的な大学で、 自国の言語も文学も研究・ 教育しないなどという話は聞いたことがありません。パリ大学で、 ロンドン大学で、ベルリン大学で、あるいはNYのコロンビア大学、 ボストンのハーヴァードで、 そんな馬鹿げた発想が口にされたことさえあるでしょうか。
「都立大に関する文科大臣への要望書」(2004年1月26日提出) 連署者のメッセージ(38番)より http://poll.ac-net.org/4/4poll-5-iken-hyouji.php より抜粋。 野本氏の意見全文はこちら。


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E-9  先生, 国文というと留学生に対しての 日本語教育を担当されている先生たちもいますよね。 留学生の教育はどこでやるんですか?  次へ

ポーカス博士

そうじゃの,その通りじゃ。今のところ,「基礎教育センター」の「語学教育部門」 には,外国語の教員の中でも一部の英語の教員だけが配属されそうな様子じゃ。 10月25日の段階での情報では,留学生教育はオープン・ユニバーシティ(旧称: エクステンション・センター)で行うらしい。 留学生の中には,日本語の研究で 学位を取って帰国することを考えている学生もけっこういるから, 「オープン・ユニバーシティ」でも大学院を設けて,学位を取れるように して欲しいのじゃが,将来構想的には学位取得が入っていても, 設立当初には存在しないことになりそうじゃ。 従って,都が主張するように都立大をあくまで廃止してしまうと言うと, 都立大から新しい大学への連続性がなくなり, 国文の学部学生や大学院生も深刻な影響をうける可能性がある。 文学科全部がなくなるのじゃから,他の文学専攻でも同じことが起こる。 もしこのままの案で東京都が強硬したら,これらの優秀な先生たちは 別の研究組織にどんどん移っていってしまい,これまでの都立大学 の名声,特に都立大学人文学部の名声は過去のものになってしまう。

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