使用上の注意: 個人がある組織を作る場合には,会社であろうと学校であろうと,当然その個人 が責任を持って組織を設計し運営することになり,設置者と呼ばれるのは当然で ある。しかし,東京都立大学の設置者権限を東京都知事が持つ,という時, その権利は東京都立大学を設置した当時の知事が行使した権利であって, 設置当時とは関係ない現在の知事がその権利を有すると考えるのは, この「知事」という指標表現が, 時間を決めなければ指示物が決まらないことを無視した意味論上の初歩的ミスである。 都知事が持つ大学の設置者権限とは,せいぜい都民が欲した時に(本当に)新しい大学を 作ることを指示・監督する程度であり,独断的に大学を廃止する権利を含むとは 考えられない。(A) 「設置者権限で新大学の設計をする」というのは, 「首大」 の場合2通りの間違いを含む。1つは,設置者が教育・研究内容まで 細かに決定できると思っている点(行政による教育・研究内容への干渉), もう1つは,「首大」が現行の4つの都立の大学の施設や設備,人材なしに成立 しない「改組・転換」大学であり,設置者権限で好き勝手に変えられる「新大学」 ではない点。(A) を根拠にあらゆるものをトップダウンに決めるというのは, トランプのゲームで,無数のジョーカーを持っているようなもので, 「首大」設計においてあらゆる場面で乱用されている。
説明:
◯ 単純に考えると,ある機関を設置した者が持つ権限。
◯ 「都立の大学を設置した権限は,最終的に知事にある」と石原都知事は
考えた。しかし,誰でも常識的に考えればわかるように,都立の現存する
大学を設置したのは,石原都知事ではない。人が代わっても,権利は知事という
職に就いた者にある,と考えるのは拡大解釈。
◯ 「設置者権限」を根拠に,石原都知事は,
大学の廃止や新設は同様に現職の知事というポストに就いている自分の権限だ,
と主張し,4つの都立の大学を廃止して,1つの「新しい大学」を作ると
宣言した。
◯ しかし,例えば東京都立大学の廃止は,
2003年9月22日の茂木総長による「管理本部における意見聴取にあたって」とい
う意見書にあるように,
「現に存在する大学の運営に関する重要事項なので
大学の教授会の審議事項(学校教育法59条1項)であり,
都立大学では評議会の審議事項(東京都立大学条例8条6項5号)」であるから,
勝手に都知事が廃校と叫んでも廃校にはできない。
◯ 全く新しい大学を一から設置するなら,石原都知事も設置者権限を
有することから設置者権限を行使することができるが,今回のケースは,
茂木総長の指摘を待つまでもなく,現存する4つの都立の大学の施設や
設備,教員の流用であり,新たに建物を建て,新たに教員をすべて公募して
作る訳ではないので,「新しい大学を設置」することにはならない。
◯ 「大学側と協議はしない」と明言する大学管理本部は,
究極的に「新大学の設計を設置者権限で東京都がやっている」
と(本気で)考えている。つまり,
8・1事件以降の愚行の根拠は,
すべて「設置者権限」に還元されている。
関連説明のポインタ:
N-3
蛇足情報:
筑波大学の鬼界彰夫氏が2004年1月26日に文部科学省に(325研究教育機関の有志
1280名が連署と共に)提出した要望書にあるように,
「大学は国公私立の別を問わず公的な存在であり、設置者が意のままにできるも
のではない」。言い換えれば,大学が教育・研究の公的機関であるということは,
たとえその設置者であっても個人の意思で教育・研究内容に介入しては
ならない,ということを意味する。「大学の自治」や「学問の自由」は,
まさにこのような観点からも遵守されねばならず,その時々の政治家に利用される
ようなことがあってはならない。
石原都知事の8・1事件を期に,
このような行政当局の介入が公認されてしまうと,将来の
日本の高等教育に与える波及効果は大きく,
やがて日本における「大学の自治」や「学問の自由」は壊滅的な打撃を
受ける。「設置者権限」でトップダウン的手法を使う
というのが,その際の合言葉になるであろう。
間連語:<権限の乱用,トップダウン的手法,学問の自由,大学の自治>
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