3分で分かる東京都の大学破壊(2004年10月15日版)

注意:かなり速めに読まないと3分では読み終えません。
リンクを含めて読むと多分30分を越えます(^^;;   by ポーカス


3分で分かる東京都の大学破壊(2004年10月15日版)

2年間かけて東京都と都立の4大学によって 作られてきた大学改革案が95%完成していた2003年8月1日, 石原都知事は突然「新たな都立の大学構想」を 発表し,それまでの改革案を一方的に全面破棄し, 「新しい大学」を作ると宣言した(8・1事件)。

東京都大学管理本部は, 東京都に奉仕する大学を 「教学準備委員会」で設計し始めた。

この委員会は,知事があらかじめ学長に指命するつもりだった 西澤潤一氏(岩手県立大学学長)を座長とし, 都立の4大学の学部長,科学技術大学と保健科学大学の学長をそれぞれの 組織の代表ではなく個人の資格で参加させ,議事録を取らず,議論の内容を 秘密にすることを誓わせた。

南大沢の都立大を大幅に縮小。理学部,人文学部,経済学部,法学部, 工学部の一部を,誰にもコンセプトが分からない 「都市教養学部」という名前で一括りにし, 学部の理念がわからないので河合塾に3000万円を払い外注した。

「新大学構想」の特徴は,(1)「大学の自治」や「学問の自由」が保障されない 上意下達構造を持ち, (2) 実学重視(=基礎研究の実質的放棄), (3) 単位バンクという名の教育責任放棄, (4) 教育の外注(英語), (5) 大学院教育の軽視 とともに,(6) 東京都の産業振興政策の中に大学を組み込むこと。

「大学側とは協議しない」と宣言する管理本部は,都立の大学教員に, 「同意書」を配布し, 口外しないことを条件に「構想」作りに個人として 協力させようとするが,多くの教員の反発を招いた。

8・1事件で石原知事が大学教員に対して「やめたければやめればいい」と発言 していたが, 法科大学院担当の4人の法学部教員が「新大学構想」の進め方に抗議して大学を去った。

文部科学省への大学申請にあたって、管理本部は「意思確認書」という 書類の提出を求めたが,これまでの「大学構想」の作成に大きな疑問を 持つ教員が法的根拠のないこの書類の提出を拒んだ。

管理本部側は「威嚇」,「恫喝」を含む文書を何度も教員に送りつけ, 最終的に96%の教員に「意思確認書」を提出させた。

管理本部は,その数だけを宣伝して回ったが, 実際に提出された意思確認書には、就任先の書き換え, 文言の書き換えや削除が多数あった。 提出を拒んでいた多くの教員も,学部の意見に 従って意思確認書を提出した。この時期,管理本部や 理事長予定者と対話が進み,一時的に雪解けムードがあった。

経済学のCOEグループ12人は,意思確認書の提出を拒み, 「新大学」へ行くことを拒否。その結果, 「新大学」では経済学コースが消えた。 「新大学」では,大学の研究に対して価値を置かないことが判明した。

これまで大学の内外から 100件以上の抗議声明や公開質問状が 出ているのに東京都側は文書による回答を一切していない。

「新大学」の名前は, 「首都大学東京」。公募して集まった 名前を参考に,石原知事が個人で決めた。 この大学の理事長は石原知事の友人、高橋宏氏。 学長も、以前から知事と仲のよかった西澤潤一氏を知事が決めた。 西澤学長予定者は,「首大」学部長予定者を決めた。

法人化された後の大学経営に責任を持つ高橋理事長予定者は、 大学に経営効率を持ち込み,4〜5年後には赤字解消を目指すと公言。

「首大」経営準備室会議の座長(高橋氏の)名前で,「新大学」 に協力する人だけが応募できるという 研究費の傾斜的配分を 現存する都立4大学に対して強行。

学長予定者の西澤潤一氏は、本を読んで授業を聞くような従来の 大学教育を否定し,「もの作りの現場」を自分で体験することを 説く(「現場主義」)。

2004年7月に文部科学省へ提出する「就任承諾書」を 巡って, 6月4日には緊急4大学教員集会が開催され約150名 が参加。

6月17日には人文学部教授会が,大学院構想,教員の身分・雇用問題,教授会の人事 権に関する文書による明確な回答が得られない限り「就任承諾書」を提出しないこと を決議。

6月24日付の「4大学教員の皆様へ」を 検討した人文学部は,身分・雇用問題にも教授会人事権問題にも満足な答えが 得られなかったとして「就任するか否かの最終決断は留保」するという立場をと り,教員個人の判断で「就任承諾書」を提出することとなった。

7月3日の毎日新聞によると, 管理本部の「新大学」教員数は 530人を予定していたにもかかわらず, 485人分しか就任承諾書は集まらなかったが,管理本部は, 「都立4大学に在籍する対象者510人のうち、485人が提出に応じた」と発 表。

7月15日,設置審答申が文部科学省に提出され,管理本部の予想に反し, 「審査の前提が崩れた」として「首大」は不認可となる。 その結果,9月あるいは11月の認可を目指すことになるが,秋に実施 予定だった大学院入試は延期せざるをえなくなった。

9月21日,設置審が「首大」設置を認める答申を河村建夫文科相に提出。 異例の書面による5つの留意事項と口頭による3つの意見が付いた。 留意事項は,親切な助言のような内容だが,「首大構想」に委員も 役人も呆れ果てているという噂も。それでもなぜか9月30日に, 文部科学省によって認可されてしまった。ここから「首大」の茨の道が始まった。